シューゲイズ定点観測② 2023/2/15
「洋楽邦楽合わせて600枚を聴き、全てに感想を残す」という約4年かけて行われる企画に参加させていただきました。聞いた事がない作品に触れる機会って、ある程度自分の好みが確立されてからだと実はそこまで無いのでありがたいです。良ければ目を通していただけると幸いです。
「自分の好みが確立されてしまうと…」と話をしましたが、ここからは1月後半にリリースされたシューゲイズの作品の感想をまとめます。
Magic Room Echos「Magic Room Echos」
親友同士で結成され、近年ではリモートワークで制作を行なっているというMagic Room Echos。Bandcampのアーティストページにも「For fans of Post-Rock, Prog, Space rock, Shoegaze, Electronic, and even Metal.」と書いてあるが、こうしたジャンルをごちゃ混ぜにしたような雑多感はない。寧ろジャケットにあるような遠景を構築するために、スペースロックやポストロック、シューゲイザーにあるこの世から離れたような要素を抽出している。ビートレスな楽曲たちの持つギターやシンセのテクスチャーに耳を澄ませると気づいたら今どこにいるのか忘れてしまうよう。「Echo Tape Song」という曲が2曲収録されていて、それぞれ「Nightmare」と「Daydream」という副題が付けられている。同じモチーフを用いながらも軋んだ音を主体とした前者と透き通った音の後者が中盤に配置されるなど、アルバムとして「聞かせる」意図が明確な点に惹かれます。
YEAHRS「Transfer.Transform」
ドイツはベルリンのスリーピースバンド。よくシューゲイザーをマイブラ・RIDE・Slowdiveの3つにカテゴライズする風潮がありますが、圧倒的にRIDEの流れを汲んだそれ。つまり、音作りのひとつの参照点としてシューゲイザーの要素があるだけで各楽器の役割やメロディー、リフは所謂オーセンティックなUKロックに近い。M2「The Curse」M3「GHOST」で見せる楽器が徐々に重なっていくアレンジは曖昧さというよりもアレンジの巧みさ、構築美を感じさせるし、静かになるゾーンから轟音ゾーンへ雪崩れ込むカタストロフィが随所に配置されていてRIDE的なシューゲイザーの美学に溢れた一作。かと思えばパンキッシュに突き進む「Crimson Ocean」などはシューゲイザーが生まれた頃のサウンドを彷彿とさせる。ベースのハイミドルをグッと上げた音作りが全体の軸になっていて、そういったバンド感の強さも魅力のひとつ。
Cosmopaark「and I Can't breath enough」
曲名を見ると「Concrete」「Haunted」「sorry」「Can't Wait」などどこか狭く、囚われているような印象を受ける。さらにいうとアルバムのタイトルさえ「and I Can't breath enough」とどことなく閉じている。一方でジャケットには高台から見える空と雲が広がり、開放感が見て取れる。相反する要素。これはシューゲイザーが本来抱えていたもので、うるさいのに心地がいい、静かな溜めから轟音の放出へ。スロウコアのようなギターの絡みとコード感さえ関係ないように景色を埋め尽くすギターのノイズ、とギターのサウンドの二面性をここまで全体の軸としているという点でも本作はジャンル性を一旦総括している、と言える。
Parannoul「After the Magic」
「韓国のアーティストの驚くべき3枚目の作品は、過去と現在、嘘と現実をシームレスに超然的でマキシマリスティックなポップミュージックとして融解させた」、こうピッチフォークが評していたがまさに的を射ている。ナイーブな自傷と喚きをデジタルサウンドやアニメサンプリングといった現実には無い要素を軸として描き切ったのが前作だった。存在しないノスタルジーを換気させるサウンドやメロディーは瞬く間に彼の名前とレーベルを世界中に知らしめた。一方でparannoul自身がライブに出演するなど、作品の性質とは反対に、現実で音楽を鳴らしていく必要に駆られた。
この現実と夢想の淡いが表出した作品が本作だ。前作で見られた過剰な打ち込みのドラミング、イヤホンが飽和するようなディストーションギターは本作では主軸として用いられていない。その代わりにアコースティックギターの掠れたような響きや、ゆったりと拡がるアンビエンス、さらにはストリングスまでもがフューチャーされている。もちろん前作に引き続き空間を埋め尽くす音の濁流という要素は残っている。ただ、そこには性急さは無く一音一音を確かに聞かせるような足取りの力強さがある。「We Shine at Night」はその典型だ。
自傷的に閉じこもり、アルバムという空間とインナーワールドを直結した「To see The Next Part of the Dream」から、玄関を開けてジャケットが表すような凍てつく世界へ足を踏み出した本作には、前作にはない逞しさがある。
2月に入ってからかなりバタバタしていて、あまり音源を掘る時間が無かったのが悔やまれます。シューゲイズではありませんが、Yo La Tengoの新作は特定のジャンルを超えたエヴァーグリーンな名作に思えました。また次回会いましょう!!!
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