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日本と異なる授業の風景

教室に複数の先生

オーストラリアでは教室に複数の先生がいることが珍しくありません。何人かで分担して授業を行ったり、個々の生徒に付き添ったり、グループごとに配置されたりします。先生なのかボランティアなのか判然としないこともあります。でもだれもが子どもたちの教育に関わる重要な人たちです。通訳や障がいのある生徒の付き添いとして関わるスタッフも多いです。

右の女性は英語を母語としない(EALD)生徒を支援する教師。手前にいるのが支援対象の生徒たち。いろいろな国からの移民生徒です。

オーストラリアではティーチャー・エイド(Teacher Aid)と呼ばれる補助教師の人たちが学校ごとにたくさん採用されています。正規の教師ではありません。教員資格は必要なく、そのほかの資格も特に必要とされません。でも教育に関わる者としてのプライドを持つ人は多く、仕事に従事しながら教育分野のサーティフィケート(資格証明)を取得する人が多いようです。補助教師の全国的な組織もあり、研修もさかんに行われています。

ティーチャー・エイドの全国組織のひとつ↓

ティーチャー・エイドは原則として単独で授業を行うことはできません。あくまでも支援者として授業に関わるのですが個別支援が盛んなオーストラリアではその存在は欠かせません。一対一で支援することもあれば複数の生徒を担当することもあります。別室で指導することもあります。

ティーチャー・エイドとは別に保護者や地域の人たちがボランティアで関わることも多いです。ボランティアも特別な資格は必要ありませんが犯罪歴等がないことの証明は求められています。

保護者の授業への参加を積極的に行っている先住民生徒の多い小学校↓

生徒がそれぞれ違うことをやっている

算数のワークシートに取り組んでいる子どもがいるかと思うと、別のグループはティーチャーエイドのアドバイスを得ながら作文を書いています。教室の片隅で本を読んでいる子もいれば、窓際に並んだコンピュータに向かう子もいます。別室や廊下にも生徒がいます。みんな同じ授業を受ける子どもたちです。ちょっと見た感じでは休み時間のようですが、れっきとした授業です。担当の教師があちこち移動しながら子どもたちの様子を見ています。

オーストラリアでは教師が一方的に「教える」という授業はあまり見られません。一斉指導も行われますが、個別指導がはるかに多いです。最初に教師が全員に説明したあと、生徒が個人でワークシートに取り組んだり、グループで活動したりします。それぞれ取り組んでいることが違い、先生は必要に応じて助言します。教室にいる生徒が全員同じことをする日本とはずいぶん違うように感じます。

ローテーション方式の授業もよく見ます。生徒はグループごとに違う作業をしており、時間が来ると教師が「移動して!」と声をかけます。小学生などはずっと同じ作業を続けることが難しいからという理由もあるようですが、私にはちょっと落ち着かないように見えることもありました。

下の数枚の写真は地方都市にある小規模の小学校の授業の様子です。2年生から4年生の3学年合同で授業が行われ、生徒は小グループに分かれて学習していました。教師は複数います。

小グループで異なる課題に取り組んでいます。手前のグループにはティーチャーエイドが付き添っています。
コンピュータで学習するグループもあります。
コンピュータグループに先生が加わりました
個別課題に取り組んでいます
となりの部屋で学習しているグループもあります。

別の学校でもグループ学習が行われていました。

グループ学習

個別指導と一斉指導をバランスよく

一斉指導より個別指導の割合が大きいのは、学力や特性、学習スタイル、興味関心などは生徒によって異なるからです。学習のペースも同じではありません。それを一様に指導するのは効果的ではないし、不合理だと考えるのでしょう。学習目標は同じであってもそこに至るプロセスは違ってもよいのです。生徒がすべて同じやり方で学び、同一の基準で評価されるのは不合理だという認識があるように感じます。

日本でも近年は個別化指導(differentiated instruction)」が注目されていますが、これはすべての生徒を同じ方法で指導するのではなく、学習能力や学習スタイル、文化や言語、社会経済的背景などの違いを考慮し、ニーズに合わせて指導する教授法のことで、著名な研究者トムリンソン(Tomlinson)は個別化指導では以下が重要だとしています。

①生徒の学習を積極的に支える学習環境を設定する
②教師は一人一人の違いを把握する
③学習を支援するようなカリキュラムを構成する
④評価と指導を切り離さない
⑤生徒の多様な背景や特性に対応した学習内容、方法、課題を設定する
⑥学習は教師と生徒が協働して行う
⑦クラス全体と個人の到達目標のバランスを考える
⑧教師と生徒は柔軟に活動する

授業中に廊下に生徒が出て行きました。「トイレかな?」と思ったら廊下で何やら作業を始めました。すぐに「授業離脱」と考える私は日本人だからかもしれません。

生徒が遊んでいるように見えることもあります。ゲームのようなものをしていたり、おもちゃで遊んでいるように見えたりします。やっていることがばらばらで何の授業だかわからないこともあります。あちこち行ったり来たりしていることもあります。ぞれが好き勝手なことをしているように見えますがよく見るとみんな共通のテーマを扱っており、時に助け合って学習していることがわかります。

一斉指導では教師と生徒のインタラクションが活発です。教師が一方的に話し、生徒がそれを黙って聞くという場面はほとんど見られません。生徒もよく発言しますし、自分の意見を言います。反論もします。ディスカッションやディベート、プレゼンテーションも、小学生のうちから盛んに行われています。 

また、知識を得ることよりも考えることに重点が置かれた授業が多いように思います。先生は「どう思いますか?」とか「なぜそう思うのですか?」とよく聞きます。知識を問うのではなく考えを聞きます。さらになぜそのように考えたのか聞きます。「覚えなさい」と言うことはほとんどありません。知識も重要ですが、知識そのものより知識を得る方法を先生は教えます。覚えるよりも考えることを重視した授業が行われています。

教師は勉強のしかたも教えます。生徒がわからなときは答えを教えるのではなく答えを見つける方法を教えます。だからわからないことはどんどん言わせます。恥ずかしいことだと思わせません。

いずれにしても学校ごとに先生たちがあれこれ工夫して授業を行っていることがわかります。

先生はほめるのがうまい

「グレイト!」「エクセレント!」「ハウ・クレヴァ―!」「オーサム」「アイム・プラウド・オブ・ユー!」先生の口から次々に飛び出すほめ言葉。ほめるだけでなく「よく計算できたね」「なかなかいい考えだね」「独創的だね」「あなたのそういう態度が好きよ」などと良い点を具体的に言います。何をほめられたのか子どもにわかることが大切だからだそうです。

オーストラリアの先生は生徒をよくほめます。そして、ほめ方が上手です。わざとらしさを感じさせません。子どもはほめられれば嬉しいです。もちろん大人だって嬉しいです。でも、ほめるのは難しいです。わざとらしく感じられたり、お世辞と思われたり、裏に何か魂胆があるのではないかと勘ぐられたりします。私自身も生徒をほめたときに「なんかわざとらしい」とか「お世辞じゃないの」と言われることがありました。ほめられることに慣れていない日本の子どもたちは特にそういう反応をするように思います。ほめるのも難しいです。

ほめるだけでなくしつけも厳しい

先生はほめるばかりではありません。注意もしますし、叱ることもあります。授業のマナーには特に厳しいです。誰かが話しているのに割り込んだりするとすぐに注意されます。徹底しているのは話し手に注目させることです。全員が耳を傾けるまで何度でも注意します。シーンとなるまで先に進めません。求めるレベルが日本とは違うように感ます。

態度が悪く、何度も注意されるとペナルティーが科されることがあります。日本の学校では生徒に授業を受けさせないことは原則として認められていないようですが、オーストラリアでは指導の一環として教室から退出させられることはよくあります。オーストラリアの先生もやさしさと厳しさをバランスよく使い分けて指導をしているようです。






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