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【大好きな父①】末期癌になる

私の父は、私が29歳の時に他界した。

父は繁華街でスナックを経営していた。
自宅では無口でほとんど話さない父だった。

私の家庭は、毎週日曜日の夜、外食するのが習慣になっていた。唯一家族が揃って夕飯を食べることができる日だったからであろう。
しかし、家族団欒の楽しい時間かとおもいきや、会話はない。笑


ちなみに、私と父と母と弟の4人家族である。


賑やかな家族団欒の時間とはかけ離れていたが、そんなものだろうと思っていた。


それから時は流れ、私が28歳の時、父が末期癌と診断された。


その頃、私と父は二人暮らしになっていた。


ある日、私はいつも通りに働いていた。
すると一本の電話、父からだった。

父「ああ、俺だ。今な、救急車だもんな。」
私「は?」
父「ちょっと代わるから」
私「……???」

救急隊「お父様が自宅で吐血されて救急搬送中です。ご自分で電話をかけると言われて、、、」
私「すみません。。」
救急隊「お気をつけて〇〇病院まで来てください。」 

動揺して手の震えがおさまらない私。

「いや、でも!!自分で電話をかけてくるくらいなら、大丈夫か?!でも救急隊の人も父に困ってる感じがした!!どいうこと?!あーもういいや、とにかく急ごう!!」(心の声)

慌てて早退して、一旦自宅に戻ると、
洗面所から廊下まで血まみれだった。

現場を目の当たりにして、嫌な予感がした。
ドクンドクンと心臓の音が大きく鼓動して、全身が震えてきた。


どうやって辿り着いたのだろうか。
記憶は曖昧だが、病院には着いた。



いつも通りの強気で頑固な父が、
ICUで横たわっていた。


軽口を叩いていたが、
医師が深刻そうな顔をしている。

医師「食道癌です。珍しいタイプで特に進行の早い癌です。全身に転移しています。」
私「えっ?深刻な状況ですか?」
医師「(言いにくそうに)最悪の場合、余命3ヶ月ほどかと。」
医師「一刻も早く大学病院に転院して治療を始めてください。」

呆気に取られて言葉も涙もでなかった。


一先ず、私が頼りにしている祖母に報告。
すぐに大学病院に転院し、治療開始することになったが、既に手術はできない状態だった。


抗がん剤治療が始まった。



続く


RICO

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