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「VTuberの哲学」研究を始めて

こんにちは。東京大学の山野弘樹です。

しばらくNoteの方には投稿しておらず、情報発信の手段としてはTwitterの投稿に比重を置いていたのですが、ホロライブプロダクションのVTuberである赤井はあとさんのメン限ブログに触発を受けて、自分も少しずつ、こちらの方でも文章を書いていこうと思いました。

最初から脱線してしまいますが、はあちゃまって本当にエネルギッシュな方だなぁと思います。あの姿勢を観ていると、いつも元気を貰えます。今回の文章も、はあちゃまから触発を受けてのことなので……。

さて、それではタイトルの件について、少しだけお話したいと思います。

「VTuberの哲学」という役割分担

僕は「VTuberの哲学」という分野の研究をしています。もちろん、僕よりも前に哲学的な観点からVTuberという存在について書いている方々はおられます。あくまで自分は「VTuberをテーマにした哲学の査読付き論文が初めて受理・掲載された」という点において、「最初の人」なのかな、と思います。
(観点に応じて「最初」というものは常に変わるものだと思っています。)

「VTuberの哲学」ということなので、担当としては、「哲学研究者の視点からVTuberについて論じる」という仕事を行っています。これは、大学で言うところの「哲学科」の人に該当する役割分担だと思っています。

もちろん、「VTuberの歴史学」、「VTuberの社会学」、「VTuberの経済学」……いろんな学術分野が想定されます。その中で、私はあくまで一哲学研究者の観点からVTuberについて研究している人、という位置づけになります。
(私も必死にVTuberの歴史については勉強しているのですが、なにぶん情報量が膨大すぎて、かなり大変な思いをしながらVTuberの歴史の勉強をしています。そんな中、歴史に詳しい方々にはいつも助けていただいています…。本当にありがとうございます。)

では、哲学研究者として行える仕事は何なのか?
例えば、次のような問題提起があります。「ある対象Aはいかなる条件Xを満たすときにフィクションとしての性質を付与されるのか?」。これについてはいろいろな回答の道筋があるのですが、哲学という学問は、基本的にこうした根本問題について考えるものです。

上述の問題に答えることが、ある特定の視座から「フィクションとは何か?」という問いに答えることに繋がります。そして、こうした問いに立場を与えた上で、ようやく「VTuberがフィクショナルな性質を有している(と言われる)ならば、それはどのような意味においてなのか?」という問いに進むことができるのです。

今のはあくまで一例ですが、例えばこんな風に、哲学研究の視点からVTuberという存在について議論を構築することができると思っていますし、実際そのように学術論文を書いています。

「VTuberの歴史学」、「VTuberの社会学」……そうした研究分野に支えられながらも、それらの分野の研究に貢献することもできる。そのような相互補助的な役割分担を、私は日々感じています。(いかなる研究も一人ではできませんので…。)

二つの層に届いている実感

さて、「VTuberの哲学」を私はこのように考えてるのですが、こうした研究を始めてから、私の日々の情報発信が次の二つの層に届いているなという感覚を得ることができました。

一つは、「VTuberのリスナー」です。やはり扱っているのがVTuberの事例なので、ここに関心を持つ層にまず届いている実感があります。

そしてもう一つは、「哲学に関心のある読者」です。「VTuberの哲学」は松永伸司さんの『ビデオゲームの美学』をモデルとしつつ、基本的に分析哲学の手法で書かれているので、やはり哲学が好きな方々からも興味を持っていただいているようです。

こうした二つの層に届いているとき、何より嬉しいのは、この二つの層の方々の間である種の「合流」が起こることです。

一番分かりやすいのはTwitterのスペースです。現在までに2回ほどスペースを行っているのですが、その参加者の顔触れが、リスナーの方々と、哲学勢の方々、両方含まれているのです。こうした光景を観れるのはとても嬉しいことです。

また、さらに嬉しいのは、「これまで哲学書なんて一回も読んだこと無かったけど、初めて『フィルカル』(※哲学の学術誌)を買った」というツイートや、「これまで全くVTuberを観たことがなかったけど、山野さんの研究から興味を持って観たらハマった」といったツイートがちらほら観れるようになったことです。

これが本当に嬉しくて、今まで自分がいろいろと活動してきた中で、最も「伝えたい層に伝えたいことが届いているな…!」という実感を得ることができています。

僕は、哲学にも、VTuber文化にも、双方に大きな魅力と意義を感じています。だから、その二つの領域を接続することで「見えてくるもの」があるとするならば、その景色を、ぜひ多くの方と共有したいと思っているのです。


はあちゃまに触発を受けて、自分もこうした文章を書いてみることにしました。何か情報提供をするというものではないのですが、こうした考えで僕が「VTuberの哲学」の研究を行っているということを少しでも多くの方に知っていただけたら、大変嬉しく思います。

これからも定期的に書いていくと思います! また、新しいことに挑戦する元気をはあちゃまから貰ってしまいましたね。

最後まで読んでくださいまして、本当にありがとうございました!

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