晩年

死のうと思っていた
けれど 夏用の着物を貰ったから
せめて夏まで生きようと思った


太宰治 『葉』の言葉です。

特にこれといって生きていても希望もなく
生きなきゃいけない理由よりも
生きていて苦しい理由の方が多いから
死にたいと気軽に思ってしまうこと
わたしはよくあります。

夕方、ニュースを見ていた家族が
"こんな事件起こすなんてやっぱり精神病なんだろうね"
と呟いていたのが聞こえてきました。
世の中の意見なんかそんなものだと思う。
自分が理解できないこと
自分とは違うもの
それは全部、おかしい 
せめて、病気なんだ と思って憐れむ

ふざけんなよ


最近は
眠むりに入ろうとすると
自分を罵倒する声が聞こえてくる
だからわたしはなるべく起きていることにした
勝手に寝落ちる位まで起きていることに
何かをして気を紛らわせる他には
対処法も見当たらない
罵倒しているのはきっと、もう1人の自分なんだと思う
わたしは わたしが嫌いです

せめてずっと笑ってたくて
好きなものや
楽しい気持ちになれるものに触れ続けて
一日中ネットや本に頼って
でもそれは
そんなわたしのすがたは
外から見れば
ただの怠け者で
ただ笑っているから
ただの能天気で
でもそれを強く否定することも出来ないし
まあいいか、と思うことしか出来なくて
生きてるだけで辛い気持ちになるのに
どうしたらいいんだろう、と思う

『つねに絶望のとなりにいて、傷つき易い道化の華を風にもあてずつくっているこの物悲しさを君が分かって呉れたならば!』

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