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「べき」1当たりの単位は1.5キログラムです

 師走で忙しくストレスが溜まる一方でしょうか。しかし不思議なことに‘stress’を辞書で引くと、「ピンと張り詰めた状態」のラテン語 stringoが語源であるという。儀式が執り行われる荘厳な仏寺や教会の雰囲気とて原義としては「ストレス」環境なのだ。

 noteを毎日更新してこれているのだから今日もすべきと思ったが筆が乗らない気もする。スマホではなくMacBookで打っているのだが、パソコンのキーボードの手の置き場所は樹脂製であるべき。12月のアルミは冷てえよ。

 間は空きつつ、2週間ほど日記を書き綴っている。まめな性格か。否、三日坊主の自分にとっては快挙だ。今回ばかりは「昨日の自分が書いた。これは今日の自分も更新すべき」の意思だ。なかなか良い姿勢が保たれている。これほどの小さな負担であるが、人生で唯一の幸せで暖かい「べき」である。

 私は空気がよめない。と書くと平たいが、日本社会的コンテクストの読解力に乏しい。のでとうの昔に捨てたと書けば良いだろうか。もちろんいじめられる。妬まれて蔑まれる。

 何度も自分を捨ててそれでまた生まれ直して突貫の補修工事でアイデンティティーを建ててきた私に言えることが一つだけある。

第三者に「べき」を放った者は、1.5キログラムの足枷を履かなければならないということだ。1.5キロ、いったいどれほどの重さだろうか。手練れの人であれば、ずっと背負い続けることで筋トレにできる。しかし一方、他人に何種類もの「べき」を投げつけた人は、重いばかりで歩くことも難儀ではないだろうか。要するに、誰かに主観で「かくあるべき」と説くことは、一周して自分の首をも絞める。天にツバを吐く行為であるということである。同調圧力の輪廻は、誰かがどこかのタイミングで断ち切って欲しい。

大学を出たからといって、超優秀人財というわけではない

婚姻届を出したからといって、夫婦になれるわけではない

通過儀礼を経たからといって、大人になれるわけではない

自分に子供ができたからといって親になれるわけではない

(奇跡的に文字数が揃った)

 おいヨック、普段ユルい日記書いてるんだからこのようなおカタい文を書くべきではない?1.5kgがほしいですか?

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