ショートムービーを作るために、自転車のギアを2にしようというお話。
自動車大国ぐんま県育ちの私だが、東京の2年間、埼玉での2年間は自転車中心の生活を送っている。そしていつもギアは3。(重いと思う人もいるかもしれないが、数回乗って慣れてしまえば、2や1の軽さの方が異常に感じる)だけど先日、私は体調がすこぶる悪く、ギアを2にした。とんでもなく進みが遅い。
「あらあら遅いわねぇ」
心なしか、対向のおばあちゃんに親近感を覚えられていそうな気がする。
もしこのノロさが誰かの横断を邪魔していたら、きっと何かしらの怒りを覚えられても不思議ではない。
でも私は知っている。このギア2の女は体調が悪いことを。伝える術は残念ながらないが、私は知っているのだ。このギア2の訳を。
別の日、気になる人を見かけた。”普通”と違う、そんな自分の平均値からかけ離れた人に、人というのは興味を抱く。そしてじっと観察する。その行動は、恥ずかしながら、自分の価値観では測りきれなかった。その時、私はこんなことを考えた。
同じ瞬間、私の近くにいたおじさまは、ちょっぴり憤慨していた。その気持ちもよくわかった。危害が加わる、そんな可能性もあったからだ。ただ、憤慨したところでどうにもならないことは明白。事実は事実。そこに感情を半自動的に振り下ろすのは、徒労にすぎないと思う麻裕。0℃の視線でおじさんをも観察する。
その”気になる人”には何か、事情があるはずなのだ。見えないし、本人も私たちには伝えられないような、そんな”事情”が。ギア2で自転車を走らせたから、私は知っているのだ。
私だっておじさまだって、嫌な言葉や感情をアウトプットするために、今歩くこの線を選択したわけじゃない。危険だと思ったら逃げれば良い。それまでは、この不思議な出会いを面白がり、その人の背景をユーモアに落とし込んだ妄想ショートムービーの監督として、大層有意義な時間を過ごしたい。
Fin.
麻裕
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