”怒る”ために注意することは、心の余裕の無さを暴露している

昨日、人間関係でのトラブルがあったので、総意として書き残し。


小さなことをさも「大きな問題」として扱うのは、さらに大きな問題に対処できない人

今更、昭和の会社らしく上司から注意を受けてしまったんだけれども、その怒り方にこっちがカチンときてしまった。
不可抗力であったとこっちはそう言っているのに、向こうが「これは問題だ、二度とやらないように」なんていってきた。

「うん、知ってる」なんて砕けた言い方ではないけれど、そのような言い方は『上司』のひとはカチンとくるんだろうな。
でもさぁ、すでにこっちがその対処法を…というか、遅刻しそうになったから車を普段とは違うところに停めて、あとで移動させようとしているのに、そこではなく、謝罪ができるかどうか、に焦点を持っていてそうできるかどうか、に怒る論点をもっていると知ったときには愕然としました。


問題に対して自分はどう対処できるか、を聞きたいのではないのか!?

ひとに何があったかを聞きたい時というのは、

『どこに問題があって

どこからその問題がきたのか、

どうやって対処するのか、

今後それをしない為に何をすべきか』

少しずつ考えていかなければならないと思っていて、

誰が問題を起こしたか、は問わないほうがいいと考えている。



もっと難しい問題は「売上を伸ばすためには…」とか、「維持費のかかるこの機械をどうすればコストを下げられるか…」といった、

「価値を作る仕事」や「新しいものを提供し続けられる仕事をつくる」

そうして顧客を満足させて、従業員もやる気を削がせることなく自発的に動けるような土台を作って、取引先にちゃんとお金を払えるようにお金を引き寄せる方法を考えること。

そういった仕事というのは、顧客がいるのかどうか、満足させられるかどうか、継続的に続けられる仕事かどうか、とかもろもろ考えることがあるわけで、いちいちトラブルがあったから人を責めようという話とは訳が違う。

機械の調子がおかしいなら業者を呼ぶのか自分で対処するのか、
人為的ミスがあったならそれは今だけなのか、前もあったのかとか、
考えることはあるけど、だからといって人に起因する問題はだいたいレベルが低い。低いというのはその対処法がすぐに見つかるということです。

そのレベルの高低を見極めもしないで、しかもひとは自分とは違う考えをもつ他人という前提を無視した注意の仕方では何の対処にもならない。
それはただの付け焼刃であることを自覚するべき。
人がミスをするのは当然であって、それに割く労力は極力抑えたほうがよい。
そうではない新たな価値を創造する仕事のほうが、実はかかる労力は大きいのであり、それは出せばすぐヒットするものではない。
アメリカと日本の仕事の仕方は100倍の差を付けられているように、20%の出来のものを出して改善する速さと、じっくり熟考を重ねたのにヒットしなくて落ち込む速さは同じくらい早い。で、落ち込んだ後の巻き返しが遅いから、日本はその差が付けられてるんじゃないかな?
(参考:日本がシリコンバレーに100倍の差を付けられている1つの事

ひとのミスにかける労力の半分を新たな価値を作る仕事に回せ

どこに価値を置くかで、仕事の比重は変わっていくものだと思っている。事務仕事も人にやらせたほうが早ければそうした方がいいし、機械にやらせたら早いのであればそれを導入すればよい。
人を雇うのであれば、適材適所があるのだからそれを見極めたうえで配置すればよいことを日本の会社は回り道をさせるのがうまい。
そこで違うと思ったら人は転職していくので、ひとが何を得意なのかは早期に発見してうまく業務と一致させればひとは長く働いていけると思うよ。

苦痛と思う仕事には実りは少ないことは自分を通してわかるので、できればそうはさせたくないと思ってる。

んで、ミスを犯したことにではなくミスをリカバリーできる人のほうがわたしは欲しいと思っている。
自分でミスを犯したと思う人はその対処を最初は他人に任せるけれど、対処法を自分のものにしたら、そのひとの仕事のできがレベルアップするから。
次はそれをレベルアップさせればいいの。
そうすれば発展できる力がつくし、自信をもって仕事をしてくれる。

「ひとは馬鹿だ」とおもっているひとは人を伸ばせない。その思いは行動にでるから、まさに苦手なひとには敏感に察して、きまずくなる。

「ひとはいいところと苦手なところがあって、わたしはこのひとの苦手をカバーできる」というひとが人の中身を強くする。わたしというひとも得意なことと苦手なことの両方をもっていると知っているから。

完璧主義者には、全てをうまくこなさなくとも人は生きていけることがわからない。濃淡を全て濃くしようとする。

ひとと仕事をするというのは、そういうことの積み重ねである。


じゃ、そういうことで。

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