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日記『変身』

思えば、自分以外の何者かになりたいと思い続ける人生だった。幼少期はファンタジーの世界に陶酔し、青春はボーカロイドとハリウッドの世界に捧げ、現在はその他にもアニメやVtuber、KPOPなどに心酔している。自分の世界からは離れた世界を好きになる理由は「羨望」以外の何者でもない。自分という存在をありのままで愛せるかと尋ねられるとそれに肯定することのできない自分がいる一方で、自分という存在が嫌であるかと言われれば、即答で嫌だと答えるほど自分の存在に対して価値を見出せない訳ではない。至極面倒な人間であると自分自身を認識している。

初めて創作物に触れたのはいつだろうか、幼少期の記憶の中で最も古いものはやはり『ハリー・ポッター』である。この作品によって育てられたといっても過言ではないくらい、人生においてこの作品が占める割合は大きい。幼少期の私にとってこの世界は、自分とは全く別物の世界であって、しかしながらもしかしたら自分も11歳になったらホグワーツへの入学の便りが来てあの世界へ足を踏み入れることができるのかもしれないという希望を抱かせるものであった。自分と同じ子どもたちが自分と同じように学校に通っているはずなのに、見たこともない真っ黒なローブに身を包んで、杖を握って魔法を使い不思議な世界の中で様々な困難に遭遇していく。次の日目を覚ましたら、今読んでいる本を閉じたら、そんな何か小さなことがトリガーとなってもしかしたらあの世界に入り込めるような、そのような気持ちにさせてくれる作品だった。

漠然とした現状の自分への不満と他者への羨望が「変身願望」へと昇華されていくその過程を明確にしたのはVtuberの存在だろうと思う。メタい話にはなってしまうが、自分の好きな見た目で自分のやりたいこと、自分が表現したいことを公にしていく、その姿は私の中の「変身」のあり方そのもののような気がした。「自分」という存在を見てほしいという自己承認欲求、それのノイズになってしまう外側の「自分」を切り離す、自己表現の場として私はあの世界に羨望の眼差しを向けつつ楽しんでいるのだと思う。もちろんその過程で悩みや葛藤、不快に思うことも多々あるだろうが、それでも私にとっては「羨望の場」なのだ。

最後に私の好きなVtuberの楽曲『ヘテロスタシス』についてメモを残しておこう。ヘテロスタシスは、成長、変化、自己実現しようとするものであり、今とはちがうものになろうとする動機、という意味の言葉である。自分にとってのヘテロスタシスは何だろう。まだこれを言語化できるほど自分の中で煮詰まっていないし、ここで簡単に一言で表現できるようなものでもないのかもしれない。ただ、私の抱く変身願望の正体とその変遷は今のところこのような道で進んできているようだ。これからもっと煮詰めていってその結晶を見つけることができるのを楽しみにも恐ろしくも思っている。

2021/09/10