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猫に小判な自転車のはなし

同じものを見ても見る人が違えば、その感想も違ってくる。僕が感じているのも、それに近いことかもしれない。

さて、相変わらず僕の自転車選びは続いている。僕が望むのは、尖った性能ではなく万能性があってスタンダードなもの。
週末に気合いをいれて乗るような予定ではないので、レーパンやジャージを着るつもりはない。ビンディングペダルも使わない。普段着で買い物にも行けるようなカジュアルな車体が良い。

所有していて心が満たされるようなものであれば更に良い。車体を眺めてうっとりしたい。まあ、今のBMXでも時々眺めて「うーん、悪くない」等とやっているので、僕の求めるレベルはそんなに高いものではない。

若い頃働いていた職場は室内にバイクを入れられたので、暇がある日なんかは部屋の中に自分のバイクや自転車を入れて、それを眺めながらコーヒーを飲んだりしていた。我が事ながら「ちゃんと仕事しろ」と言いたいが、あれはかなりいい時間だった。

それで本題としては、僕の希望に合いそうな自転車は意外と少ないのだ。

これはバイクを選んでいた時も同じだったけれど、最近の商品って妙にスポーティーじゃないか?って思う。

それは車体構成だったりグラフィックだけだったり、それぞれに多少の違いはあるものの、『スポーツ感』的なものが根強く根底にあるように見受けられる。

もちろんバイクも自転車も、広義的にはスポーツに属するのは間違いない。というか狭義的に見てもスポーツなので、いくらかスポーティーなのは仕方がない。でも、もう少しシック、シンプル、カジュアルな選択肢を増やして欲しいな、とも思う。靴だってランニングシューズや登山靴以外にもスニーカーやトレッキングシューズがあるんだし。

もちろん気合いの入ったレーシングモデルがあるのは夢があって良い。でも、それらのモデルはすぐ時代遅れになる宿命にある。自転車の場合は、様々な規格のアップデートがあって、ステム、ブレーキ、アクスル、BB等、次から次へと新規格が現れる。そしてそれらは一般ユーザーには特に恩恵がなかったり、新しいものが必ずしも良いとは限らない。新しくメーカーが作るものはどうしても挑戦的でオーバースペックになりがちなのだ。

なので僕は、枯れた技術で作られた自転車が良いなあと思っている。スポーツマインドではなく工芸的な精神で造られたもの。

ただし...
新しい規格が出てくるということは、過去の規格や材料では強度や柔軟性、部品同士の相性、精度の点で不充分な面があったということで、それはそれで僕の中の機械屋の部分が非常に気にしたりする。自分にとってのスペックとして気になるというのではなく、ひとつの真理、サイエンスとして知っておきたい、理解したいという気持ちがある。

まったく悩ましい事この上ないのだ。

とはいえ、僕みたいな中途半端な自転車好きに、過ぎた車体は豚に真珠、猫に小判なのも、よーく判っている。

あー、楽しいなあ♫



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