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伝えよう。個性は自分で気付けないから

「それって才能よ」

22か月毎日毎朝、例え旅に出てもやっている習慣に対し、尊敬するセラピーの先生から思いがけない言葉のプレゼント。

才能という言葉の重みにたじろいでいたところ、先生は続ける。

誰に言われるでもなく始めて、それを続けるって誰もができるわけじゃないのよ、と。

さすが、個性を見極めストレートに伝えることに長けていらっしゃる。

でもたしかに、年単位で続いている習慣がある人は、周りにあまりいないかもしれない。少なくとも、家族にはいない(知らないだけ?)

人生の大先輩でもある先生に言っていただき、喜びもひとしお。素直に嬉しい。

そして同時に、思う。
わたしもどんどん伝えようと。

なぜなら本人は、当たり前すぎて気付けないのだから。

才能というとハードルがあがるけど、強みやチャームポイントだっていい。

比較が苦しみを生むことがある一方で、唯一無二の存在である自分の価値に気付くには、比べることが手っ取り早い。

そもそも違いがあるからこそ、手を取り合えるのだし。
わたしがいくら孤独好きでも、そこんとこはわかっているつもり。


年を重ねるにつれ基礎代謝をはじめ、落ちるもの失うものを数えだしたらきりがない。その代償ともいうべきか、経験や知識が蓄積されることにより視点は増え、見る目も段々と養われてきている。

職場は年下の方ばかり。年齢差別をするつもりは全くないけれど、それでも性別問わず、みんなかわいい。年の功を活かし(決して上から目線ではなく!)、「いいな」と思ったら伝えることを意識するようになったのはここ1年ほど。

パーツ、資質、存在感そのもの。
とにかく気付いたら言葉で伝える。褒めちぎる。

そしてわたしは嬉しくなる。

大体本人はハッとするし、そういえばと過去のエピソードを語ったりしてくれる。

やっぱり自分だけで気付けないこと、多いよね。

続けることがいいわけでなく、飽きることが悪いということでもない。

大事なのは、どちらがいい悪いでなく、それが個性というものだと受け入れられる度量。まあここが一番難しかったりするのかな。

とまあ、わたしも所詮人間なのでジェラシーを感じて口にできないことももちろんある。

気付いているのに伝えられていないことがあり、試されている気分。

次に会ったら褒めちぎろう。
足のかかとの上の骨をつい見てしまう自分も自分でちょっとオモシロイ。

そしてその子は、そんなニッチな自分の美しいパーツに絶対気付いていない。

喜ぶ顔はすでに浮かんでいる。



憧れの街への引っ越し資金とさせていただきます^^