ヤングケアラーの価値、そして違和感

シンプルに疑問なんやけど、よく聞く「ヤングケアラーの価値が認められる社会」ってどういうことなんだろう。

たとえば違う言葉に置き換えると、「女性の価値が認められる社会」とか「高齢者の価値が認められる社会」とかになる。

個人的に、人に対して「価値」っていう言葉をつかうこと自体にとてもモヤモヤする。
なぜなら価値判断を下すのはいつも強者から弱者に対してだから。元々価値を感じているものに対してはこういう言い回しはしないであろうことを考えると、なんだか反発したい気にもなる。

自分がヤングケアラー時代に感じていた「なんとかしてやらなきゃ」「導いてやらなくては」という大人の上から目線が、そしてその奥に潜む支配欲が見え隠れする。

めちゃくちゃ当たり前で言葉にするとクサいかもしれないけど、ヤングケアラーに限らず、人は生きているだけで価値のある存在だと思う。
それは、病状が重くなって身体が動かなくなった母に対して、「生きてくれているだけでいい」と心の底から何度も願っていた経験があるから言えることだ。

人が人の価値を判断すること自体がおこがましい。そんなふうに感じながら、自分は「あのとき自分が違和感を抱いた大人」にはならないでおこうと心に決めるくらいしかできない。
わたしは、昔のわたしに誠実でありたい。
子どもの、若者の頃の自分が出逢ったらよかったと思ってもらえるような自分でありたい。

本当にしんどい時、必要なのはジャッジやアドバイスではなく寄り添いだった。今でも強く、そう思っている。

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