明治大学収蔵の柴野拓美資料が凄かった!~第61回日本SF大会特別レポート~

はじめに

さる8月5日~6日、さいたま市で開催された第61回日本SF大会・Sci-con2023に参加した。

この中の分科会企画「明治大学が収蔵する柴野拓美資料の整理報告会」をいちギャラリーとして見たのだが、その内容はSFの枠を超えて、文化史に関心のある研究者・ジャーナリスト・一般の人々にも広く知られるべきだと確信した。

というわけで柄にもなく使命感に駆られ、浅学非才をも顧みず詳しい内容をレポートすることにした。なお同企画は映像の撮影はNG、レポートはテキストのみ可ということなので、あらかじめご了承いただきたい。(文中敬称略)

資料寄贈の経緯と概要

登壇したのは明治大学総合数理学部専任教授で、柴野資料の管理責任者でもある福地健太郎。インタラクティブメディア、ディスプレイ技術などの研究者で、過去にSF大会で何度か企画に携わった経歴がある。

明治大学には、故米沢嘉博の蔵書を基にしたマンガ図書館があることで知られている。日本初のSF同人誌「宇宙塵」の主宰者として現代日本SFの礎を築き、また小隅黎名義で多くの英米作品を翻訳紹介した故柴野拓美が生前に所有していた資料も、その縁で遺族から明治大に寄贈された。

資料はダンボール箱で約200箱。内訳は書籍40%、同人誌25%、書簡15%、雑誌10%、写真5%、直筆原稿・アニメなどの考証資料が5%。寄贈された時点で、すでに生前の柴野自身により丁寧に整理分類されていたという。

甦るポップカルチャー創世記

この中でまず注目すべきは同人誌関係だろう。「宇宙塵」がコンプリートで2セットあったほか、国内外のファン仲間から寄贈された同人誌も多数あり、中には東欧から贈られたと思しきものもある。また投稿原稿に対して柴野本人が筆者に書いた添削の手紙も残されていた。

(なぜ手紙が送った相手にではなく、書いた柴野の手元にあるかというと、下書きもしくはカーボンコピーの原紙ではないかという)

福地はこれらの資料について、「1950年代~60年代の時代の雰囲気だけでなく、ポップカルチャーがゼロから始まる瞬間を追体験できる」と指摘する。

そしてこの先には、SFのみならずマンガやアニメの歴史をも続いているのだ。この件に関しては、米沢も「宇宙塵」の同人だった事実を指摘しておけば十分だろう。

アニメ史にまつわる新資料

次は考証関係の資料。柴野は『宇宙エース』以来、タツノコプロのアニメでSF考証を務めており、製作過程を知ることができる資料が多数残されていた。具体的には『宇宙エース』の会議の議事録、鳥海尽三宛て手紙の下書き、『科学忍者隊ガッチャマン』の台詞原案らしきメモ(南部博士がオッペンハイマーやブラックホールに言及している)などである。

アニメ以外では、ジェイムズ・P・ホーガンの『オペレーション・プロテウス』翻訳に際して、ナチスドイツについて調べたメモも出ている。ただ中には、何について調べたメモかは判読できても、何の作品のために調べたのかは不明な資料もあるという。

加えてホーガンやラリイ・ニーヴン作品を翻訳するに際し、柴野から作者へ疑問点を問い合わせた手紙への返答も発見されている。ニーヴンからはクリスマスカードも届いており、単なる原著者と翻訳者の関係を超えた親密さがうかがえる。

未発表書簡の衝撃

日本人作家の書簡では、小松左京が昭和30年代終わりに出した手紙が目を引いた。当時小松はSFマガジン初代編集長の福島正実から長編執筆の依頼を受けていた(これが後に『復活の日』となる)ものの、先に光文社から『日本アパッチ族』を出してしまったせいで、福島を怒らせたエピソードはよく知られている。だが、小松は書簡の中で、第一作は早川から出したいと明言しており、福島からの依頼を蔑ろにした訳ではないという生前の主張を裏付けるものとなっている。

しかもこの書簡によれば、早川書房と光文社のほかに、当時『光の塔』などを出していた東都書房も小松にアプローチしていたらしいのだ。小松に関する研究は、近年小松左京ライブラリによって資料の掘り起こしが進んでおり、それらは文庫新版の解説などのかたちで反映されているが、私見ではおそらくこの件は新発見だと思われる。少なくとも、『日本アパッチ族』『復活の日』の解説には出ていないし、小松自身の回想録でも言及されていない。

またSF作家のみならず、江戸川乱歩や大下宇陀児などミステリ関係者、北杜夫や三島由紀夫など純文学関係者の書簡も残されていた。特に山野浩一「X電車で行こう」を評価した三島の書簡は、私の調べた限りでは最新版の全集にも収録されていなかった。

(もっとも三島全集には、プライバシーや権利関係で収録されなかった書簡もあるそうなので、研究者の間では知られている可能性も微レ存だが)

進まない研究

と、ここまで資料に関して「……と思しい」「……らしい」などと断定を避けた言い回しが多いと気づいたあなた。あなたは実に鋭い。これらの資料は、とりあえずダンボール箱から出して、状態の悪いものに対し保存措置をとっている段階で、本格的な研究はこれからなのだという。

もちろん福地自身は、冒頭に記したごとくSFファンであり、このような企画を催すくらいだから熱意をもって資料に当たっていることは間違いない。しかし先人の手稿や書簡を解読し、分類整理し、体系の中に位置づけるには文学史研究的なノウハウが不可欠となる。

では明治大学でそちらの専門家が投入されているのかといえば、福地の話の端々から推測する限り、どうも十分ではないようなのだ。マンパワーも予算も不足していると、福地も認めている。

明治大学は英断を

宝の山を前にして、なぜこんなことになっているのか。

元をたどれば国立メディア芸術総合センターの計画が頓挫したことに行き着く。その煽りで明治大学が計画していた明治大学東京国際マンガミュージアム(仮称)の予算が削減され、玉突き式に柴野資料に関しても回せる手がなくなってしまったのだという。

しかしこれは決して放置されてよい問題ではない。ここまで出てきた人名・作品名からもわかるように、資料が精査されればSF史のみならずアニメ史や文学史的にも発見がある可能性があるのだ。

折しも読売新聞8月8日付朝刊は、草創期の少女マンガ史について関係者の証言などを改めて掘り起こす動きがあると報じていた。SF史についても、資料の経年劣化や関係者の年齢を考えると、これは喫緊の課題だと言わざるを得ない。

そしてもし、柴野資料が死蔵されることになれば、もう日本文化にとって大損失であることは論を俟たない。

明治大学の英断を望みたい。

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