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vol1.(6)新聞と子どもと私

新聞は私にとって生活の中でなくてはならない存在だ。
スマートフォンの普及で、年々購読者が減ってきているが、新聞だけはなくならないで欲しいと願っている。

私の富士登山のきっかけはある日の新聞記事を読んだことでした。

その記事について書く前に、長い文になりそうですが、新聞と子どもと私 をテーマに書きたいと思います。


私の父は新聞をよく読んでいた。特に土日の休日には一週間分をまとめて読んでいたりもした。
私は小学生の頃から父が読みやすいように、一週間分を日付けを確認して揃えてあげていた。
私が大人になる頃には父から「新聞を読みなさい」とよく言われたものだ。

でも、私は新聞を触ると、手が真っ黒になるのが嫌で、全く読まなかった。
そんな新聞もいつのまにか、インクがつかないようになっていた。
印刷、製紙、インク会社の方の研究のおかげですね。

そんな私が新聞を読み始めたのは、
妊娠7ヶ月で仕事を辞めて家で一日中過ごすようになってから。
仕事を辞めるまでは毎日一日中家にいるなんてことはなかったから、
もう暇すぎて時間を持て余していた。
だんだんお腹も大きくなっていく身体で、自由に外出する事もできず、新聞を読んでみる事にした。

私はすぐに新聞の虜になった。
当たり前だが、新聞には、毎日様々な記事が掲載される。一面から丁寧に読んでいくと1時間なんてあっという間に過ぎる。
読み終える頃には、私はいったい今日は何人の方の話を聞いたんだろうと思うくらい、
まるでたくさんの人とお話しをしたような気分になった。
そんな感覚は初めてだった。
その頃、誰ともしゃべらず、ただ、彼の帰りを待つだけの日々で、赤ちゃんが産まれてくる楽しみはあるもののどこか、世間から取り残されたような何とも言えない寂しさがあった。
そんな私を救ってくれたのが新聞だった。

それから、毎日朝ごはんを食べながら新聞を読んでいた彼と記事についてよく話すようになった。

子どもが生まれた後も新聞を毎日読み、
朝ごはんの時に彼と記事について少し話す時間が楽しかった。
そして、子どもが3歳くらいになる頃には
天気予報、月の満ち欠け、4コマ漫画を子どもと毎日一緒に見るようになりました。

新聞は、読むだけでなく、使い方次第で子どもと過ごす時間のアイテムにもなりました。

⚫︎赤ちゃんの頃はビリビリ破って
⚫︎2歳の頃にはボール遊び
⚫︎幼稚園の頃は折り紙にして飛行機にしたり
⚫︎ハサミの練習に使ったり
⚫︎かけっこの時には飛び込みゴールにしたり
⚫︎幼稚園の工作で使ったり

たくさん新聞で遊びました。

それから、私は子どもには新聞を読む子になって欲しいなと思い、次の2つを毎日実践するようにしました。

1.天気予報、月の満ち欠け、漫画をまず子どもに見せてあげる。

2.朝ごはんの時に、パパとママで記事について楽しそうに話す。


「〇〇があるんだって。」
「〇〇さんが出てるね。」
「この記事気になるね。」
と子どもにもわかるような言葉で話す。
(この時はあくまでも夫婦2人の会話。子どもに語るわけではなく)

そんな事を続けていると、5歳になる頃には、

「何の話しをしているの?」
「この写真、何?」

と聞いてくるようになりました。

そんな時は、よし!って嬉しくなって、記事を読んであげる。理解できるところだけ簡潔に。

そう、絵本の読み聞かせのように
新聞の読み聞かせをしてあげたのです。

それを毎日毎日、続けていき、(もちろん子どもが興味を示した時だけ)
我が家では、夜ごはんの時も新聞の記事について話すようになりました。

小学生の高学年くらいになる頃にはついつい、私が詳しく語るから、嫌がられたりもしましたが。

光太郎は高校生になる頃には、
自然と新聞を読むようになっていました。

この記事読んでどう思う?
なんてみんなで議論したり。

新聞は私にかけがえのない親子の時間を与えてくれたのでした。


新聞と子どもと私
富士山と子どもと私

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