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コミュニケーションって難しすぎ

俺は自らの怠惰と受動性によって同世代の普通の人間が積み重ねてきたコミュニケーションを積まずに生きてきてしまった(とくに異性との)。
それを取り返すべく様々なことに自分から取り組みコミュニケーションの練習を行っている。
しかしそこで学ぶことはコミュニケーションの奥深さと難しさであった。

ネットに多数ある「会話テクニック」

インターネットで調べてみると数えきれないほどたくさんの「会話テクニック」が存在する。
怪しげなナンパアカウントから有名ユーチューバーまでその発信者は無数だ。
その中身を見てみると言い方は違えど内容は似たり寄ったりになっている。
しかしこれらのテクニックに根幹となる前提条件が存在する。
それは「相手が自分との会話に興味を持っていること」だ。

共感だの質問だの話題提供だのツッコミなど…それらの技法は全て相手が会話自体に興味を持ち積極的に話してくれることが前提となっている。
そもそも興味を持ってもらうためには自分と言う人間との会話が相手にとって価値あるものであると印象付ける必要がある。
つまり「おもしれー奴」にならなけれならない。
ここにアドバイスを発信する人たちとアドバイスを必要とする人たちの間の誤謬が生じているのではないかと感じる。

「おもしれー奴」になる難しさ

ではおもしれー奴、会話の価値があると思われるにはどうするべきか。
例えばユーモア、自分が出会ったコミュニケーション強者たちはユーモアを交えて相手を笑わし、面白い人であるという印象を付けていた。
これに関しては非常に難易度が高い上、こなしている人達がいかに多くの人と関わり対人経験を重ねてきたかが伺える。
別の例では頼れる存在になることだ。受験や就活のような人が不安になりやすい時期にアドバイスをくれてサポートしてくれる人に対しては会話の価値があると思われやすいだろう。
学校の先生や塾講師が教え子から好意を持たれるというのは何らおかしな話ではないのだ。

長々と説明したがこれらに共通しているのは「自分とお話することや仲良くなることでこんなメリットがありますよ」というのを相手に端的に示さなければならない。
では本題に戻ろう。

会話でのテクニックや恋愛でのテクニックを欲する層の多くはコミュニケーション弱者であり恋愛弱者だ。
当然だが彼らの話は面白くない。
嫌われたくない、傷つきたくないという自分本位な考えと単純な対人経験、日常生活におけるイベントの少なさからつまらない話や話題振りしかできない。
そんな彼らに提供できる価値など何もない。
「おもしれー奴」にはなれないのだ。

ネットに転がる多数の会話テクニックは最低限このハードルを乗り越えたことを前提として書かれている。
前提と言うか、当たり前のことになっている。発信者たちにとっては。

クロールの泳ぎ方を教える前にまず水に顔を付けられて浮くことが求められるように、古文の解説をする前に最低限の古典文法を身に付けておくことが求められるように、コミュニケーションの指南においても最低限乗り越えるべきハードルがある。
それすら持ち合わせない者が小手先のテクニックをいくら身に付けようが付け焼き刃に過ぎない。

会話の「キャッチボール」

会話のキャッチボールという表現を聞いたことある人は多いだろう。
改めて考えるとシンプルながら秀逸な表現であると思う。
キャッチボールで求められるのはお互いが続けようという意思と相手の受けやすいところに投げてあげる気づかいだ。
会話テクニックを聞いただけコミュニケーション弱者たちが行う会話のキャッチボールは相手に受ける気も無ければこちらに相手の受けやすいところに投げようという思いやりも技術も無い地獄の光景だ。
話題と言うボールは明後日の方向へ行きそれを自分で拾いに行く。また投げては見当違いの方向に行き拾いに行く。これを繰り返しているようなものだ。
俺はこうした独りよがりな会話を何度も行い相手にうんざりされてしまった。

「おもしれー奴」になろう

ではこうしたコミュニケーションへの取り組みは無意味なのか。否、そんなことはないと思う。
ただ自らが持つ力が脆弱過ぎて土俵にも立てていないのが前提だ。
ではどうするべきか。「おもしれー奴」になるしかない。
こうした日々のなかで一つ学びがあった。
新しいコミュニティでの経験は既存のコミュニティでの話草になるということだ。
会話のネタが増えるので話題には事欠かない。
話が面白い人間になるには日常生活を充実させることが一番の近道なのだろう。
実際俺の出会ったユーモアのある人たちも周りに友人がたくさんいて面白い経験をたくさんしていた。
もちろん誇張しているところもあるのかもしれないが口達者な人というのは嘘も交えながら上手に語るものだ。
自分という人間がつまらないから友人が少なく恋人もいないのではなく、友人がたくさんいるから様々な経験を通して面白い人間になるのかもしれない。
コミュニケーション能力というのは自分という人間そのものや日常生活に相互に影響を与えていることを学んだ。

「おもしれー奴」になるためにインドに自分探しの旅にでも行きますか…

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