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誤解を招いた側の責任は?

「そのような意図はありませんでしたが誤解を招いたのであればお詫び申し上げたい」政治家がよく口にする言葉です。自分にはそのような意図はなかった、誤解した方が悪い、自分には責任がないと言っているように聞こえ、違和感を持つ人は少なくないと思います。私もその一人です。

人間関係に誤解はつきものです。自分の発言が意図したこととは異なる意味で受け止められ批判されるのは政治の世界だけではありません。日常生活でもよくあります。教員時代にこんなことがありました。

「私がそんなこと言うわけないでしょう。なんできちんと説明してくれないのよ」懇談会が終わった職員室で女性教師が怒鳴っていました。私と同世代の美術の教師で、怒鳴られているのは教職経験の浅い男性教師です。経緯はこうです。男性教師のクラスで男子生徒(仮にAくんとします)の母親からクレームがありました。女性教師がAくんに「授業態度が悪いからあなたには5はあげない」と言ったというのです。それだけでなく「あなたは5がいっぱいあるからこれ以上いらないでしょ」とも言ったそうです。Aくんは成績がよく、美術も得意です。母親は美大を出ており息子の絵のセンスも認めています。母親は「授業態度」を評定に含めることに納得がいかなかったようですし、これ以上5は要らないだろうという教師の発言にも疑問を持ったようです。当時は相対評価が行われており、各評定の人数は決められていました。Aくんに5がつかなければ他の生徒に5がつくことになります。

男性教師は事情がよくわからないので「確認します」と言ってその場を収めたそうですが、女性教師はそれも気に入らなかったようです。女性教師の言い分はこうです。Aくんも母親も自分の発言を誤解して受け取っている。Aくんの態度は授業を受ける者としては不適切で、自分はそれを改めてもらいたいから言ったまでだ。「5がいっぱいあるからこれ以上いらないだろう」というの本意ではない。美術だけ手を抜いていると思うから言ったまでだ。同僚ならそのくらいのことは理解して、その場で誤解を解くのが当たり前じゃないのか。こう言って男性教師を非難したのですが、私は筋違いの非難だと思いました。男性教師に非はなく、「確認する」と言ったことも適切だと思います。むしろ誤解を招く発言をした女性教師に責任があると思いました。

教科の評定に「授業態度」を含めることに関しては様々な意見がありますが、ここでは評価方法ではなく「誤解」について取り上げます。女性教師は母親の受け止めが誤解であると言いますが、誤解を招く発言をしたのは彼女です。生徒や保護者がどのように受け取るかを考えずに発言した彼女にも責任があると思います。彼女がどのような場面で、また、どのような口調でその発言をしたかわかりませんし、Aくんと女性教師の関係がどのようなものだったのかもわかりません。でも少なくともAくんは中学生なりに彼女の発言を聞いてそのまま母親に伝えたのでしょう。その場にいなかった私には詳細はわかりませんでしたが、疑問を感じたので彼女に言いました。「自分に意図がなくても聞く側がどう受け取るかはわからない。まして中学生なのだから教師の意図をそのまま理解するとは限らない。だから責任の一端はあなたにもあるのではないのか」と。でも彼女は聞く耳を持たず、誤解した方が悪いの一点張りでした。

最近はことばの一部を切り取って批判する風潮が強まっているように感じますが、誤解を招く発言をしたことを謙虚に認める姿勢も大事だと思います。



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