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目的と仲間とコミュニケーション

 タウリは初めて1人仲間を連れてプロジェクトの集まりに来ていた。私たちはタウリとその仲間を見て初めて彼らの見かけの特徴を感じた。それは私たち地球人と違うという傾向が二人以上いることで顕著になったものだった。顔の特徴はライオンやピューマなどの大型のネコ科の動物に似ている。鼻筋が太い印象だ。眉間から鼻先まで高く太い。背が高い。漂う雰囲気は非常に柔らかいが、意志の固そうな印象を受ける。

 私は手を挙げて質問した。

「見かけは何か地球にいるために変えているのですか?」

「はい。私たちの星よりも光源からの距離が若干近いため、対応できない光線をカットできるフィルターを目に装着していますが、色も地球人の目の色に見えるように変えています。皮膚も体毛も同様です。また、私たちの星では大気の成分構成が違いますので、鼻に特殊フィルターを装着しています。私たちの体は効率よく酸素を吸気でき、対応できないガスを処理する鼻腔を持っていますが、地球は酸素が多すぎて酸素中毒を起こしてしまうため、フィルターを鼻の穴の入り口付近に付けています。そのほか体の形や指の数などはほぼ同じでした。重力がほぼ同じだったということに関係があるようですが、他の仲間の方が詳しく、私はよくわかりません」

「ありがとうございます。それから、教育について教えてください。私たちは小さな子どもは何も知らないと考えていて、家庭や学校で教えることにしています。あなたたちの星でもそういうものはありますか?」

「あります。子どもたちは物質として存在する以前の記憶をたくさん持っていますので、私たちはそれを覚えている子どもたちから教えてもらっています。一方で、大人たちは物質界の危険や仕組み、体の使い方やメンテナンス方法などを教えたり、いずれ忘れていく非物質界の思い出し方、身体を持っていても一体感を感じるための場の作り方などを教えていきます。私たちは身体を持ったことに失望しないための出来る限りの教育を、年令に関係なく楽しく学び合うという教育をします。教育も満足を感じながら我々が生きるためのツールのひとつでしかありません。すべての思想、すべての言葉、すべての行為は、私たち自身の悦びのためのツールとされているからです。何度も言ってうんざりするかもしれませんが、個人だけが感じられる喜びではなく、皆で感じることができる悦びです。うしろめたさや劣等・優劣感や恐れや恨みなどの感情が紛れ込んでいない選択ができたという悦びという表現もできるでしょうか」

「その区別はどのようにやっているのですか?」

「安心して満足している自分の状態です。変に興奮しない、落ち着いた悦びの感情です。それを自分で感じ取れるかどうかで区別できます」

「でも、自分がやりたいことが必ずしもほかの人もやりたいこととは限らないですよね。意見がぶつかるのはあなたたちの星でも同じでしょう?」

「私たちの星では人間の存在を理解する哲学や概念が地球と違っています。私たちは自分たちを体の乗り物に乗るために分割された全体の一部として捉えています。自分がどんな乗り物に乗るかを決めて乗ったのだというように理解しているのです。だから死ぬというのは、乗り物から降りるということだと考えています。では、なぜ乗るのかといえば、乗ってやりたいことがあったからです。やりたいことがあって生まれてきたのだから人間として存在するということは欲そのものなのです。その欲が何人も何人も関わっていれば葛藤や軋轢が生まれるのは当然です。それぞれ体験したいことがあり、そのための最善を求めて生きているのですから。とはいえ、個々の存在の前に私たちはひとつであり、かつ、個々になっても影響し合っていて決して切り放すことはできませんから、個々人の欲が各自にとってどれほど大事かを思いやることができます。ただ、身体としては物理的な距離に大きく影響されます。だからもし、個人が近くの相手の欲に合わない欲を持っていた場合、役者や選手を変えるように、同じような欲を持ってそれを実現しようとしているグループに所属するようにします。私たちの星では、それがどんなに相手にとって良いと思われることであっても、自分の欲によって相手の生きる目的を変えることは、その人の尊厳を損なうことになると考えられているからです。逆に自分の欲を相手のために変えることも自分を尊重しないことになり、自分を尊重しない人は嘘をついているのと同じであるため、私たちの星では違和感を発する人として認識されてグループのメンバーから率直に指摘を受けます。また、私たちは合わない欲のグループに属しているよりも、合う欲のグループに所属していた方が安心と満足と親密さを持てるということを経験的に深く理解しています。地球人には驚かれるのですが、私たちは血のつながった家族というものにまったく固執しません。小さな子どもが自分の感覚に従って自ら血のつながりのない別の保育者を選ぶことがよくあります。また、住む地域や文化も選ぶものであって伝統にも固執しません。私たちの意識は常に自分たちが作り出す新しい世界に向かっているため、過去を懐かしんでも守ろうとすることはありません。新しい実現したい未来のために力を合わせられ、信頼できる人たちとつながり、共通の目的のために生活をともにします。そういったグループの中で共通の目的のために意見がぶつかるのであれば、それはよりよいアイディアのための議論であって、それぞれの意見の持ち主の正しさの証明のための議論ではありませんので、誰も嫌な気分になることもなく誰も驕った気分になることもなく、非常に活発に議論がなされます。そしてその議論はお互いの最善のためにされていると自覚されているため、議論そのものがとても楽しく、生き生きとした悦びに満ちています。私たちの目指している社会は、地球人から見るとドライで冷たいように感じるかもしれませんが、実際には思いやりにあふれ、同じ目的に向かって安心して信頼し合って人生を楽しめる仲間のいる社会です」

「じゃあ、しがらみなんていうものはないんでしょうね。理屈ではそうだけどなかなかそうもいかない、なんてことを言う人は一人もいないってことですね。いいことしかないように聞こえるのに、実際に慣れ親しんだ親や兄弟と離れるなんてなんだか寂しい気がします。食べ物や言葉が違うところへ行くのも難しそうです」

「地球ではインターネットというインフラがあり、そこから情報を得ることができますね。また飛行機や自動車といった機械もあり、物理的な制約もだいぶ解消されているように見えます。自由に自分の理想に適う人々とつながって理想の実現ができるときに、それをしないのは寂しさのせいなのですか? 完全につながりを切ってしまう必要もありません。私たちの星でもつながりを断ち切ることはありません。お互いを尊重するための選択肢のひとつであり、生きている目的が違う者同士が思い通りにしようと争うよりも、お互いの幸せと満足を思って少し離れるという、愛のある選択肢だと私たちは理解しているのです。寂しいときや会いたい時は、そのことを自由に相手に表現します。相手を思って離れているのですから、愛情を伝えていけない理由がありません」

 タウリとその仲間は両手の手のひらを祈りの時のように合わせて、軽く目をつぶった。

「このように、心を静かにして意識をその人に向けると、強弱はその人の感度にもよりますが、ちゃんとその人には愛情が伝わります。これを、地球の人々は祈りと呼んでいますね。私たちはコミュニケーション手段のひとつと捉えています。思念もコミュニケーションのツールです」

「昨日、この人から思念が送られてきたので、私はここに来ました」

 タウリの仲間はそう言って、にっこりと笑った。タウリは女性だが、仲間は性別があまりはっきり分からなかった。彼か彼女かわからないその人がほほ笑むと、会場の貸会議室全体がふわっと柔らかい空気で満ちたように感じた。それは安らぐ温かさにつつまれたような感じだった。自分の体の緊張が解けたようにすら感じた。

続く

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