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「愛」を思い出し「愛」に還るために

自我は、幼少期や成長期
本能的に、生存戦略的に
生み出された仮の人格の総称で

恐るべき事態を回避するために
「不安」から生まれた人格。

この人格を自衛的に演じ続けると
仮人格であることを忘れて
「それが自分である」と潜在意識は
認識します。

「愛されるには条件が要る」

というのが、不安から生み出された
全自我の共通項で

ただ、存在するだけで
「愛」そのものである(真我)

という「無条件」から
分離している存在なのです。


「不安」と「自我」の存在意義

不安や自我は、宗教的には
否定されることが多く

自己啓発業界やセラピー業界でも

「不安は捨てなさい」
「自我を手放しましょう」
 
と言われるけれど
そもそも、この世界は「相対」が
あるからこそ認識ができるワケで

不安や自我にも
存在意義があるのです。

不安は、愛を相対的に知覚するために
存在しているし

自我が生み出されるのは
自分が何者であるかを一旦忘れ

そして思い出し
再び愛へ還るための
この世界の完璧なシステム。

もし、わたしたちが
オギャーと生まれた世界が
ずーっと白夜だったとして

「暗い」が存在しなければ
そもそも「明るい」を認識できないし

「暖かい」を認識できるには
グラデーション的に温度差が
無ければ「暖かい」は認識できないわけで。

相対という名の「境界線」は
相反する存在を知覚するための
「優しさ」なのですね。


自我を「目的」ではなく「手段」にする

自我という仮人格を
「それが自分だ」という前提で
ガチで演ってるから、それが
制限になったり、天井になって
 
「その自分をやめたい」
 
と思うわけだけど
 
「それも自分の切り札の1つ」

という風に、仮人格を
「手段」的に活用していくことで
自我と健全に関わり合うことが
できる。
 
例えば「神経質」「ちゃんとする」
という自分が窮屈で嫌だ

 
という人は、その仮人格を
否定している間は、窮屈な状態を
続けることになるけれど
 
「神経質・ちゃんとする」という
人格を1つの切り札として、手段的に
活用することで、細やかな仕事が
できたり、人からの信頼を得たり
することに繋がるのです。
 
逆のことを言えば
「神経質・ちゃんとする」を
完全に消去してしまうと

デメリットだと認識している
部分だけでなく、メリットも消去し
 
役割そのものが消えてしまいます。
 
自我という仮人格を、手段的に
活用する、というのは
その自分(自我)への否定がなくなり
認めて受け入れるという「統合」を
表しています。


「統合」は愛へ還るプロセス

否定したり、その自分を辞めようと
するのは、エネルギー的に
「ブレーキ」をかけているのと同じで
 
ブレーキをかける、というのは
相対的に「アクセル」が存在するから
 
この時の自分というのは
アクセルとブレーキを同時に
踏んでいるようなもの。
 
だから、エネルギーの消耗を
起こしているのですが
 
そのまま、このままの自分を
ただただ認めて引き受け

仮人格も手段的に活用していくと

消耗することにエネルギーを
使わずに、本来の創造に
エネルギーを使っていくことが
できます。

この時のわたしたちは
純粋性(天才性)が拓かれ
未知の「可能性」が顕現し
 
本来の表現者としての
「わたし」を知覚します。

そのために
一旦、わたしたちは
何者であるかを忘れる必要があり
 
不安と自我をたよりに
自分が何者かを思い出し
再び愛に還ってゆくのです。


この世界の法則や
意識の構造などを理解し

純粋意識で表現者として生き
「幸福を最大化」する人を量産する
講座を4、5月に開催します。


#潜在意識
#愛
#この世界の法則


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