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『響け!ユーフォニアム3』何故、原作と違う展開にしたのかをずっと考えていた夏

京都アニメーション作品『響け!ユーフォニアム』は今年、シーズン3を以て幕を閉じた。
北宇治高校吹奏楽部、全国大会金賞受賞おめでとう!
そして、京都アニメーションありがとう!
この気持ちで胸がいっぱいです。

僕はこの作品に出会い、何かに打ち込むことの熱さ、主人公である黄前久美子の人間性に感銘を受けました。
この作品が好きで京都の宇治にも足を運びました。
なので、シリーズの完結は僕の人生に一つピリオドが打たれたような意味のある完結です。
これからも京都アニメーションの制作する作品に期待しております。
では解散しましょう!

……ただし、脚本家花田十輝さんは残ってください。

あなた何故、原作の展開を変えたのですか?
しかも、ちょっとした展開ではなく、物語の根本を揺るがす大きな改変。

原作改変されたことを端的に説明すると……
高校3年生、最後の全国大会で楽器ユーフォニアムのソロパートの座を巡り、黄前さんと3年生から北宇治高校に転校してきた黒江真由で争うことになる。
黒江さんは福岡の吹奏楽部強豪校から転校してきたためユーフォニアムが上手で、黄前さんよりも実力はちょっと上、関西大会では黒江さんがソロパートを吹いていたが、全国大会ではオーディションで黄前さんが再びソロパートを勝ち取って、高校最後の大舞台である全国大会で金賞ももらって悲願達成、大円満を迎える。
しかし、アニメでは全国大会制覇するものの黒江さんがオーディションで再び黄前さんを負かし、全国大会でもソロパートを吹くことになる。
この原作改変が、納得いかなかった。
わざわざ主人公に可哀そうな思いをさせるなよ。

僕は原作を読んでいたので、この改変には放送当時大きく戸惑いました。
原作通りの展開をそのまま描いてほしかった。
それだけで神アニメ確定だったのに。

この原作改変は原作者も承諾しているようで、アニメと原作どちらも違うものとして楽しんでほしいと言っていた。

だけど、原作を読んでずっとアニメ化を楽しみにしていた人にとってはこの展開はつらい結果でしかない、特に10年間ずっと黄前さんを応援していた僕にとってはただただショックだ。
ショックで納得いかないけど、そんな不満を漏らしているだけで終わらせられる問題ではないと考え、2週間あまり、何故原作改変をしたのか必死で考察した。

納得するために、少しでも花田十輝の考えに近づきたくて、彼が黄前さんが負ける展開にしてでも伝えたかったことを考えた、これが正解というわけではないけれど、僕の気持ちをみんなにも聞いてほしい。

それは、黄前さんはユーフォニアム奏者としてではなく、部長としての面をメインに描き、マネジメント目線で北宇治高校全国制覇というストーリーを描きたかった。また、負けることを通して黄前さんの成長について高校生活だけでなくその先の未来を明確に描きたかったのではないかということだ。

黄前さんは、3年生から吹奏楽部の部長に就任した。
彼女の長所は、あんまり人と密接に関わりたくないと思いながらも、根っこの部分では人の気持ちを考えており、平等に人と接して、その上で適切な解決法を提案することができる。
高校生活2年間の吹部ではいろんな問題が起き、主人公である黄前さんはいつもそれに巻き込まれていたため、人望も厚い。
その点が評価されて部長に推薦された。

また、北宇治高校の特徴も話しておく。北宇治高校は完全な実力主義を掲げオーディションを行い、先輩後輩関係なく上手な人がコンクールに出られるシステムになっており黄前さんが入学してからこのルールになった。
黄前さんと親友である高坂さんはこの実力主義で成長していく北宇治高校が好きで、全国大会制覇を目指していた。

3年生編からはその競争が一層厳しくなり、地方大会、関西大会、全国大会に出るたびにオーディションが行われ、部内により緊張感が生まれた。
その方式を提案したのも黄前さん自身だった。

黄前さんは北宇治の部長として、実力主義を浸透させ、より部内のレベルを高めようと徹しながらも、その制度に文句を言う後輩の気持ちも考え、部が荒れないようにフォローをしていた。
しかし、自分よりもユーフォが上手な転校生が現れることにより、信じていたもので自分が苦しむことになってしまう。

転校生の黒江真由、彼女のキャラクター性について詳しく話したいところではあるが、ここでは自分が黄前さんよりもユーフォが上手だと自負していて、ソロパートも吹きたいけど、転校生が部の雰囲気を乱したくないし、部長である黄前さんにソロパートをやってもらった方が士気は上がるから、譲ろうとしているキャラと言っておこう。
ちなみに僕は黒江さんの気持ちもすごいよく分かります。

ソロパートを譲ることを何度も黒江さんは提案する。
そして周りの部員も部長にソロパートを吹いてもらいたいと思っている。
黄前さんはそれに対して奏者としての気持ちを優先するなら、譲り受けたいけど、実力では負けているのにソロパートの座をもらってしまうことはオーディションというフェアな評価制度を台無しにしてしまうだけでなく、自分が部長になってまで信じて積み上げている実力主義の文化を崩してしまうということだ。

マネジメントの立場とプレイヤーとしての立場に揺れる黄前さんは見ていて本当に苦しかった。

そして、最後のオーディションでは奏者の顔が見えないフェアな状況で、コンクールメンバーの前で演奏して、技術のみを指針として投票を行い、一票差で黒江さんが勝ち取った。

黄前さんはその結果を受け入れて、部長が負けたという重い雰囲気が生まれたが、悔しい気持ちは後にして気持ちを切り替えて部内をまとめていた。
3年間北宇治高校のために尽くした黄前さんが、ぽっと出の転校生にソロパートを奪われる。この展開は酷であるが、北宇治高校なら情よりも実力が優先されるし、何よりそれを一番理解しているのは黄前さんである。

また、耳だけで黄前さんの音を聞き分けられるくらい、いつも黄前さんの近くにいる親友であり誰よりも実力主義のシステムを信じる高坂さんが黄前さんよりも黒江さんが上手だったと評価したことで、友情よりも実力を選んたことに大きな意味がある。

北宇治高校は実力主義であるというテーマが主人公としての成長譚や幸福度より優先された展開となったのだ。

それはロジックとして理解できる、黄前さんが納得していても、個人より全体が優先されるという結果は、まだ僕は素直に受け入れられない。
どう考えても終わり方の満足感でいったら……
ソロパートを勝ち取れないけど全国制覇<ソロパートを勝ち取って全国制覇

実際原作では、黄前さんは部長として全国制覇したい、黒江さんよりも上手だと認められたいと覚悟を決めて2つを勝ち取る。
これでいいのに、わざわざ主人公が負けるというマイナスの感情を抱かせ、視聴者を怒らせてでも、花田十輝の描きたかったものは何だと次は考えた。
それは、黄前さんの将来性に対する考えに一貫性を持たせるためではないかと思う。

黄前さんは先生になる将来を選び、先生兼顧問という立場で北宇治高校吹奏楽部に戻ってくるところで幕を閉じる。
しかし、黄前さんは先生になるヴィジョンがずっとあったわけではなく、将来についてずっと悩んでいて、吹部の経験を活かして音大を勧められるが、それはなんとくなく選ばないという迷いをしていた。

先生をやりたいという想いは、高校生活で様々な人と出会い、部長として集団全体をまとめるということにはやりがいを感じていたために進路を確定させるに至った。
この将来性を考えるうえでのフローで黄前さんがソロパートを勝ち取ってしまえば不都合になる要素がある。
花田十輝はソロパートを勝ち取ってしまえば奏者としての喜びを持ってしまい、先生になりたいという将来に対する感情がぶれてしまうと考えたのだろう。

実際、黄前さんは負けた理由として、音大を選ばないという選択をした時から奏者として少し気が緩んだと話していた。
また、原作では黄前さんが黒江さんに勝ったけど、勝てた理由は描かれていなかったので、正直根性論だった。

だから、その経緯をアニメ化する際にどう描くかを苦労して、負けることで成長するというストーリーを思いついたのかもしれない。
僕はそのくらいのご都合主義大好きですけどね!

北宇治高校全体が主役として描かれたアニメ、黄前久美子が主役として描かれた原作というのが最終的な印象だ。

花田十輝はこのようなことを考えて原作改変をしたのなら、僕は納得するしかない、作品全体の完成度としてはお見事だと思う。
だけど、放送当時から純粋に作品を楽しんでいた僕個人では、心から黄前さんには笑って終わって欲しかったと思っている。
黄前さんはこの悔しさを糧にして進みたいと言っていたものの原作ではその悔しさは味わっていないで成長しているのだから、やはり違和感がある。
久石さんの言う通り貧乏くじを引くキャラで終わって欲しくなかった。



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