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「本」のこと
私は文字が好きだ。
特に”漢字”には、安心を伴った信頼感を覚えている。
日常で「意味づけ」の必要性に駆られた時、私は漢字に一度身を委ねることが多い。
意味づけのシーンは「物事に名前をつけるとき」または「何かのコンセプトを考えるとき」が主だ。
本来の純粋な意味だけでなく、過程で生まれた付加価値をも簡潔に伝えたい時、この行動が必要になる。
この辺の話は長くなるので割愛して本題へ。
先日私は「本」という漢字に大変興味が湧いていた。
あるコンセプトを考えていた時のことだ。
候補に上がる言葉に、何でもかんでも”本”がくっついていたのだ。
本当、本物、本質、本格、本気、、、
重みのある言葉に必ずと言っていいほど”本”がつく。
「本=書物」の脳みそを持ち合わせていた私は、書物とはそこまで厳かな物だったのかと感動したものだが、でもなんだかモヤモヤが晴れず意味を調べたら驚いた。
”本”の元々の意味は、そもそも”書物”という意味でなかった。
漢語で、草木の根・根に近い部分の意
転じて日本では、物事の根本・基本という意
書物の意味を持つようになったのは、ここから2STEP後のこと。
書写に使う元の書物を”本”と呼ぶようになり、さらに書物全般を”本”と呼ぶようになった、ということらしい。
そりゃ重みのある言葉に”本”がつく訳だ、と納得。
そして漢字は視覚言語。この意を知ってから改めて漢字を見つめると、気付かなかったことが恥ずかしいほど堂々と「木の根っこ感」を出していた。書物感は皆無。
木+一=本
「本」という漢字を見るだけで、紙が重なったいわゆる”書物”を連想させてしまう学習を積んでしまったが故に、見えにくくなっていたことに気づく。
そして”本”を通して新ためて漢字の魅力に気付く。
それこそ”本”の本当の意味である”物事の根源”にたどり着ける、そんな力がある。
情報で一杯な時代だからこそ、私たちには漢字が必要なのかもしれない。
何もわからないからわかることから順々に解明していった、昔の人々。
そのシンプルだけど洗練された生産物を見直していくことに、価値がないとは言い切れないと思う、2022年の冬なのです。
Fin.
麻裕
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