見出し画像

ねぎの再評価と考察

起きて暇をつぶして寝る生活が続いている。

「人生は死ぬまでの暇つぶし」という言葉を地でいくような毎日だ。

ただこれはなにも今に始まった話ではなくて、マクロに見れば俺はずっとここ最近と同じような人生を送ってきている。挑戦も達成も選択も決定もせず、何となく生きてきた。あと掃除とかもあんましてない。ずっと同じ線上だ。

そうやって、何もしていない間に大人として扱われる年齢になっていて、僅かばかりの自由を得るのと引き換えに、大人として数々の不自由を引き受けようとしている。

「20年も生きれてればもうさすがにみんな成熟してるっしょ?」という国の判断のもとだ。何もしていないやつもいるというのに。

そんな俺でもこれまでに「大人になったなあ」と感じたことがないわけではない。

その一つは、ねぎを美味しいと感じたときだ。

名実ともに子どもだった頃はねぎが不味くて食べられなかった。それから年を重ねるにつれて食べれるようにはなっていったが美味しいと感じたことはなく、大学生で初めてねぎのうまさを知った。

ねぎのポテンシャルはすごい。

皆もっとねぎを食べたほうがいい。

ただ如何せんねぎ自身が謙虚すぎて過小評価されがちである。だから皆にねぎをもっと食べてもらうべく、俺がねぎに代わってここでアピールしたい。

そもそもねぎはどんなイメージをもたれているのだろうか。

ねぎのポテンシャルを全く理解していないつけあがったバカ共は、「あってもなくてもあまり変わらない野菜」とでも思っているかもしない。もう少し利口な方々はきっと、「どんな主役をも引き立たせる名脇役」というような印象を持っているのではないだろうか。

まだまだ認識が甘い、ねぎは余裕で主役を食う。

料理名がそれを物語っている。

まず「ねぎま」だ。

肉を、

食材カースト最上位のあの肉を、

古来から人類の食卓を彩ってきた肉を、

「ま」扱いだ。

まるで間の食材が何であれ関係はないという口ぶり。焼き「鳥」という他人の土俵で、完全に優位に立っている。ねぎの前では、鶏肉の王と謳われるもも肉ですら平伏す。

そして「ネギトロ」だ。

なんとトロの前に来ている。あの量で。

量でいえば、トロの20分の1にも満たないだろう。

にもかかわらず、海鮮高等学校があれば確実に首席で卒業するであろうトロを完全に抑え、それより高位置に君臨している。もう一度言うが、あの量でだ。

普通に考えれば「トロネギ」になるところだ。

我々はもう聞き馴染んでいるせいでこの異常事態に違和感を覚えられない。

例えれば、「福神漬けカレー」みたいなものだ。

パワーバランスがどう考えてもおかしいと思うだろう。

マルマルモリモリを歌っていたのが、

「ムック、たまに薫と友樹。」だったら違和感を覚えるはずだ。

今鼻で笑ったあなたは「ネギトロ」の異常性に気づいたものの、脳がその現実から目を逸らそうとしている。

これほどまでにねぎはスケールのデカい食材なのだ。

そこで俺はあの弱弱しい見た目からは全く想像できない、その強さの理由を探った。

苦節5分。

ついに真髄にたどり着くことができた。

ねぎ

アルファベットに直すと、

NEGI

後ろから読むと、

IGEN

つまり、

威厳だ。

ねぎはそのうちに威厳を隠し持っていたのだ。

これが強さの秘訣か。

そう思ったのも束の間、まだ何か引っかかるものがあった。

他の秘密が隠されている気がしてならなかったのだ。

苦節4分。

さらなる秘密を探り当てた。

英語で「ねぎ」を示す言葉はいくつかあるのだが、そのうちの一つが'scallion'という単語だ。

scallion

scal-lion

そう、ライオンだ。

ねぎという言葉は威厳だけでなく百獣の王ライオンをも内包している。

それだけではない、

scal-lion

'scal'とは、つまり'scale'だ。

そうライオンのスケールを持った食材。言い換えれば、「王の器」を持った食材なのだ。

ここまで聞けばもう分かっただろう。

俺が言いたいことは一つ。

もう軽々しく食うな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?