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図書館は真夜中のバーに似ている

図書館との距離感

大人になって久々に市立図書館を利用した。この施設に来るのはおそらく学生ぶりだと記憶をなぞる。小学生のときからずっと読書は好きだった。中学生の時も高校生の時も大学生の時だって学校の図書館はトイレと同じくらい利用した。読書が習慣化していたこともあるが手にできる娯楽がそれくらいしかなかったのも大きな理由だと大人になってから気が付いた。社会に出てからの筆者は読書以外に映画への興味が深くなり年間100本以上を映画館で鑑賞した。相変わらず読書は続けていたが、図書館に行くより買った方が早い、紙の本より電子版の方がいつでも読めるから快適という理由で図書館から足が遠のき、何年もの時が過ぎて筆者は図書館の存在を忘れた。目には入っているけど自分とは関係ないものとしてぼやけた。

無収入になると色んな物への興味が薄れた。

ある日、筆者は無職になり当然無収入になった。時間が合えば無作為に観ていた映画に対して高すぎる、そんなお金ない、今じゃない、こんなに詰まんなくてお金もったいなかった、など態度を豹変させた。読書に関しても本に毎月何万円も避ける予算はない、電子書籍が手元にこんなに溜まってるのに売れないなんて酷い、とこちらにも冷たくなっていった。しかしやはり娯楽は人生に必要なようで本を読みたかった。

収入がなくても読書はできる

そんなとき図書館の存在を思い出した。久しぶりに訪れた図書館で利用者登録をした。当たり前なのだが本がいっぱいあって快適で驚いた。映画も鑑賞できたし、なにより驚いたのは電子書籍もあることだった。比較的新しい本もタブレットで読めるのだ。当たり前なのだが市民なのでタダで利用できる。ありがたい。

興味の外側に触れる場所

図書館の利点は自分が興味の無い本に触れることができる点だと思う。書店でも同じことじゃないかと思われそうだが違う。書店でも図書館でも9割は興味がない。そして興味の無い本をなんとなく目にする。気まぐれにパラパラめくる日もあるところまでは同じ。書店はここまで。図書館はここから。気まぐれに借りてみる日もあったりする。実際、複数回目に触れたり、自分が借りた本に前に借りた人の貸出明細が挟まっていて、この本を借りた人が選んだものなら自分も好みかもしれないと思い全く知らない本を借りて読んだことが何回もある。図書館はささやかな興味を拾い上げることができる。気の置けない仲間と戯れるのも楽しいが、連れ合いなしでバーに行ったとき、たまたま隣り合わせた人と会話が弾むこともある。更にその人が連れてきた人と気が合うことだってある。実生活では絶対に交わらないタイプの人たちとその場限り価値観をゆだねるのも良い。筆者は下戸なのでバーにはいかない。

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