セクシュアリティの話をしようか
4−8歳くらいの子に、だいたい聞かれるんだ。
「男?女?」
こう聞かれる場合、中性なんだろうと思う。
がっつり男だと思われてる時もある。
子どもはなにをもって性別を判断しているのだろう。
髪型なのか、話し方なのか、服なのか。
どこからその概念が入っていくのか。
日本だけなのか。
謎だらけだ。
私はいつも髪が短い。
何故そうするかと言えば、短い髪が自分の良さを引出していると思うからであり、
男性らしさに憧れているわけではない。
だけど、若い頃は、それが自分でもわからず、
男だ男だとからかわれたり
間違えられまくったりして
アイデンティティがぐらぐらしていたのも事実。
他人の声って試練だなとつくづく思う。
しかしながら、意図しないことで男性に間違えられることもある。
例えば、声。
私の声は割と低い。
営業のときに、電話で性別を間違えられていたのはもう、笑うしかなかった。
そして、後ろ姿で間違えられる。
ホントに人は髪の毛と服装でしか性別を判断しないんだなって思った。
ところが、
私は肩幅が規格外に広い。
制服作りに行って、業者が3回測り直したくらい。
それだけなら、いや
私も広いよ!っていう女性は五万といるでしょう。
それに加えて、首が太い。これは異様に太い。
そりゃ、柔道部の先生にしつこく勧誘されるわけだ。
実際測ってみたら、他の女子友達より、イヤホンのジャック分広かった(笑)←その時に首に巻けるのがイヤホンのコードしかなかった(笑)
それのみならず、
私の足は迫力がすごい。。。
ししゃも足と言われて
しかも、ほっそりとした足ではない。
「立派ですね」
この言葉に尽きる。
自分の中では、何故こんな体なんだろうと思う部分がたくさんある。
それが故に自分の在りたい姿というのが
人と違いすぎたり
セクシュアリティのカテゴライズを勝手にされがちだ。
ずっとずっと腹の底で思ってきた事がある。
こんな私は、異物なんですか?
こんな私は、女子としてはうけいれてくれないのですか?
母は冗談ながらに、知人や職場に「ゆうたろうがいつもお世話になっております」と挨拶する。
それが腹の底から憎かった。
こんな娘は受け入れられないのか。
小さい頃、フリフリのキラキラを着せたかった母
どう見たって、可愛くないじゃないか。
他の子がまあ可愛いこと!
同じ土俵に乗せないで(T_T)
そう思っていた。
いや、そんな明確に言語化できたらどんなに楽だったろう。
とにかく嫌で嫌で、泣きまくってへそ曲げて癇癪起こしてむすっとしてた。
さぞ、手に余ったろうにね。
この子はちょっと何かおかしい。
散々そう思われてきた。
それが悲しかった。
こんな私では、駄目ですか?
いいんです。
他人が決めることなんて、いちいち受け入れる必要がない。
他人が私の人生に責任を取ってくれることはない。
ならば、私が好きな私であれ。
私の在り方は私が決める。
そこに到達するまで、けっこうな年月を要した。
今の時代はもっと早くそこに到達できると思う。
ただし、いつも思う。
セクシュアリティのカテゴライズは誰のためのものなのか。
早くカテゴライズすることがなくなればいい。
この世の中に人間は2種類しかいない。
私か、私以外か。
ROLANDは正しいと思う。
余談だが
幼馴染たちに会った時、言われた。
ハッとした。
彼女たちにとって、私のこの迫力満点の足は
自慢気に晒せる足なのだ。
短パン履きたい、と思える足なのだ。
そんなことは思ったこともなかった。
ただただ暑いから短パンははいてたが
おかげさまで今年は
魅せる短パン履きをしていこうと思った。
自分のことはやはり自分ではわからないのだ。
だから、他人がいる。
比べていい。比べるからわかる。
ただ、違いを受け入れよう。
違いを楽しもう。
違うからこそ、人間なんだ。
セクシュアリティって堅苦しく考えなくていい。
好きな自分でいよう。
ご機嫌に生きよう。
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