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響きと、しごと

美しいものに感動する時、純粋な思いに奮い立つ時、自分の弱さを認めた時。人の本質的な部分が見える。

魂のコアの部分。一見弱く、本当は一番強いところ。地位も名誉もお金も能力も、何も飾らない部分で起きている、その人の心の震えに、私も心が震える。心の震えは和音のように響きあうのだ。

最近「対話をすると見なくて良かった本質的なものを見なければならなくなる」という言葉を聞いて、良い悪いではなく、そういう心の状態の時もあるかもしれないなぁと感じる。本質の話は、人によって心地よい時と心地よくない時があるようだ。

その話をするほどの、信頼関係がない時もある。あるいは、これは見せて、これは見せたくないとか。またあるいは、別の物を見せたい、期待に応えて見せなければと思うこともある。その繊細な部分を隠して守る選択も尊重されるべきだと思う。

それでも、ゴテゴテとした飾りの向こうに透けて見えていた純粋性の光が顔を出す時、ぞぞぞと心が震える。もっと見たい、もっと繋がりたいと思う。そこにはジャングルをかき分けるような冒険的な喜びがある。

マインドフルネスの仲間と話してるととても心地よいのは、はじめから飾りが少なくコア同士で対話するから。こちらはノンストレスの、楽園のような場所。

そんな響きが周りに増えていっているのが、うれしく幸せ。アンサンブルやオーケストラでメロディを奏でるように、仕事を味わえたら良いなぁ。

それぞれの音は美しくても、不協和音やリズムが噛み合わない時もあるよね。それは今じゃないのかもしれない。あるいは私じゃないのかもしれない。愛と尊敬と思いやりを保ちながら、その寂しさや心地悪さを受け入れる。その体験もひとつの響きを生むのかもしれないと、耳を澄ませてみる。

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