日記とは。

                  

初めてnoteを利用、いや日記という物を自分の意思で書いた。

そもそも文章を書くこと自体慣れていないのである。なぜ、私は冬の丑三つ時、動かされるようにnoteアカンウトを作り、このような駄文を綴っているのだろうか。何が自分を動かしたのか。…

それはただの自己顕示欲、承認欲求のためだろう。駄文とは言っているが実はただの謙遜だ。

結局のところ、私は他の凡人とは違う、文才がある、と他人から褒められ、自身を証明したいのだ。本当に自分自身に自負があるのなら、
わざわざ自分をさらけ出す必要などないのに。 さて、どうだろう。このままでは承認欲求を拗らせて日記を始めた、ただのかまってちゃんになってしまう。

しかしながら、他にも理由はある。それは私の「日記」に対する特別な想いだ。私が思うに、「日記」という物は、ただの文字が並んだ記号配列はなく、魂が宿る物なのだ。

日々の鬱憤、浮世では言い出せない言葉、些細な気持ちなど、人の心、精神、魂から解離した物が、日記には宿っている。例え綴った人間の魂が滅びようと、日記には魂の一端が残り続ける。

こうして大昔から人の魂は残り、受け継がれてきた。つまり、つまりだ、日記を綴るということは、生物が自らの遺伝子を遺し、後世に伝え続けることと同じように、自らの「生きた証を遺すこと」なのではないかと思うのだ。

私は今ここに、「生きた証」を遺したい。これから綴っていく日記が私の魂の託児所となるのか、黒歴史となるのかは、神のみぞ知る。

散々カッコつけたけど、日記始めた1番の理由は承認欲求です、、、これ読んでくれた方は素直に感想をください。私に文才はあるのかなあ?