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江戸から東京へ「江戸東京たてもの園」(前編)~「江戸」から「東京」への忘れ物



【江戸から東京への忘れ物】

長嶋茂雄は学生時代に「I live in Tokyo」を過去形にせよ、と問われた際に、「I live in Edo」と答えたという。お茶目でありながら、なるほどと思わせる答えで、このエピソードを聞くたびに惚れ惚れする。
かつて「東京」は「江戸」と呼ばれていた。時代によって名前が変わる都市は他にもあるが、「江戸」のイメージと西欧化した「東京」のイメージはかなり異なるはずだ。
「逝きし世の面影」(渡辺京二著)という名著があるが、ここには「東京」に移り変わる中で忘れられた「江戸」時代の美しさが表現されている。
「江戸東京たてもの園」では、「江戸」から「東京」に急ぎ足で変わる中での「忘れ物」がたくさん見つかるはずだ。


【紀元2600年記念事業「東京緑地計画」の名残「小金井公園」】


「江戸東京たてもの園」は「小金井公園」の中にある。
「小金井公園」は面積80ヘクタールを誇り、明治神宮内苑(70ヘクタール)よりも広いのだからすごい。

もともとは「紀元2600年記念事業(神武天皇の即位より2600年を記念する事業)」の「東京緑地計画」内の「小金井大緑地」がもとになっている。ちなみに事業を取り仕切る「紀元2600年祝典評議委員会」の阪谷芳郎委員長は、私と同郷の偉人である。

阪谷芳郎

少し話はそれるが、阪谷芳郎は、渋沢栄一の娘と結婚し、大蔵省の高官として日露戦争の戦費を海外から集める手腕を発揮し、東京市長としては明治神宮、乃木神社の建立を取り仕切った都市計画の先駆者でもあるすごい偉人である。何故こんなに知名度が低いのか理解に苦しむレベルだ。
その阪谷芳郎が手掛けた事業の中でも、「東京緑地計画」は東京都の50キロ圏内に962ヘクタールの緑地を作るという、非常に壮大かつ先進的な計画だった。
その名残がこの「小金井公園」であり、その一角に「江戸東京たてもの園」がある。
JR中央線の「東小金井駅」「武蔵小金井駅」、そして西武新宿線の「花小金井駅」からそれぞれ歩くこともできるが、バスがオススメ。駐車場もあるので車で行くこともできる。

【千と千尋の神隠し感のある無人の都市郡】

行ったのは4年前、コロナウイルスのせいで外に行きにくかった時期だった。
花小金井駅から数駅のところに住む後輩を誘い、一緒に行った。
研究者を目指す勤勉な後輩なので、いろいろと教えてもらうこともあるだろう。今までの旅で出てきたクレイジーな後輩とは一味違う、マトモ枠の後輩である。
スタジオジブリとの「江戸東京たてもの園」は縁が深いらしく「千と千尋の神隠し」の作画に園内の施設が役立ったり、マスコットキャラクター「えどまる」をデザインしたのは宮崎駿だったりする。

えどまる
施設のマップ

観覧料は400円(一般)と激安。
風鈴がチリンチリンとなる中を通って、進んでいく。
そこには展示だから当たり前なのだが、無人の家屋が設置されている。まるで千と千尋の神隠しの町並みのようだ。

全てを紹介することはできないが、気になった施設を幾つか紹介させていただく。

【この2階で暗殺されたのか・・・高橋是清邸】

226事件で暗殺された高橋是清の邸宅である。
和風建築に窓ガラスを使用した最初の例らしく、和風の中にも洋風を感じる暮らしやすそうな邸宅だ。

2階にあがると、ここで高橋是清が暗殺されたことを説明される。
移築されたとは言え、同じ部屋にいることには変わりなく、長閑な部屋なのに妙に緊張する。
高橋是清は若い頃にホームステイ先で騙されて奴隷にされるなど波乱万丈の人生を歩み、辛苦に耐えた経験値の高い政治家で昭和恐慌を打開するなど辣腕をふるった。226事件を起こした青年将校たちは貧窮にあえぐ国民を救おうという願いから高橋是清を暗殺し、経済の混迷に拍車をかけてしまう。
伊藤博文を暗殺して朝鮮併合を促進してしまった安重根にも似ている。
高橋是清暗殺は明らかに歴史の分岐点だった。

【絶滅危惧種の銭湯「子宝湯」】


東ゾーンへ進むと、昔ながらの建物があたかも商店街を作っているかのようにならんでいる。
その一番奥にあるのが「子宝湯」である。

普段なら濡れている銭湯の中を、靴下履きでペタペタ歩いていく。なんとも不思議な気持ちになる。

昭和45年に17999軒を数えた銭湯も、現在は1653軒となっている。
かつては銭湯に入りに行くのが入浴スタイルだったが、今は賃貸だろうと風呂があるのが普通となった。銭湯へ行くのは必要性からではなく、嗜好に近くなっている。

「江戸」から「東京」への忘れ物だけでなく、「昭和」の忘れ物もここにはたくさんあるのだろう。

後編へ続きます。


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