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私のカルチェラタン:新任教師のパリ研修 8

8月2日(火)

パリに来て初めて暑いと感じた。やっと夏らしい日が訪れた。それまで着ていた長袖から半袖にした。

今日からフォネティック(phonetique)の授業が始まった。授業は文法・会話と発音に分かれていて、フォネティックは後者の授業。朝一番に行われる。大学本部から少し離れたセーヌ川近くの建物で行われる。テープを聞いてリピートするというありきたりの練習だ。それにテープが雑音だらけでとても聞きづらい。だが先生は全然気にしている様子が見られない。日本だったら考えられないことだ。

フォネティックのクラスは1時間を二分し、ラボでのリスニング練習と教室での発音練習になっている。発音練習は教師のあとについて単語や文をリピートする。できないとできるまで何度もやり直しさせられる。口が歪みそうになった。

フォネティックのあと通常の授業を受け、その後はセーヌ河畔を散歩した。河岸にはたくさんの露店が並んでいる。ブキニスト(Bouquinistes)と呼ばれる古本屋で、売られているのは古本やポスター、絵葉書、観光客向けのお土産グッズなどだ。担任する生徒たちへのお土産に小さなポスターを40枚買った。

寮に帰ったのは午後3時。身体がすごくだるい。これまでの疲れが出たのだろうか。ベッドに横になったら知らぬ間に寝てしまった。目が覚めたら6時半だった。

7時にSさんと二人でサン・ミシェルのイタリアンレストランで夕飯を食べた。Sさんは仕事をやめて今回の研修に参加している。初日スーツケースが行方不明になった人だ。スーツケースはその後数日たって無事に届いたが、その間必要なものをあれこれ貸してあげたことから親しくなった。

レストランではスパゲティを注文した。でもなぜかピザが運ばれてきた。スパゲッティとピザを聞き間違えるわけはないのに不可解だった。そう言えば海外に行った人が英語でビールを注文したのに牛乳が出てきたという話をf複数の人から聞いた。「ビア(beer)」と「ミルク(milk)」、音は全然違うのにどうしてだろう。

出てきたピザはとってもおいしそうだった。だからそのまま食べた。でもバカでかい大きさで半分も食べられない。Sさんと分けて食べたがそれでも食べきれなかった。。隣の席ではイタリア人らしき男性が大皿のスパゲティを食べたあとに私と同じピザを一人で食べている。イタリア人にとってパスタは前菜と聞いていたがあれほどの量を食べるのは驚いた。それに隣の男性はそれほどの大男でもない。

ワインも飲んだ。パリに来てアルコールの量がぐっと増えた気がする。毎晩飲んでいる。もともとお酒は嫌いではないし、こちらではソフトドリンクを飲むよりビールやワインを飲む方が安いのでついついお酒を飲んでしまう。アル中が問題になるのもわかる気がする。私も帰る頃にはアル中になっているかもしれないと思った。

8月3日(水)

走る日本人

フォネティックの授業のあと今日もセーヌ河畔をぶらぶらした。ベンチに腰を下ろし何をするでもなく周りの人を眺めた。絵を描く若者、新聞を広げる初老の紳士、外国人旅行者らしきグループ、犬を連れた女性が目に入った。

パリの町には至る所に公園や広場があり、そこには必ずベンチがある。そしてだれかが座っている。何をするでもなくじっと座っている人が多い。何もせずに長時間座っている人もいる。日本ではほとんど目にしない光景だ。日本人の多くが時間に追いまくられている。私もその一人だ。何かしていないと落ち着かない。何もしないでいるのはいけないように思ったりする。

だがパリに来てからの私は違う。何をするにもスローテンポになった気がする。私の周りのフランス人はいつものんびりしていて時間を気にしていないように見える。ルーズと言うのではない。気持ちにゆとりがあるのだ。「パリの町で走っているのは車と日本人」という言葉を耳にしたことがある。道路を横断する時もバスに乗ろうとする時も人も走っているのは日本人が多い。フランス人はめったに走らない。


8月4日(木)

サンジェルマン・デ・プレ教会で

夕方少し時間があったのでずっと訪れたいと思っていたサンジェルマン・デ・プレ教会に足を運んだ。メトロの駅のすぐ近くにあり、サンジェルマン通りに面した賑やかな場所にある。だが一歩教会堂に足を踏み入れると人影はまばらで静まり返っていた。入り口付近で若い男性がギターを奏でていた。静かな音色が私の心に染み入った。ロマネスク様式の教会堂にギターの音がこれほど似つかわしいとは思わなかった。

私は祭壇に近づき、最前列の椅子に腰を下ろした。正面のステンドグラスを通して入り込む外の光が祭壇をほのかに照らしている。ひんやりとした空気を感じながら、私はしばし祭壇を見つめた。賑やかなパリの町で初めての落ち着いた時間だった。

ステンドグラスに描かれたキリストの姿が私をじっと見つめているように感じた。そして思った。「そうか、西欧にはキリスト教があったのだ。神が存在するのだ」これまでどれだけ多くの人が神を信じ、神に助けられてきたのだろう。神という目に見えない存在が人々をどれだけ救ってきたのだろう。神の存在の大きさを私は感じた。

そんな気持ちで再びキリストの顔を見上げると私にはその顔がさっきと違っているように見えた。そして キリストが私に何かを問いかけているように感じた。何を問いかけられたかはわからない。いつしか堂内は暗くなり、ひんやりとした空気が一層強く感じられた。不思議な感覚だった。

夜の音楽

夜10時少し前だった。ベッドで横になって本を読んでいると隣の部屋から大きな音が聞こえてきた。音楽のようだ。この部屋では来た早々から騒音で悩まされている。隣室はアメリカ人だが他人への迷惑はあまり考えていないようだ。激しいロックのリズムが壁を通してガンガン伝わってくる。日本への手紙を書いていたKさんもさすがに閉口しているらしく顔をしかめている。私は読書を続ける気になれず本をおいて目を閉じた。そしてとりとめなくいろいろなことを考えた。日本にいる家族や友人のこと、仕事のこと、これまでの自分とこれからの自分、文化とは… そのうちにいつしか眠りに落ちていた。
 


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