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NHK番組『奇跡のレッスン』福井県美方高校の放送回がたまらなく良かった。

 NHK BSで放送している『奇跡のレッスン』という番組がある。スポーツや芸術など、学科目や部活動に励む高校生のために一流の指導者を招き一週間にわたって特別な教育プログラムを与える、というものだ。
 
 私が見た回は福井県美方高校の料理課程に三ツ星和食料亭「菊乃井」の三代目主任である村田吉弘さんが訪れ、料理を勉強している高校生に指導した回だった。それはもう感動の連続であった。

 村田吉弘さんはグルタミン酸やイノシン酸が生み出す基本味「うま味」を世界に広めた第一人者で、日本料理に新たな調理法を生み出し、その姿勢と実績により2018年には文化功労者の称号が与えられている、いまや日本を代表する料理人なのだ。(図1)

図1 村田吉弘さん
(hitosara.comより拝借)

 村田吉弘さんは指導者として完璧であった。生徒に無理難題を要求するようなことは決してなければ、簡単に片付くような課題も出さなかった。彼はただひとつ「考えるということが料理をつくることである」というメッセージを生徒に届けるように努めたのだった。生徒は直接その言葉に衝撃を受けたり、その言葉の重要性に気が付いた素振りは見せなかったが、自主的にそれをこなしていたのだった。

 村田吉弘さんは「最終日にはみんなに大切な人に料理を振る舞って貰う」「それも涙を流すほどの料理」という課題を与えた。感動させた上涙を流すというハードルの高さに生徒は焦り、混乱し、頭を悩ませた。和食を忘れ、カレーを作ろうかと提案する生徒まで出てしまった。そんな中、とある男子生徒が村田吉弘さんに質問をした。

「先生は料理を食べて泣いたことはありますか。」

純粋な質問に思わずぐっときた。私は大学生という身ながら、自分がもうこんなにもまっすぐな疑問を呈することができなくなっているのかと思った。それはちょうど青空に広がる雲が火を吹く龍やぴょんぴょんと跳ぶ兎に見えたあの頃の懐かしさを想起させるような感覚。村田吉弘さんは優しい京都弁で丁寧にこう答えた。

「「美山荘」っていうとこに中東吉次っていうご主人がいはって、僕は何人かいる師匠のうちの一人やと思っててん。その人が亡くなって、ほんでその弟さんが「草喰なかひがし」という店をつくらはって、それへ行った時に煮物椀が出てきてんな。それをのんだときにお兄さんとおんなじ味やな。それで急に教えてもうたことが色々と頭の中に出てきて涙が出たわな。」

料理が人のこころの琴線にふれる。それは美味しい料理によって実現することではない。食べた人の思いにふっと触れる、そんな料理によって実現するのだろう。

 7日目、ようやく本番がはじまった。現場には緊張感がはしっていた。家族に振る舞うのは照れくさくて、微妙な表情を浮かべていた生徒もいた。さきほどの男子生徒はこの日のために「栗のすり流し」を準備した。母親が好きな栗と父親が好きな甘鯛を使い、そこに出汁を合わせた優しい味付けを目指したという。途中栗の風味が際立たないと苦心していたが「一つ一つが際立ってしまうと反って調和がとりにくい」という村田吉弘の直前のフォローによって完成に至った。(図2)

図2 男子生徒が実際につくった栗のすり流し
美味しそう

 いよいよ、男子生徒が家族に振る舞う出番になった。彼は食膳を運んで、姿勢を正し、家族に「感謝の気持ちを伝えたくて一週間頑張りました」と一言添えた。「いただきます」。彼の母親はおもむろに温かいお汁を啜った。一見無地に見えるが実はきめ細かい杉綾のような彼のすり流しが母親の口にしっとりと伝い、ほんのりとした栗の風味が広がると、それは慈しみを含んだ微笑みに変わり「おいしい」という一言に変わった。そして遂に彼女は涙を流したのだった。箸が止まりハンカチで頬を拭う母親を見て、男子生徒も少し泣いた。それは本当に美しい光景だった。

 私が最も言いたかったことは食事を終えた後の取材で彼の母親が答えた次の言葉だ。

「すごく成長して、嬉しい気持ちが90%、少し寂しい気持ちが10%かな。」

我が子の成長に「寂しい」と思う、それは家で見ていた息子の姿とはかけ離れた姿を急に見たときの「もう私がこの子に教えるべきことは何もないのだろうか」という唐突な突き放しだった。それを幸せと言うべきなのに、言えない。母親が男子生徒に料理を教えたのは、いつか田舎を出て羽ばたいたときに料理が出来ていた方がいいだろうと考えたからで、彼はそれから料理人を志したのだというが、それなのに立派な料理を目の前に我が子が田舎を出ていく、そんな気がしてたまらなく寂しくなったのだった。

 母親が持つジレンマがこの言葉に凝縮されていると思う。極上の幸せを寂しいと言う愛のもどかしさ。とても良い話だった。

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