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#ゲームとことば 「連邦の偉大な緑の宝石、ダイヤモンドシティ」

こちらは、ゲームとことば Advent Calendar 2021の25日目の投稿となります。

まずは、それぞれお忙しい中この企画に参加してくださった上記24名の方々に御礼を申し上げたいと思います。ゲームのことだけでなく、皆さんの人となりを感じることができて、毎日ひとつずつ公開される記事を読むのが楽しみでした。

洋ゲー、インディー、TRPG…いわゆるテレビゲームのメジャー(AAA)と呼ばれるもの以外にも、ゲームには様々なジャンルが存在します。しかし何かきっかけがないかぎり、なかなか未知のシステムや媒体のゲームに触れる機会は少ないのではないでしょうか。私はゲーム翻訳に携わり、仕事を通じて様々なジャンルの魅力に触れることができました。この体験を皆さんにもおすそわけしたいなと思って、今回のアドベントカレンダーの企画を考えました。「ああ、わかる~」とか「え、そんなこともあるのか!」とか、楽しんでいただけていれば、うれしいです。

さて、私が選ぶ”思い出に残るゲームのフレーズ”は、『Fallout 4』より、
「連邦の偉大な緑の宝石、ダイヤモンドシティ」です。

「人は過ちを繰り返す」

思い出になる”ことば”というのは、やはり体験を伴うものだと思う。

『Fallout 4』の舞台となるのは、2287年のアメリカ、ボストン。大核戦争の結果変わり果てた世界で、コールドスリープ状態にされていた主人公はひとり目を覚ます。眠っていた間のうっすらとした記憶が確かなら、同じくコールドスリープ状態だった伴侶は謎の襲撃者に殺され、息子のショーンは拉致されてしまったようだ。

息子を探さねば ― 核による突然変異で巨大化したGを蹴散らし、眠っていた地下シェルターを抜け、ボロボロになった自宅の前で変わらず給仕を続けてくれていた執事ボットと会話する。自宅周辺には生きている人の気配がなく、執事ボットの助言に従って人がいそうな街の方へと向かう。(ちなみにこれがメインクエストのルートだが、非常に自由度の高いゲームなので、クラフトをやりこんだり、悪党ロールプレイに勤しんだりすることもできる)

コンコードに着く。レイダーたちが好き放題しているせいで、善良な人々が街の真ん中に建つ自由博物館の中に逃げ込み、そのまま最上階まで追い詰められているらしい。周りのレイダーを一掃し、会いに行く。ここで初めて敵対してこない人間に会えた。

よお、ガービー。

彼らの考えた”この状況を突破する作戦”を聞く。なかなか脳筋なやり方だったが、その作戦を遂行して、ようやくこの世界に生き残る人たちと落ち着いて話せる状況になった。

するとママ・マーフィーという、自称未来がよめる不思議なお婆さんが、あなたの息子は生きていると言う。
「実際に息子が見えるわけじゃないの。ただ… 生命力、エナジーを感じるの。どこかにいるわ。それに、どこを探し始めるべきかは、私がサイトを使う必要すらない。連邦の偉大な緑の宝石、ダイヤモンドシティ。この辺りで最も大きな共同体」

実は怪力ママ・マーフィー

要は、息子が生きているのは確実で、居場所はわからないが、この辺りで一番大きなコミュニティに行けという話らしい。

え???アメリカ文化で緑の街といえば、ダイヤモンドじゃなくてエメラルドシティじゃないの??と思いながらも地図を開いて場所を確認してみると…

一番左上がスタート地点で、点在しているマークがすでに訪れたロケーション。真ん中の下辺りの▽が、このマップに入りきらない下部に目標地点があることを示している。

遠い。
びっくりするぐらい遠い。
ここからどうしろというのだ。
でもまあ、パンくずが落ちているわけでもなく、下の方まで歩いていくほかない。

そしてこの時私は、広大なオープンワールドを前に、『Fallout 4』の魔法にかかったのだ。

点在するロケーションを見つけては、落ちているメモや端末、ホロテープ(この世界における記録装置。文字情報や音声などが記録されている)を調べる。それらの情報が息子の居場所のヒントとなることはなかったが、この2287年のボストンについて教えてくれた。

ヌカコーラにスクライブ、グロッグナック・ザ・バーバリアン…それを知っているのは当たり前だと言わんばかりに固有名詞がばんばん登場する。

グインネット醸造所というロケーションに置かれたターミナル。生き残ってはいなさそうだが、ここで働く人たちが確かにいたということを感じさせる。

最初は意味がわからなかったのだが、離れた場所で見つけた情報に関連性があったり、私たちの世界のボストンとも共通する情報があったりして、点でしかなかった文字情報は線となり、面となって、私はその中で心地よく溺れた。

書き置きをヒントに良いアイテムを入手し、幸せになれなかった恋人たちのログに心を痛め、コベナントという街では真実を見極めるために情報をくまなく探した。自ら情報を求め、そのひとつひとつに共感しては”あり得た事実”として消化しながらプレイしていた私は、ダイヤモンドシティの近くに来る頃にはもう、この世界を生きる立派な一員となっていた。

たしか、「今日はそろそろ、ダイヤモンドシティまで行ってみよう」と思いながらゲームを立ち上げた気がする。メインクエストの目的地に到達した私は、なぜ街がその名で呼ばれるのかを発見した。

私たちの世界では、ここにある建物はフェンウェイ・パークと呼ばれている

ダイヤモンドシティとは、90フィート四方のフィールドを擁する、私たちが野球場と呼ぶ建物の中に作られた街だったのだ!

衝撃だった。「連邦の偉大な緑の宝石、ダイヤモンドシティ」は、限りなくあり得ないが、限りなくあり得る。

何が言いたいかというと、私たちの今いる世界が大戦争で核に汚染されるというのはあり得ないと思うのだが、地表で暮らすのが厳しくなって文明が危機に瀕した時に、高い壁があり中が開けている野球場が砦となってそこに人々が住まい、野球が忘れられても何らかの伝承で”ダイヤモンドシティ”という名前が付けられ、”緑の宝石”という通り名で呼ばれるというのはあり得ると思うのだ。

この体験がダメ押しとなって、私は寝食を忘れる勢いで『Fallout 4』にハマった。言葉で書くと嘘くさくなるが、私が連邦で過ごした時間は本物だし、連邦の偉大な緑の宝石、ダイヤモンドシティが存在することは、私にとって歴史的事実である。

『わかりやすい英語冠詞講義』の中で石田秀雄氏は、Oliver Grannis氏の「唯一性に関する共謀」(conspiracy of uniqueness)を取り上げ、受け手が指示対象を唯一的に同定しているはずだと判断している書き方を作者があえてすることにより、読み手は作者と共謀して「その指示対象がいったいどれであるのか、あたかも初めからわかっているかのごとくふるまわなければならない」とし、「このような形で作者との共謀をはかることによって、読み手は物語の中に一気に引き込まれていくことに」なると説明する。

少し小難しい話になったが、SF小説などに見られる手法で、受け手の知らない空想上のこと(新情報)を公然のもの(旧情報)であるかのように描写することで、受け手はそれを前提事実として受け入れることになり、それが受け手と作品との間の距離をぐっと縮める仕掛けとなるということだ。

『Fallout 4』の場合も、単純にゲームとして面白いというだけでなく、ゲーム上の数々の”設定”を旧情報として私が受け入れたことで、物語に入り込むことができた。この主体的な共謀による没入体験は、美麗なグラフィックでも複雑なインタラクションシステムでもなく、”ことば”の助けなくしては成立しないものだと思う。

私はナラティブなゲームが大好きなのだが、今考えてみると、それはこのような没入体験が好きだからかもしれない。翻って翻訳者としては、こういった”ことば”の役割が取り立てて話題になることは少ないと思うが、これからも愚直に、素直に訳していくことを心がけたい。

今年もいよいよあと6日。来年は、どんなことばに出会えるだろうか。

それでは、皆さん

ハッピ~ホリディ~!!!

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