自分を好きでいてあげたい
自分が大嫌いという母のもとで育ちました。
しかもただの大嫌いじゃなくて、
「大っ嫌い!」
だそう。
声を大にして、悲劇のヒロインになりきってよくそう言い放っていました。しかもそういう言葉を吐く時の表情は、醜いことこの上ないもの。それを見ているのも嫌だった。
さらに恐ろしいのは、
子供は親の真似をするということ。
だからずっとわたしもそう思っていました。
自分のことなんて大嫌い。
それが正解だと。
それが大人だと。
完全に植え付けられてしまった。
するともう、負のスパイラルです。
人の不幸は蜜の味となり、幸せそうな人が妬ましくなる。
母は、無意識に運命共同体を形成していたんです。
家を出るまでの25年間、まるでセメントを飲み続けてきたように重かった心と身体。
親という近しい他人の影響は計り知れません。
自立してやっと自分とじっくり向き合う時間ができました。
あんな風になるのは、まっぴらごめんだ。
上に向かっていくと腹をくくり、それなりにもがきました。
現状を抜け出したいと思って行動をしていると、必ず解のようなものにぶつかります。
自分を粗末に扱えば、周りからも同様に扱われてしまう。
その真理に直面した時、全てが腑に落ちました。
学校も親も教えてくれなかった、自分を受け入れることの大切さ。
だけどお腹の中のセメントはすっかり固まり、除去作業は一筋縄ではいきません。少しづつ焦らず。
そんな親の元で育ったなんてかわいそう?
以前のわたしはそう思っていました。
だけどここはあえて発想を転換。
「自分が大っ嫌い」な人が見る景色を見たことがある。
自分を大切にできない人の周りには、愛が育たないことも知っている。
視点を与えてもらったのです。
母のことも、
そういう一面があった
と思えば、全否定せずにすみます。
こうした思考を手に入れられたことも、ラッキーかもしれません。
ただ、これだけは言えます。
自分のことは好きでいてあげよう。
その難しさ、分かります。
わたしは「愛しています」と口にして自分を抱きしめ続けました。嘘でもいいの。でも言葉には魂があるからね。
そうすると変わっていきます。
出会う人、環境が。
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