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目に見えないものがほとんど

よく考えてみたら、私たちが見えているものってほんのわずかで
目に見えなものの方が多いのかも?

と思ったので今日はこのテーマで書いていきます。

「目に見えなものは信じない」
「エビデンスのないものは信用できない。」
と言う言葉を耳にしたことがありますが

私は今はそうは思いません。
(以前の私は医療に関してはエビデンス大好きナースだったかも)


目に見えなくても感じるものはあるし、

エビデンスがあっても、
それが人を癒すとは限らないと知ったからです。


例えば、目に見えないものって何があるのか。

私たちが生きるために、自然に行っている呼吸!

酸素、二酸化炭素、(その他もろもろ)を
肺に取り込んでいますが、これって目に見えません。

血中の酸素飽和度はパルスオキシメーターで簡易的に見ることはできますが、
普段持ち歩いているわけでもない。

酸欠の時は「息が苦しい」という体感でも感じられます。

熱や温度も目に見えません。
暑い空気、寒い空気、体温なんかも。
これも体感ですよね。

光、光は波ですが、
光っていることは目に見えてもその波は見ることはできない。

心や思考も目に目ない。

これって、確かに存在しているけど
目には見えないので、
とても小さなエネルギー的な存在であると言えます。

アーユルヴェーダのドーシャ理論、
ドーシャは目に目ないエネルギー。

ヨーガで言うプラーナも目に目ない。

氣も目に見えない。

人が放ついい雰囲気、
嫌な雰囲気 これも目に目ないけどなんとなく感じるもの。


人の生命力、これも看護師は肌で感じるはず。


もっとあると思うけど、これくらいに。


こんなふうに考えると、
私たちは目に見えないレベルのエネルギーに囲まれています。

信じるか信じないかと言うより、すでにそこにある。

感じるか感じないかの違いになるのかもしれません。

私が学ぶアーユルヴェーダのドーシャ(ヴァータ、ピタ、カパ)は目に見えない、でもあると感じます。人間の生理的な体の働きや、自然の仕組みにとっても理にかなっていると体感するから!

現代は、
エビデンスや数値化されたものに信憑性があるのかもしれないけど、

それが自分に合うかどうかは、試してみないとわからない。

本来は、人間の身体は
五感や六感を使っていろんなものを感じ取れるように作られていて、
現代はそれが鈍りやすい環境だと思います。

自分が感じていること、
心地よさだったり違和感だったり。

そう言うものって本当はとっても大切なんですよね。

人がどう言うかとか、
流れてくる情報の正確さよりも

まずは自分がどう感じるのか。

これが本当に大事!


目に見えるものに惑わされると、
本当に大切なことが見えにくくなってしまう。


そんな感じがしたので

今日は「目には見えないもの」についてお話ししました。


最後まで読んでいただきありがとうございました。




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