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2024/01/12 インドの人身売買の闇 気になる記事

こんばんは!
今回はインドで社会問題となっている人身売買についての記事を紹介する。
記事の内容があまりにも暗く深い、しかしこれはフィクションではなく、世界第5位の経済大国で起こっている実在する話である。
私もNoteでこういう活動を行っていなければ、たどり着くことはおそらくできなかった記事である。
このような記事に接するたびに思うのは、この暗い現実に対して、些細な事でもいいので行動を起こしたい。
今すぐには難しい、それでも受け止め、考え、自分なりの行動を起こしたい。
その時はこのNoteでもぜひ紹介させてもらう。
「西ベンガル州の人身売買 | 崖っぷちの生活」


他のメディアでは取り上げられないようなインドの「深い」ニュース記事を取り上げ、「リアルなインド」を皆さんに紹介していく。
皆さんの意見があったら、ぜひコメントで教えてほしい。


"あちら側"

西ベンガル州のSundipukuria村では運河が村を分けている。運河を挟んで湿地帯と乾燥地帯が存在する。
湿地帯はじめじめとしていて生活が厳しく、乾燥地帯には「立派な」家族が住む。
運河を挟んだ湿地帯には「noshto meye」(「堕落した」女性)が住んでいる。
下水が流れ込む運河の上に置かれた木の板が、2つの世界をつないでいる。
30歳のスルタナ(仮名)は人身売買の生き残りだ。彼女は10歳の双子の娘とあばら屋で暮らしている。誰ひとりとして "あちら側 "に渡ることは許されない。


人身売買の犠牲に


2022年の国家犯罪記録局(NCRB)の報告書によると、西ベンガル州で行方不明になった女性は4万725人、女児は1万571人で、これは国内最多であり、
人身売買業者は、新しい仕事、より良い生活環境、家族への支援を口実に巧みに騙し、弱みにつけ込むという。
スルタナも、年上の女性から高収入の仕事があると誘われ、売春目的で人身売買された一人であった。
彼女は一人の娘を主人に預け、もう一人の娘を連れて、仕事を求めて列車に乗った。娘は当時2歳だった。
娘が駅の食堂で食べ物を買いたいと言ったことを思い出す。
それが彼女の最後のはっきりした記憶だった。意識を取り戻したとき、彼女は列車の個室席にいた。
2人は目隠しをされ、デリーのアパートに連れて行かれた。それから8カ月間、2人は2度売られた。
「私は7万ルピー(約12万円)で、娘は2万ルピー(約3万5千円)でマッサージ店に売られ、逃げようとしたら、ネパールの売春宿に売られました」と彼女は語る。
何度か逃亡を試みた後、身に着けていた指輪と引き換えに、スルタナはニューデリー駅に辿り着き、娘を残して列車に乗り込んだ。
たまたま同じ地方出身だった検札官に事情を話すと、西ベンガル州の警察と人身売買のソーシャルワーカーに連絡してくれた。
数カ月後、警察署を周り、娘を救うために5万ルピー(約7万5千円)を賄賂として渡し、娘を取り戻した。
ベンガルから娘を人身売買した者は逮捕されたが、デリーの男は逮捕されなかった。
村に戻ると、出迎えられるどころか、実家に近づくなと言われた。
一度だけ、彼女の子どもが、近所の子どもの隣を歩いていたら、その一家は橋を渡り、彼女に暴行を加えた。


支援の輪


10年前、隣人によってデリーに人身売買されたChaltaberia村出身のルビカ(仮名)も、同じような苦境に苦しんでいる。
ただひとつ違うのは、彼女には夫がいることだ。
「人身売買業者から救出された後、売春宿に売られたことを家族に言わなかったため、当時16歳だった夫は私を受け入れた。
でも、私が携帯電話をいじったり、家から一歩でも出ようとすると、私が客に会いに行くかもしれないと、誰かが夫に報告するんです」
ルビカとスルタナには、打ち明けられる家族や友人がいない。
この地域にソーシャルワーカーの数が増えてきたことで、2人はお互いに知り合うことができた。
「隣人から私のうわさ話を聞いたり、私が他の男と付き合っていると疑って夫に殴られたりすると、スルタナに電話することがある。
彼女は、私たちの傷跡がいかに消えないものか理解してくれる唯一の人なのです」とルビカは泣きながら言う。


事件化されない


地域のソーシャルワーカーによると、人身売買後のリハビリが行き届いておらず、課題になっている。
家族は行方不明の娘に悲しむが、一度家庭内のrekha(境界線)の外で夜を過ごしてしまうと、もはや娘を連れ戻そうとはしない。
またこの地域の警察は、行方不明になると駆け落ちしたと思い込んで、犯罪報告証明書(FIR)の提出に消極的だ。
最初の課題は、行方不明の少女や女性の親族が地元警察に事件させることで、リハビリは二の次になってしまっている。


人身売買の後


2009年にこの地域が強い熱帯性サイクロンに襲われた後、多くの男女が仕事を求めて南部の州に移住した。
そのため、年老いた祖父母の面倒を見なければならない幼児が大量に残され、親の監視が行き届かない子供たちが人身売買の餌食になった。
人身売買の被害者であるナミタ(仮名)は、7年前に州政府から受け取った補償金で小さな食料品店を始めた。
「当初、人々は汚名のために私の店に来るのを避けていましたが、今では多くの人が来て、私と会話をするようになりました」とナミタは言う。
彼女はまた、この村の人身売買反対運動家の一人でもある。

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