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2月3日の記憶

今年も2月3日がやってきた。
節分だ、豆まきだ、そしていまどきは恵方巻だ。
鬼は外、福は内、と毎年小さな声で豆まきを欠かさずにいる。上京して一人暮らしになってからも、節分前になると母から宅配便が届き、そこには必ず豆と鬼の面が入っていた。豆まきを疎かにすることをなぜか母は許さなかった。

そんな母の人生を振り返れば、豆まきも、金運に恵まれる春財布も蛇皮も、厄除けになるという指輪も、毎月欠かさない墓参りも何のご利益もないことを証明したにすぎなかった。だから私は、財布も指輪も好きなときに好きな物を選ぶし、母の墓参りも今はめったに行かなくなった。それでも、豆まきは容赦なく時の流れに乗って毎年やってくる。

子どもの頃の豆まきは、隣近所に響くような声ではしゃぎながらやっていた――母が。「おにはーそとぉー!!」と大きな声で言いながら、鬼の面をかぶった私に大量の大豆を投げつける。大人の手で力いっぱいぶつけられた豆は肌に痛く、鬼役となった小さな私にとっては、まるで体の表面に心が貼りついたかのような数分間だった。「鬼は外」は「福は内」の倍も多く、心の苦しさが飽和して私はやがて泣き出し、「お姉ちゃんがかわいそう」と言って福の面をかぶった弟も泣き出し、抱き合って泣く子どもたちを見て興が醒めた母が、「ばっかみたい」と豆を放り出して恒例の節分は終わる。

大人になった私宛てに、東京に届く段ボールを開け、そこに毎年、鬼の面だけがあるのを見るたびに、「まだ私が鬼なのか……」とため息をつきながらも、アパートのベランダに「鬼は外」と小さく豆をまく。鬼の面だけは使うことなくすぐにゴミ箱行きとなった。

そして今年もまた2月3日がやって来た。
24年前に亡くなった母とは恵方巻など食べたことがない。今ほど流行ってはいなかったし、我が家にはそんな習慣もなかった。私に輪をかけて行儀の悪かった母は、巻き寿司を丸かぶりすることを年中好んでいたが、当時は、切っていない巻き寿司は売っておらず、切らないものを新たに巻いてほしいと頼むと嫌な顔をされた。病床の母に「切らないままで買ってきて」と頼まれても、店の人に無理を言うことができず、あまり叶えてはあげられなかった。いま生きていたら、今日などは大喜びで大口を開けることだろう。

でももう私は鬼の面はかぶらない。誰にも鬼はやらせない。毎年この日になると、日の暮れたベランダに小さな声で豆をまきながら、ママ、あの鬼役はほんとうに嫌だったよ、何をあんなに苛ついていたのか知らないけど(まあ、想像はつくけど)、何があったとしても私はいまだに恨んでるからね、と文句を言う。おそらく母は、驚いた顔でおたおたしながら何度も何度も謝るにちがいない。でもね、面をかぶらなくても私は鬼だからね、一生許さずにいるつもりなんだ、だって許したらすぐにケロっとして太巻きにかぶりついたりするでしょう、それがまた腹立たしいし、豆についてくる鬼の面をゴミ箱に捨てるときには、今もわずかに胸が痛むから。

(可愛いイラストをお借りしました、ありがとうございます)


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