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孤児の独り言

例えばね、わたしの"しあわせ"を感じられるゲージは 100 あるとする
でも、わたし以外の人はきっと 100 より多く感じられるンだな〜と時々感じる
正確には、同じ 100 なんだけど 容量が違うというか…広いの。

でもそれは当たり前で、だって、世界が違うから。土俵が違うから。持ってるものがそもそも違うから。それはもうどうしたって覆せないし、覆したいとも思わなくなったよ

否、別に不幸自慢みたいなのじゃなくて、

例えば、私の幼馴染は最近免許を取ったらしいとか 同年代の子達が友達と群れて買い物なんかしてるところとか 

そういうのを、「たのしそうだなあ」って眺めてる自分が、たまらなく小さくみえて
大丈夫だよって手を握ってあげたくなるの

教室で1人あぶれちゃった子や、トイレでお弁当食べてる子や、家に帰りたくない子や、成人式には出たくない子や、LINEもまともに返せない子や、

切ないような苦しいような、マキロンが沁みて痛いような、そんな気持ちになるよね〜って笑い合いたい。

どうして同年代を見かけると ドキッとするんだろう。
ドキっていうよりもギクッて感じなんだけど
別に私の事なんか見てないし、てか知らないし、なのに私はドキドキして口の中が苦くなる。

多分、悔しいとか思いたくないから本能的に避けてるんだとおもう。
あとは普通に、馬鹿にされたくないから。
でもそうやって思いたくないんだよなー だって私は馬鹿にされる筋合い1個もないし、別におかしくないし、

でも、ちょっとだけ、ほんとにちょっとだけ、負けてるな って思う

わたしには、どれだけ努力しても体験できないことが多分結構あって それはやっぱり自分にハンデがあるからという理由に他ならないわけで

それに引け目を感じる必要ないって分かってるけど、世の中の基準や普通に当てはまれないのは、まるで孤児みたいな気分なんだよ

だから、だからこそ、私の 100 のゲージは濃いと思う。
一つ一つのしあわせが、めいっぱい輝いてると思うし 無添加の喜びだと思う

そうやって思っていくしかないよ〜〜言い聞かせるしか

貴方には貴方だけの何かがあるとか、十人十色とか、障害は個性とか、人間は皆 少なからず特性はあるんだから そんなに自分の障害を気にしなくていいとか、努力すれば必ず報われるとか、そういうの ちょっときつい。

どうしたら私は自分の持ってるゲージを広げられるんだろうか

どうしたら私は自分のハンデを好きになれるのだろうか

どうしたら私は私自身に不安を持たずにいれるんだろうか。


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