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【中途半端レビュー】『ブラッディ・マンデイ』を途中まで観た

楽しんでいいんだか悪いんだか、中途半端なゴールデンウィークでした。
キャンセルになった観劇や映画の予定以外は、予定通り過ごしましたが、もともと、日本のビジネスカレンダーとはズレている私の生活は、年度末真っ只中の時期に突入致しまして、多少の予定がキャンセルになろうと、焼け石に水。
今年はそこに、介護やらなんやらが加わって、まとまった時間が取れず、春馬君を愛でるのは、もっぱらインスタとyoutubeで、ファンの皆様の愛あるポストを眺めるという日々です。

noteには、これまた中途半端な下書きばかりが量産されています。元々、まとまった時間がなくても、細切れの時間にちょこちょこ書き溜めるのに適したインターフェースが気に入って、noteを選んだのですが、その特性をフルに活用して(涙)、7-8割完成しているnoteがいくつもあります。あるnoteにはオチがない、あるnoteはどう入れ替えても構成が落ち着かない、あるnoteには入れ込む情報が物足りないがリサーチする時間がない、あるnoteはほぼ書き上がっているのに、最後の校正をやれていない。。。(←この作業が1番嫌い)

元来、気分屋さんなので、こっちのnoteから仕上げたら時間がかからないとわかっていても、今日の気分は別だ、みたいな事も多い。

なのに、中途半端な状態で公開するのは嫌いなものだから、ここのところ、とにかくあれもこれもが中途半端な自分時間に、充実感など得られるはずもなく、憂さ晴らしにカラオケにでも。。。と思っていたら、閉まってるし。

もう、今年のゴールデンウィークのテーマは「中途半端」に決まりでいいですか?と思うに至りました。こうなったら、とことん中途半端を追求しようじゃないか(笑

で、予定されていた観劇がキャンセルになった分の時間でなにか作品を観ようと、『ブラッディ・マンデイ』を観はじめました。いや、最初に見たのはすこし前の事でしたが、一旦、止まってたのを再開しました。
改めて言うまでもなく、この作品は面白いのだけど、これまた言うまでもなくサスペンスは大の苦手のワタクシ。春馬君は毎回のように命の危機に直面するし、敵のテロリストを含め、毎回誰かが死ぬドラマなので、なかなか進みません(笑
ドラマは一気見したい派だけど、この作品は怖くて一気見できないんだよ、まったくもう!(誰に文句言ってるんだろ?)

『ブラッディ・マンデイ』を1話観るごとに、なにかお口直し的なモノが必要で、昨日なんか、珍しく時間がとれたので、ウエストエンド版の『オペラ座の怪人』を観ちゃいました。
その時間に、『ブラッディ・マンデイ』をあと3話見られたのに、それは無理な相談なのです。『オペラ座の怪人』は怖くないのか、と言われると、これもまた怖いのだけど(笑

こんな調子なので、ようやく、シーズン1の折り返しあたりまで来たけれど、いつ観終わるのか見当もつかないので、開き直って、ここらで、見たところまでの中途半端なレビューを書いてみようと思います。

途中までしか観てないレビューって、リアタイでやってるドラマだとありがちな手法ですが、周回遅れのファンのお遊びと思ってお付き合い頂ければ幸い。

あ、もし、コメント頂ける際は、この先のネタバレ、見どころ情報なども歓迎します。すでに、あらすじ等読みまくっていますので、問題なしです。

漫画原作のドラマはビジュアルがなにより

昨年、出かける先がなくなり、家でもっぱら本を読んでいた時期がありました。時節柄、パンデミックを扱った小説や漫画を読み漁っておりました。
映画にもそういう作品は多いのですが、画像になると怖くて苦手なので、文字専門。
その中に、『ブラッディ・マンデイ』もありました。

が。

絵が好みでなかった事もあり、怖くて途中でやむなく挫折。
ストーリーはまぁまぁ面白いなぁと思いつつも、絵がとにかく怖いんです。コミカルなシーンでも、そこはかとなく貞子っぽいテイストの絵。特にマヤが怖い。いや、怖いキャラなんだから怖くていいんだけど。
さらにシリアスな場面になると。。。完全に好みの問題ですが、読み続けるのは困難だったのです。

ところが、そのしばらく後に、春馬沼に落ちて、藤丸を春馬君が演じたと知り、「ビジュアル的にぴったりじゃないか!」と、震えました。
このキャスティングを企画した人は神か!と思ったわけです。 
実際にタイトル画像などを観ると、あのツンツンした髪型もバッチリ似合って、イメージぴったりです。

漫画の実写化は、ビジュアルイメージが特に大事だと思うのです。
春馬君を、このビジュアルに持っていけた時点で、『ブラッディ・マンデイ』の成功は当確です。
漫画は絵面で挫折した『ブラッディ・マンデイ』でしたが、春馬君のビジュアルのおかげで、観たい作品ランキングの順位が一気に上がるとは。でも、途中までとは言え、漫画の怖い絵のイメージが強くて、なかなか観られずにいたのだけれど。

あと、個人的な好みで言うと、春馬君に似合う髪型は、『太陽の子』のような短髪でもなく、『ラストシンデレラ』のような長髪でもなく、『恋空』のような金髪でもなく、程よい長さの黒髪だと思うのです。ええ、あくまでも個人の感想です。

その中でも、この藤丸のツンツンヘアは、他の役では類を見ない髪型で、控えめに言っても、春馬君が演じてきた役の髪型の中でも好みです。危機に瀕しても、崩れることのないツンツンヘア。雨降ったらどうなるんだろ?とか野暮な事は言いません。冬のドラマだから、汗もかかないしね。
あの真夏の『恋空』ヒロだって、汗をかく季節に髪型は崩れなかった春馬君ですから、なんの心配もありません。

そんなこんなで、どこかのタイミングで堪能しなくては、と温めていたら、温め過ぎて半年も経ってしまいました(笑

藤丸はなぜ魅力的なキャラクターなのか

藤丸は、いわゆるコンピュータオタクです。
英語には、オタクを表す単語が数種類ありまして、「geek」「nerd」「freak」「buff」あたりがよく使われますが、藤丸的オタクは「geek」。テックに強く、頭がいいタイプのオタクです。オタクを表す英語の中でも「geek」はちょっとカッコいいニュアンスを含んで、その筋では尊敬されるレベルのオタクを指します。

そう、そもそも天才ハッカーの藤丸は、役柄としてカッコいいのです。見た目以前の設定がカッコいい。

当たり前ですが、ハッキングは、使いように関係なくやったらあかんやつです。物語の冒頭、藤丸が、セクハラ教師を陥れる下りは、正義はあろうとも、お行儀はよくない。しかも、藤丸君は若いし、猪突猛進な性格なのもあって、調子に乗ってる。生意気なヤツです。

でも、この生意気な感じは、ヒーローに欠かせない要素です。ヒーローは、生意気なくらい強気で自信過剰じゃないと、ドラマにならない。一方で、ハートがあったかくて、大事にすべきものがあって、支えているようで支えられていて‥という「良い人」なところも多分にないと、成立しない。藤丸という役はまさに、そんな条件を兼ね備えたキャラクターなのではないかと思います。

藤丸の「良い人」な部分は、具体的にはどのあたりかと言うと、藤丸の家族思いの一面が描かれるところだろうと思います。身体の弱い妹、母はすでに他界、頼みの父はなんだかややこしい仕事をしてる人で、あまり帰ってこない。そんな家庭だから、妹は守るべき存在、藤丸の命そのものです。
そう、藤丸の唯一最大の弱みは、家族なのです。弱みがあるから、人間としての葛藤も生まれるし、怖いもんなしだけでは生きられないからドラマになります。

というわけで、藤丸のキャラ設定が、そもそもとてもよくできているのもあるのだけれど、藤丸を演じる春馬君、高校生特有の生意気な感じと、「良い人感」の塩梅が上手いんだよなぁ。。

『ブラッディ・マンデイ』の春馬君は、『君に届け』の高校生には見えない大人の雰囲気とも違って、いかにも高校生だし、『奈緒子』の子供から青年になっていく途中の垢抜けない感じとも違って、良い感じの青年に見えるし、なんだか新鮮だなぁ。いいねいいね、と思いながら観てましたが、この時、春馬君18歳。
高校3年生のこの年は、連続ドラマが年間3本。
猛烈に仕事が増えて、一気にスターダムを駆け上がった年でもありました。
実は、よくよく調べてみたら、この18-19歳くらいの作品は案外と観ていなかった事が発覚。
どうりで、新鮮だったわけだ。

18歳の春馬くんはじめまして!(笑

後に、インタビューなどで、この作品の頃は、忙しすぎてテンパってしまい、スランプに陥ったり、俳優を辞めたくなった事もあった、と語っていたのは、ファンの間ではよく知られた話です。
一方で、「なにか大変な思いをしながら取り組んだ作品は、評価もしてもらえる」と言うような事を語っていたのも、どこかで読みました。それって、『僕のいた時間』など、もう少し後の作品の事を指しているんだろうとずっと思っていましたが、もしかするとこの藤丸役もなんじゃないか、と思ったりします。

賞を取った作品でもないし、決して複雑な役ではないけれど、藤丸の内面、とりわけ弱みの部分や、藤丸なりの正義に基づいて行動するための苦渋の選択をする心情を、実に丁寧に演じていて、それがうまく成功しているように見えるのです。

言い換えると、後に「憑依型」役者と言われた三浦春馬の原点が見られるような作品だなぁと思うのです。人間三浦春馬の中にある「なにか」、例えば、家族思いで、正義感が強くて、みたいなところと、藤丸というキャラクターがシンクロしているのかもしれません。ファンを魅了して止まない「三浦春馬が演じる役」と「役を演じる三浦春馬」の両方の魅力が全開の高木藤丸と言ってもいい。

藤丸の中の春馬君と、春馬君の中の藤丸。両方にやられてしまって、だから藤丸がピンチになるたびに、主役なんだから、必ず助かるとわかっていても、怖さも10倍増しなんだろうな、きっと。でもこの春馬君と藤丸の内面のシンクロこそが、この作品の大きな魅力のひとつなんだろうなぁと思うわけです。

物語の面白さはプロットで決まる

この作品が面白い理由は、春馬くん演じる藤丸の魅力の他にもあります。

漫画にしろ、小説にしろ、面白い作品の共通点は、プロット(設定と話のスジ)の良し悪し、これに尽きると思います。映像や舞台だと、これに、キャスティングと演出という要素が加わりますが、それでもプロットで5割は決まる。脚本で2割、キャスティングと演出が残りの3割くらいの比重かなと思います。

『ブラッディ・マンデイ』のプロットの面白さは、今のところ大きく2つあると思っています。

ひとつは、登場人物全員が、それぞれの正義を持っているという事。
反社会的であろうと、自己中であろうと、とにかく、のほほーんとか、なんとなーく生きてるとか、周りに流されてコロコロ寝返る、みたいなキャラクターは出てきません。
唯一、「スナイパーの蝶々の彼」は多くを語らないからわからないので例外としても、みんな、腹に逸物持っている人ばかりなのです。

これは、ストーリー上に矛盾を起こさないために、ドラマを作る上では、とても重要です。
サスペンスみたいに、ちょっとした綻びがあるだけで興醒めするタイプの物語では、特に重要。
これが、しっかりと描かれているから、どこまで何が明らかになっていて、藤丸が、今現在、なにと戦っているのか、とてもわかりやすく展開していきます。
漫画のストーリー展開を上手く追えているなぁと思います。

また、悪と戦うのに「ファルコン」という仮想人格を使う藤丸。この設定も面白い。
最強キャラに変身して悪と戦うという意味で、『仮面ライダー』や『ウルトラマン』と同じプロットです。藤丸が、ファルコンになる時、指をストレッチする仕草をするのは、『仮面ライダー』が「変身!」と言いながらポーズしてるのと同じなのです。
仮想人格への変身を、ネット上の空間でやっちゃうというのが、今時。。。です。と言っても10年以上前ですが。

この仮想人格で敵と戦うという作りは、ファンタジーにとっては最強なのです。
素手、あるいはチャンバラや銃撃戦のような、人間が直接対決するような戦い方だと、常識の範囲で、人間の肉体の限界は越えられません。でも、仮想人格なら負けても何度でも生き返らせる事ができるし、敵も自分も、強さはコントロールし放題。
めちゃ強いボスキャラとも、しょうもない雑魚キャラとも、ドラマチックな戦いを創り出す事ができます。

ファルコンが、ウォールが閉じる中を、ビューンと飛んでいくイメージ映像も面白い。
今の時代ならともかく、あのイメージを10年以上前の世界観の中で創り出したのには、素直に感動します。
あの、ファルコンの映像の迫力は、どう頑張っても漫画では表現できない。ネットの世界のメタファーと鳥の親和性が、映像化によって存分に表現されていて、ゾクっとしました。

中途半端なまとめ

というわけで、私が心からこの作品を楽しんでいるのが伝わったでしょうか(笑

若手のイケメン俳優の登竜門といえば、『仮面ライダー』や『ウルトラマン』が定番だけど、春馬君にとってのそれに匹敵するキャリアがこの『ブラッディ・マンデイ』かなと思います。運動神経のいい春馬君なのに、あえてアクションなしで悪と戦うヒーローを演じる作品。20代は、難しい役が多かった春馬君が、わかりやすくスカッとするヒーローを演じているのが、むしろ新鮮で楽しめます。

一般的な感覚と比較すると、亀のあゆみのようなマイペースではありますが、いよいよ物語も後半にさしかかり、神島とテロの関係が紐解かれつつあります。
今のところ、「この話に、上島必要なのかな」と思いながら見ていますが、「上島、物語のキモじゃないか!」となる事を期待しつつ。

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