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【起業日記⑫】ECサイトの不具合から、Rinenna営業の全国行脚へ

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2017年7月、満を持してオープンしたECサイトの不具合が発覚。5年の月日をかけて開発した自信作、Rinennaの販売ルートが絶たれてしまいました。時を同じくして前夫と離婚し二人の子供を育てるシングルマザーとなった私が生きるために選んだ道は「Rinennaを自力で売る」ことでした。

外資系保険会社の営業支社でRinennaの即売会を実施

Rinennaを初日に100件買ってもらうべく作ったリストに、大手外資系生命保険会社の営業の方がいました。その方から「Rinennaは贈答に良いですね」と言ってもらったことを思い出しました。

保険営業の贈答品としてリーチを拡大できないか?その生命保険会社の営業拠点にお邪魔し、Rinennaの即売会を実施すれば、この局面をしのげるのではないか?そう考えた私は早速プレゼン資料と注文書を作成し、その方の支社の朝会にお邪魔しました。15分という限られた時間で、自分の身の上話、Rinennaの開発ストーリー、汚れ落ちの実力がいかに素晴らしいか、を説明。「お客様への贈答にいかがですか?まずは奥様にいかがですか?」と。

プレゼンが終わると即売会です。プレゼン中に一番反応のよかった方のところに100万ドルの笑顔で駆け寄り注文をゲット笑。その方から数珠つなぎ方式で同僚の方を紹介頂き、最終的には支社内のデスク全ての上に注文書を配布。プレゼンの熱が冷めないうちにその場で現金を回収し、後日郵送するという流れです。

この即売会では、予想を上回る売り上げをあげることができましたが、大阪での限られた売上。この話をリクルート時代の上司に報告したところ「東京に行け。Rの後輩で俺の担当がいるから、そいつを訪ねろ。俺からもプッシュしておく(ちなみのこの方のプッシュは「YES orはい」という意味)から」。そう紹介を受けたのが東京の支社のTさんでした。この方との出会いが私のターニングポイントのひとつになります。

外資系保険会社、トップ営業マンとの出会い

仕事でもプライベートでもどん底経験が重なり、出口の見えないトンネルにいた私は、Tさんに出会ったことでそのトンネルから抜け出すことができました。

Tさんは先を見通す力、仕事のPDCAの回し方、とにかくすべてがずば抜けていました。どれだけのことを教えていただいたかわかりません。
私があまりのしんどさに、私の起業のスタートだった「布おむつ」の販売をやめてRinenna一本に絞ろうと考えていた時にも、「やめちゃダメだ。平島さんが戻る原点を大切にしないとダメだよ。なぜこのビジネスを始めたのか?女性の「不快」を「快」にするビジネスをしたいんじゃなかったの?だったら布おむつを大切にしないと」。という言葉をいただきました。
いまや、布おむつは製造拠点も韓国から日本に移すことができ、以前より品質も向上し、Rinennaを支える大切な柱となっています。

その後、Tさんの人脈により北は北海道から西は熊本まで、80ヶ所もの全国の支社の朝会にお邪魔し、Rinennaの即売会を実施することができました。全国にお客様のいるTさんは、出張が重なると即売会に顔を出し、Rinennaの社員のようにプレゼンし、改善点のアドバイスをしてくださいました。そのプロセスで学んだTさんの思考法や仕事の進め方は、今でも私の財産となっています。

全国の営業支社を回るうちに、支社ごとのカラーや活気から「今日はこれくらいRinennaが売れそう」という予想がたつほど、私の営業嗅覚も研ぎ澄まされていきました(笑)。1日で100万円近く購入してくださった支社もありました。

営業支社の全国行脚。交換した名刺の数は1,500枚に

ECサイトが復旧するまでの1年弱。この朝会行脚を通じた出会いや、ここで学んだことの大切さは測り知れません。人生のどん底が、まさか人生の転機となるとは。今こうして振り返っても不思議な気持ちです。

“Every wall is a door"(壁にぶつかったと思っても、それは実は通り抜けられる扉だ。 行き止まりに思えても、実は行き止まりじゃない。)とはよく言ったものだ、と思います。この朝会全国行脚で交換した名刺の数はなんと1,500枚。こんなにも多くの人に出会い、支えられていたのかと思うと、もはやどこにも足を向けて眠ることができない私なのでした。

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