奴隷気質

自分が「奴隷気質」だと考えたことありませんか?

久しぶりに投稿させていただきます!それなのにわけのわからない言葉から始まり困惑している方もいると思います…すみません

この言葉は私の付き合っている人に言われた言葉です。

突然、奴隷気質なとこがあるから、他の人に同じようにその感じだと嫌だなって言われたのです。

ただ、その言葉を聞いたときに私としてはすんなり腑に落ちるところがありました。

なぜなら、自分に対して自信がなく、相手の顔や反応を気にして相手の望むような行動をすることを常に意識して行動していたからです。

それを彼は「奴隷気質」と表現したのです。

確かに、一見すると優しくて感じのいいひとと見えるかもしれません。

でも、本当はその人のためになっていなかったり、気休めの優しさのはずなのにいつもやり過ごすためだけに優しい人を演じている。そんな自分が嫌でした。

ただ、それがいいことであり、そうすることが当たり前でした。

私のそうした行いは幼いころはいい方向に働きました。

学校の先生や友達の親にはいい子として映り高い評価を得ることができたのです。そのため学校生活では優秀な子として扱われていました。

しかし、それは単に親や学校に都合のいい存在だっただけなのです。

優秀な生徒=学校にとって都合がよい子、迷惑をかけない子

聞き分けのいい子=邪魔をしないで、指示に従う子

この構図にまんまとはまってしまったのです。

この考え方が正しく、いいことだと考えていた私はその後苦しむことになります。

・自分で考えて行動することが苦手

・指示待ちになってしまう

・やりたいことが見つからない

こんな壁にぶち当たるのです。

それも当然のはずです、私の持つ奴隷気質という考え方には自己打開能力や自己欲求は悪だと考える一方で、指示遂行能力や物事の調整力こそ必要な能力だと考えるからです。

学生の頃は絶対的権力者の要求に沿うように奴隷気質を利用してうまくいきました。

例えば、学校では先生、家では親、バイトでは上司の指示や要求に従えば悪く言われることはありません。

しかし、それを望んでいる時点でもはや自分という人間はいません。

では、その絶対的権力者が指示をすることを放棄したら?指示する者がいなくなったら?

なにも行動指針をもたない奴隷には成す術がありません…

もちろん、責任転嫁をするつもりでこの記事を書いているわけではありません。あくまでこういった気質があるのだと気づけたことで改善することができるのではないか。そのために言葉として残すこと新たな発見があるのではと思って書いています。

「優しいね」「いい人だね」という言葉は誉め言葉として普段使われます。

しかし、それには違和感を感じていました。それはおそらく相手に対して優しさを持って行動していたわけではなく、上記のような気質のせいでそういう行動をとらざるを得なかった結果だったのです。

それが人には優しさと映り、いいことだとの勘違いを起こし、奴隷気質を助長してきてしまったのだと思います。

奴隷気質の症状が進むにつれて言われたことがあります。

「前より優しくなくなったね」

多分これは優しくなくなったのではなく、その人にとっての都合が悪い行動をするようになったためそう感じたのだと考えられます。

今は奴隷気質というのを知り、そう理解することができますが、当時はその言葉を自分が変わったことがいけないことなのだと感じていました。

自分自身が本心で誰かの役に立ちたいからやるのか、誰かのために役に立たなくちゃいけないからやるのか、その違いは大きいです。

今まで私は誰かのためにやらなくちゃ、誰かが指示するから、誰かが望むから動かなきゃという思考でした。

でも、それでは本当の人助けも、本当の優しさも持つことができないと知りました。

これからは誰かを助けたいから、誰かの役に立ちたいから、そしてそれをやりたいからやる。

そんな思考を軸に行動したいと思います。

改めてこの記事が奴隷気質が少しでもあって悩んでいる方に届くことを願っています。

また次回の記事でお会いしましょう!

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