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唯一のありふれていないバンド、GRAPEVINEについて≪全アルバムレビュー≫

□はじめに(軽め)

(自分は2001年生まれで、自我が芽生えたのが2014年とかなので色んな認識とかが間違っていたり、すげぇ薄い感じになっちゃったりしてると思うんですけど大目に見てください…)

ときは90年代、日本のバンドミュージックの最盛期であり今に続くあらゆる要素が現れた時代。B’z、スピッツ、Mr.Children、GLAY、L'Arc〜en〜Cielといったバンドがお茶の間を席巻し、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、ナンバーガール、スーパーカー、bloodthirsty butchers、椎名林檎、サニーデイ・サービス、ハイスタンダード、ゆらゆら帝国…といった00年代から10年代初頭のバンドたちに多大なる影響を与えたアーティストがデビューした。そしてミレニアムに差し掛かる頃にRISING SUN ROCK FESTIVALやFUJI ROCK FESTIVALが開催され、日本のバンドシーンの形を大きく変えたフェス文化が根付こうとしていた。音楽史において間違いなく1つの黄金時代と位置付けることができる。

ただ、黄金時代を駆け抜けたバンドは何らかの形でその歩みを止めてしまうことがあり、上記のアーティストの半分以上が活動休止や解散を経験している。再結成を行うアーティストもいるが、「伝説」と化したあとの復活は良くも悪くもどこか前のキャリアとの分断が見えてしまい、嬉しいし、ずっと願っていたことだし、目の当たりに出来ているのが信じられないと思うわけだが、どこか乗り切れない部分があるのも確かだ。必要以上に大衆に迎合されバンド本来の在り方が歪んでしまうアーティストも少なくない。

GRAPEVINEはそんな時代にキャリアをスタートさせ、メンバーの脱退はあれど(体調が原因で脱退したBa.西原氏は現在他のバンドでギターとして活躍中)2022年現在までスタンスを崩さず、魅力を損なうことなく、音楽的な進化と深化を重ねている。このnoteは2022年早々にGRAPEVINEに突如ハマったいち音楽ファンのドキュメントである。

前半はGRAPEVINEについて、後半に全アルバムの短文レビューを行い、最後に「何から聞けば良いのか?」を付け加える。


GRAPEVINEについての雑感

1993年に大阪で結成したGRAPEVINEは1997年にEP「覚醒」でデビューしたGRAPEVINE、その特徴は複数人の作曲家がいること、そしてメンバー間が奇跡的なバランスを保っていることだ。
 
メインの作曲者はドラム・亀井。「スロウ」「光について」といった代表曲を筆頭に、GRAPEVINEにおける作曲の軸を担う。開けたポップさとどこか裏切るようなメロディーや構成を持ち合わせたGRAPEVINEのパブリックイメージを作り上げている。また、メロディーメイカーだからこその楽曲を引っ張るような技巧光るドラミングはかなり魅力的でなのだけれど、一方「光について」ではエイトビートでどっしりと支えるなど楽曲第一主義な印象を受ける。
 
ギターは西川弘剛。レスポールから飛び出すノエルギャラガーやジョンスクワイアばりの図太いUK的フレージング、中期でのポストロックやシカゴ音響派と共鳴するようなアルペジオ、エフェクターを多用した幻想的な音、ウィルコのネルスクラインかのような長尺のギターソロなど20数年間でありとあらゆる種類のロックギターを鳴らしている。また、GRAPEVINEがセルフプロデュースする作品においてはサウンドデザインやアルバムの全体像の設定なども行うなど、制作における大黒柱的役割である。渾名は「アニキ」。
 
そしてボーカル・田中。彼の作る曲はドラム・亀井に対するオルタナティブであり続けているよう。「Lifetime」収録の「HOPE(軽め)」では初期レディオヘッドを思わす破壊的な曲展開をもってアルバム全体にアクセントを加える。新作「新しい果実」ではルーツであるソウルやR&Bといった要素をふんだんに持ち込み、粘っこいバンドサウンドを新たな形でアウトプットさせた。作詞はほとんどが田中が行う。そのスタンスは明確で、「俯瞰」である。男女の有り様や社会の歪さを寓話的に描いたり、本や神話をモチーフにしたりと、主観を削ぐ。ただそれは社会との接続を失っているわけではなく、

トリガーでもないですけど、世の中のことを書きますし、人間のことを書くので、当然今の世の中の影響は出ますよね。それはこれまでも去年も同じでしたね

と語るように明確に社会を、現実を描こうとしている。書きたいリアルがありそれを現実離れしたモチーフをもって表現するという、何回もの聴取に耐えうる作詞の旗手だ。

ジストニアの発症で脱退した西原氏も「BLUE BACK」をはじめ比較的ストレートなロックソングを書いていた。このようにメンバー全員がソングライティングや制作に同じ程度の寄与率で参加しているからこその均衡の取れたバンドの在り方は理想のそれに近いと感じる。

では改めてGRAPEVINEの魅力はどういった点か、それは閉じながら開けているという絶妙な位置に居続けていることだ。一聴して直ぐに良さがわかるキャッチーなものはGRAPEVINEの曲において少ない。構成やメロディーもスムーズに捻くれた方向へ進むようなものが多い。歌詞は直接的な表現を避けていて一発じゃ理解できないし、「破瓜」なんて言葉を使われても殆どの人は知らない。かといって世の中やリスナーを拒んでいるのではなくて、明確に世界のことを歌っているし、人間のことを歌っている。確かにキャッチーでは無いが、全編に渡ってロックミュージックの旨味とバンドサウンドのグルーヴの快感が貫いているし、これは「バンドで音を鳴らすために曲を作る」という田中のスタンスに重なる。迎合せずも拒まないというスタンスにGRAPEVINEの良さを見出せるのではないかな、と。

□アルバムレビュー

ここからは全キャリアを振り返るアルバムレビューを。

1st 「退屈の花」

  早熟という言葉があまりにも似合う1st。「不適の新人」というコピーがまさに!という作品。1曲目はGRAPEVINEで1、2を争うようなUK的ギターが炸裂している。2曲目にしても4曲目にしてもギターが冴え冴えで、曲中のメロディーに対するカウンターのようなおかずフレージングひとつひとつが曲の主役として成り立っている。田中氏と西川氏にポールウェラーとノエルギャラガーとジョンスクワイアとジョニー・マーが憑依してるのか?とさえ。ブリッジーコーラスというストレートな洋楽的な構成も多く、彼らの出自を実感させられる。
 M5「6/8」は曲通り6/8拍子でメロディーのスイートスポットを避けるように進行するのだが、最後に本作品の中でも随一の音の洪水をともない最大の気持ち良さを伴い終わるなど二重の裏切りがなんとも彼ららしい。ひとつのリフを発展させて曲を進める「カーブ」はグランジを感じるし、洋楽指向だなと改めて。ロックンロールの良い意味での軽薄さが光る「1&more」から田中曲随一の名曲然とした「愁眠」で終わるアルバムの構成も美しい。「愁眠」は「Lifetime」が偶然ではないということを証明している。
 ファーストアルバムにして後の彼らに繋がるような一筋縄で行かない要素が完全に姿を見せていて、粗削りな部分が少なく本当にデビュー作品か?という感想に終着する。とはいえここまでブリットポップやグランジといった洋楽的要素がストレートに出ている作品はキャリアを見渡しても決して多くは無いので異端とも言える。


2nd 「Lifetime」

 GRAPEVINE最大のヒット作にして、売れるのが当然といえる名曲が収録されている。だがその内実はかなりの意欲作で聴けば聴くほど全体像が見えない。前半は「スロウ」「光について」が収録されていて、どちらもサビが明確で田中の声質を活かした名曲だ。他の曲はかなり攻めていて、例えばオープニングナンバー「いけすかない」は1人称で語られていると思いきや3人称の視点が入り、世界観が掴めないし、ギターソロもディストーションがかなり効いており初期レディオヘッドを思わせる。インタールード「RUBBER GIRL」「RUBBER GIRL NO.8」はファンクのようなドラム、カッティングギター、ベースの演奏にソニックユースかのような歪んだ音使いが耳に残る。明確なビートルズオマージュ。「青い魚」は金延幸子のカバーであり、原曲のいなたいフォークソングを洒脱に大人の色気でもって捌く様は圧巻。
音質を落とした「大人(NOBODY NOBODY)」を挟み「白日」→「望みの彼方」→「HOPE(軽め)」と曲がならぶのはまさに名盤の名に相応しい。「さよならの暑さがまた僕等を焦がした」「真夏に咲いた花は枯れた」と歌う「白日」「望みの彼方」で感傷を煽り、ラストを飾る「HOPE(軽め)で」Radiohead「My iron lung」顔負けの静から動への転換というバンドミュージックのダイナミズムをもってその感傷を破壊する。
90年代のオルタナティブロックからの影響を隠さずも、バンドの肉体的なグルーヴは醸成されグッドメロディーも光る。インスト2曲もアルバムという芸術作品としての強度を高めている。これぞ名盤といえる1枚。


3rd 「Here」

 GRAPEVINEをポストミスチルと評価する声もあった、と聞いたが確かにと納得できるのがこのアルバム。前作の大作路線を引き継ぎながらオルタナティブロックの要素は薄まり、J-POPとして聴けるロックミュージック。ストリングスの使い方がその典型かなと。個人的にはGRAPEVINEらしい斜めの視点、ひねくれた感じを強く受けないため前作前々作と比べると少し評価が難しいと感じる。


4th 「Circulator」

  前作で「J-POPと共鳴するジャパニーズロック」を極めた彼らは有り余る創作意欲をさまざまなジャンルと掛け合わせ極彩色の名盤を作り上げた。はっちゃけたエモ・ポップパンク的なM1「Buster bluster」で幕を開け、例えるならBECKのようなフォーキーなサイケデリア漂うM4「風待ち」は名曲然としていて、ストレートなバラードが逆に非正統的に聞こえる田中曲M7「Our Song」では幾重にも重ねられたギターが耽美な響きを持つ。そこからアルペジオ、ワウ、コード弾きをジョンスクワイアかのように軽快にいなす西川のギターがあまりにも魅力的なM7「ALL the young yellow」へと繋がるなど聴きどころ満載でダレることなく後半へ。今作ではM9「ふれていたい」、M10「アルカイック」でもUK的なギターを弾きまくっていて、西川氏の活躍が大きい。
 ダブの如きベースラインと攻撃的な歌唱でダークな雰囲気を漂わすM8「フィギュア」などは明らかに前作からの進化を体現している。アルバムを締めるM13「I Found the Girl」はコーラスやオルガン使いがビートルズを彷彿とさせ、その響きの美しさからくる一種の恐ろしさはビーチボーイズのよう。
 全編にわたってUKロックへの共鳴を感じることができ、ギターの重ね方なども同様の雰囲気を与えるのだが、その上で歌われる日本語の響きとメロディーとの間で不思議なバランスが生まれており、GRAPEVINE独自のものが本当の意味で完成したのでは無いだろうか。


5th 「another sky」

  躁と鬱の間を彷徨いながらGRAPEVINEらしいテーマに帰結するドラマチックな1枚。初期のGRAPEVINEは「遠くの君へ」「君を待つ間」「涙と身体」など、他者の不在を1つのテーマにしていた。M1「マリーのサウンドトラック」では主人公が他人(=マリー)を傷つけてしまったことをミディアムテンポな暗いトーンに乗せて独白する。そこから鬱々としたトーンが連なるのではなくM2「ドリフト160(改)」M3「BLUE BACK」M4「マダカレークッテナイデッショー」では振り切ったようにアッパーな雰囲気に。が、そこから雰囲気は一変し、特にM6「Color」では「カラフルさ」を描いていている。「colors」という色彩の豊かさは幸福なイメージと結びつくのがセオリーであるが、彼らは「他人を傷つけた心情」を細かに色分けして描写する。最後はその色さえも「風になった」と一掃してしまう。なんと暗いアルバムだ。   
 そんな「躁と鬱」のアルバムに一種の光が射す。M9「ナツノヒカリ」である。女性と共にいて、「触れられなかった」あの日さえ永遠になりそうだ、と歌う。他者の不在を投げ出すのでも、ただ傷ついて終わりにするのではなく、記憶の中で向き合う。The Cureのような暗さと明るさの間を揺らぐようなサウンドもそんな印象を強める。
 最後の曲は「ふたり」とまさにこのテーマの終着点に相応しいが、他人を希求したが最終的には「ひとりで強が」っているともとれるし、求めた結果「ふたりの世界は繋が」ったともとれる。あえて解答を出さないのがまさにGRAPEVINEといった感じだ。


6th 「イデアの水槽」

 西原氏の脱退の影響かアレンジの裾野を広げざるを得なくなり、それが恐ろしいまでに奏功した6th。また、田中氏のボーカルもシャウトの凄味により磨きがかかっており、一種の「ゾーン」に入ったこの作品に更なる説得力を加えている。
1曲目「豚の皿」では「ひねくれながらも開かれたメロディーを鳴らす歌ものロックバンド」の姿はなく、深遠なピアノとそれを破壊するシャウトと歪んだギター、「Airbag」を思い浮かべるような、が破滅的な情動を体現するよう。そのストッパーが外れたような勢いはM2「シスター」にも引き継がれ、他のアルバムと比べても明らかに曲の佇まいが別物。中盤の「11%mistake」「SEA」ではドラムを中心に楽器が即興演奏的に実験的な音像を重ねサイケデリックな風景を描く。次曲「Good by the world」はGRAPEVINE史において初めてとなる明確にシューゲイザーを取り入れた曲で、ブーラドリーズ、J&MCのような攻撃性を備えた轟音サウンドは単純に好み。「ぼくらなら」「会いに行く」などは以前のGRAPEVINEの流れを汲む佳曲であるが、やはり最後の曲「鳩」まで連なるバンド全体の鬼気迫る攻撃性はディスコグラフィー随一のものである。名作。


7th 「deracine」

 7th。「根なし草」と題されたアルバム。故郷を失った放浪者を表す言葉だそう。「少年」「放浪フリーク」など田中の歌唱を目立たせるような旅や広大さを感じるアレンジが印象的。前作の異常な気迫を持ったトーンを保つ曲はあるも均整の取れたGRAPEVINEサウンドを聴くことができる。
付け加えるならばこのアルバム辺りから田中の歌詞が唯一無二のものになっていくことだろう。架空の王国を舞台に「条例!浄霊!敬礼!」と軽妙に韻を踏むのが印象的であるが、この言葉の響きの面白さは勿論、現代日本を揶揄していると捉えることができる。シニカルで皮肉的なGRAPEVINEの真骨頂が垣間見える。


8th 「From a Smalltown」

 今まではUK的な退廃的な享楽、そしてどこか線の細さを思わせるサウンドと分類できたが、このアルバムからは段々とオルタナティブフォークであったり、シカゴ音響派といった乾いたUSサウンドに近づいていく。「here」等で見られたこれ以前のバインの持つ広大なグッドメロディー路線とUSインディー指向のサウンドは非常に相性が良い。M2「ランチェロ'58」におけるアコギのストロークとハードロックっぽいリードギターの組み合わせがその相性の良さを裏付ける。また特筆すべきはM6「ママ」で、エモ/ポストロックを思わせるアルペジオの絡み合いに変拍子っぽく聞こえるドラムの組み合わせはGRAPEVINEの引き出しの多さを象徴すると共に、あくまでも歌モノとして成立させてしまう所がGRAPEVINEたる所以であろう。また、エモというジャンルについて私は感情が暴発する瞬間よりも、暴発する感情を抑えるようにフレーズを積み重ねる静の瞬間にこそ美学があると感じているのだが、その美学が現れているのがM10「Forge master」でありラスト曲「juxtaposed」である。
USインディー、エモ、ポストロックなどの要素がこれまでのGRAPEVINEにさらなる魅力を付随した傑作。そしてこのUS路線が後のGRAPEVINEの歩みを決定づける。


9th 「Sing」

 「Sing」という題名からわかるように「歌」、すなわち田中の声の魅力を最大限まで活かし切ることにトライした。それは演奏のキレキレさが減った、という意味ではない。それが端的に表れているのが2曲目「CORE」である。レディオヘッド「The National Anthem」をオマージュしたであろう繰り返されるベースラインを基盤に重ねられる演奏とフレーズ、そして?鬼気迫る田中の絶唱。ここまでキャリアを重ねてもなお自然体に挑戦を続けることができるのバンドは稀有だろう。
4曲目の「ジュブナイル」では音楽性を更新してきた歩みを振り返るように「振り返る口実と空回る両脚をぶら下げて行くんだ」 と歌う。プロデューサー長田進の働きもあり、奥田民生や佐野元春といった太さを感じるJ-ROCKの系譜に立つ曲だ。
ピアノを用いたアレンジが目立つ「女たち」、ローリングストーンズを彷彿とさせる正統派ロックンロール「フラニーと同意」などこれまでのGRAPEVINEでも見られた曲を交えながら「愛は図々しい」とバイン節が光る「超える」など「うた」を基調としながらバンドの力強さを見せつけるいぶし銀の一作だ。


10th 「Twangs」

 10th。バンドサウンドから脱却した楽曲、長尺の楽曲など、整った構成の前作の反動のように思える。
「光について」で歌われた「光」を追い越した先にある空虚さを歌う1曲目「疾走」、ストリング+英詞と明らかに今までのバインの色では無い2曲目「vex」、GRAPEVINE風「Paranoid Android」解釈の3曲目「pity on the boulevard」と冒頭からその亜流感がわかる。表題曲「twangs」も田中(独唱)だし…。カントリー調にトライバルなパーカッションが不穏ささえ漂う「DARLIN' from hell」は8枚目で見られたUS的広大さを強く感じる。
同時代の日本のシーンはフェス文化が本格的に根付く頃で、やはり観客に向いた作品が多くなっていた。その時期にここまで「崩した」アルバムを製作したGRAPEVINEの天の邪鬼さ。またArcade Fire、TV on the radioなど当時のUSシーンとの共鳴と取れるサウンドデザインも随所に見られ、そういった楽しみ方ができる日本のバンドは限られているのではないか。


11th 「真昼のストレンジランド」

 このアルバムでは西川氏のギターが炸裂している。特に思い出すのはウィルコのネルスクラインだろう。楽曲に寄り添う単音フレーズやアルペジオと熱量たっぷりのギターソロ。ハードロックやジャズなど強さと繊細さを持ち合わせた、そしてエフェクター使いも達者なギタープレイ。「Sanctuary」「おそれ」「夏の逆襲」ではそのギターを特に堪能できる。「あの夏を超えるくらい…」という哀愁のこもる田中の歌唱とギターの絡み合いは絶品だ。そして最終曲「風の歌」は「光について」を思わせるイントロから始まる「歌ものJ-rock」として一級品。


12th「愚かな者の語ること」

 セルフプロデュースで製作された本作は一見してわかる挑戦的要素などは無い。抽象的でシリアスな歌詞に完全に完成しているバンドサウンド、R&BやAORを自然に取り込む懐の広さ。だからこそ素直にGRAPEVINEの良さをひたすら浴びることができる至極の1枚。「どこへでも 行かないか 忘れるよりも抱えたまま 楽じゃないか 失った夢の続きがあるのだろう ろくでなしの旅を」と歌う「片側一車線の夢」ではこれまでのGRAPEVINEで見られた「旅」「何かを探し彷徨う」といったテーマが踏襲されている名曲。


13th「Burning tree」

 ここまでくると手癖をこねくり回してしまいそうだが、GRAPEVINEはそれをよしとしない。クラップやトライバルなビートをアンビエント的に配置した1曲目からわかるように、あえてバンドのダイナミズムを抑えて整頓されたサウンドメイキングを取り入れている。その方針は事務所移籍も関係しているようだ。シンセサイザーがメインの80's感漂う「流転」も新機軸。「生贄」と名付けられた最終局は厭世的な田中のスタンスが良く表れている。


14th「BABEL,BABEL」

 本格的にソウルの要素を取り入れた更に生々しい横乗りグルーブと、そして前作のバンドサウンド以外の音を取り入れた音響的挑戦が奇跡みたいな融合を果たした怪作。2曲目では四つ打ちを取り入れたが、このアルバムは四つ打ちブーム後半の2016年に発売されたものである。キック、ハイハット、スネアは素直な音ではなく打ち込みの質感が強く諸々の面でひねくれた様子が見える。
 音響的な面で最も際立っているのはリバーブの効いたギターの質感と薄い音の膜が重なるM4「Heavenly」だ。トラックに溶け合うように広がる田中の声とともにthe Sea and cakeなどを思わすエレクトロ系ポストロックを彷彿とさする。
 横乗りグルーブの点で挙げるならM5「BABEL」だろう。ファルセットを活かした歌唱とメロウでエロいギタープレイ、16分を活かしたドラムとロックの文脈の王道ではないが熟成しきったグルーヴによってこれこそがGRAPEVINEの本道であると確信できる。
 歌詞の錯交具合も凄まじく、源氏物語やホーソーン、ボブディラン、そしてバベルの塔などバラバラな参照先を現代社会に接続させながらその社会自体を寓話として描く俯瞰的な視点。
 ひねくれ続けたGRAPEVINEがその邪道なスタンスを自らの本流として完全に取り入れた大傑作。とはいえ「奈良県(Now Rockin')!!!」と叫んだりやっぱりこちらの理解を拒んでいる。


15th 「Roadside Prophet」

 20周年と銘付けられて製作されたが、毎回見られたアルバムごとの挑戦という点では突出して語る点は無い。改めて今までの歩みを振り返りながらロックを基調に様々なアプローチをしてきた軌跡を振り返る。田中の歌唱も西川のギターも亀井のソングライティング、曲に寄り添ったドラムプレイもそれぞれ一級品で、重なった時に生まれるグルーブも含め芳醇のバンドサウンド。歌詞の示唆に富む捻くれ具合に溢れている。GRAPEVINEっていいバンドだな…と改めて思う。


16th「ALL THE LIGHT」

 「光」というテーマを改めてタイトルに据えた改心の一作。「光について」「君を待つ間」「疾走」などで歌われた「光」とは暗い側にいるGRAPEVINEを侵食する相容れない存在として描かれている。そして20年以上が経ち、「光」を主題にする。
 シンガロングで幕が開き、特筆すべきは2曲目で躁状態を表すかのように鳴るブラスだろう。全てを諦めた脱力状態の上で「Alright」と投げやりに歌う後ろで嘲笑うかのように高鳴るトランペット。退廃的な世界を皮肉なほど明るく照らす光と取れる。また、ブラスを強調している点からわかるようにこのアルバムはファンク的肉体感に満ち満ちている。結成時点から初期衝動という言葉など存在していないように思えるバンドであったが、ここまでスタジオアルバムにライブ感を閉じ込めながら作品として成立させているアーティストは思いつかない。
 やはり「すべてのありふれた光」は名曲だろう。俯瞰のスタンスではなく「君と僕」の世界を取り戻した上で些細な光を拾うように「扉を壊してでも」君を連れ出すを力強く歌う。20年経った方がむしろ初期衝動の際に持ってるであろう真っ直ぐさを獲得しているのがGRAPEVINEらしい迂回の仕方である。
 投げやりなテンションの高さから地面に足をつけて歩き始める10曲42分。紛れもない傑作である。

 

17th「新しい果実」

 現状最新作。2021年においてかなり話題になったのが記憶に新しい。まず音がいい。ドラムの少し籠ったルーミーさ加減とねちっこいギターの耳にまとわりつくような音像がひねくれたメロディーを完璧に補完している。これまでもロック以外のジャンルのアプローチが魅力的すぎるバンドだったわけだけど、GRAPRVINE流のネオソウル解釈が光る1曲目からアルバムを通して展開される、テンションを抑えながら躍動する成熟したグルーヴが今年のムードに合っていた。だからこそ「リヴァイアサン」のような曲も映えるわけでアルバムとしての構成が職人の域。そして俯瞰の視点と寓話的な皮肉が交差したような歌詞は今のロックバンドの在り方としてこれ以上なく正しい気がする。


□じゃあ何から聞くか????

①あなたがGRAPEVINEを聴いたことが無いなら

「Lifetime」を。スピッツやミスチルなど並ぶJ-POPおよびバンドとしての完成度の高さと真っ直ぐ行かないGRAPEVINEの業のようなものを体感できる。何より「スロウ」「SUN」「光について」の名曲3コンボは難しく考える必要がない、ただただJ-POP史に残る名曲なので必聴。

②あなたがブリットポップを好きなら

「退屈の花」を。ジョニーマーとノエルギャラガーとジミー・ペイジとポールウェラーが混ざったみたいな骨太でどこか繊細なギターと歌メロの強さ。中期にシリアスだったり躁状態へ突入すると考えると享楽的な感覚は1stのみが持つ唯一の輝きのようなものを感じる。

③あなたがRADIOHEADを好きなら

「イデアの水槽」を。「Airbag」が思い浮かぶ「豚の皿」を筆頭に、溢れ出る負の感情をどこまでも爆発する寸前に抑えようとする内向きのサウンドメイクはRADIOHEADのそれに近い。そして「Sing」収録の「CORE」も「The National Anthem」のベースラインを基盤にした曲構造を思い起こさせる。
 ミスチル桜井、イエモン吉井、エレカシ宮本らは90年代の半ばにRADIOHEADを文字通り体感した。トムヨークの精神面と共鳴したり、意識をしすぎた結果壊れたり、批判したりとスタンスは違えど与えた影響は桁違いだろう。そんな中、GRAPEVINEはその曲構造やサウンドをヘルシーに受けいれ、もともとあった厭世的なスタンスとトムヨークの在り方が上手い具合に重なり、理想的なRADIOHEAD受容を完遂した。邦楽バンドのRADIOHEAD歌謡としても一級品。

➃USインディーのようなサウンドが好きなら

「From a Smalltown」を。ただUSインディーって言葉はあまりにも大雑把すぎる気がするので「楽器、そしてバンド全体の生々しさを刻みながら広大なサウンドスケープを感じる」とでも定義したい。Wilcoやシカゴ音響派に接近したような空気が詰まっている。

⑤最新作しか聞いていないなら

 「Burning Tree」を。おそらくロックバンドというフォーマットが生み出す強烈なグルーブの熱量とそれに反するような田中の歌詞のアイロニーな雰囲気に惹かれたのではないか。横ノリに任せていたら田中に刺される、という強烈な音楽体験。

⑥暇なら

全部聞いてください。


□最後に

 どうだっただろうか。ロックバンドとしての非常に奇妙な、そして美しい歩みをこんな短い期間で体感することにどこか罪悪感を覚えながらどこまでも興奮した次第だ。そしてライブのチケットを手に握っているので超楽しみ!!


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