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加計呂麻島の残像

奄美大島を旅したとき、加計呂麻(かけろま)島にも足を運びました。加計呂麻島は奄美大島の南端から大島海峡を隔てた向かいの島です。島へはフェリーで渡ります。島の多くは山林で、集落はほとんどが海辺に立地しています。

特攻艇「震洋」

加計呂麻島は青い海と赤いハイビスカスが咲き乱れる静かで美しい島です。でもそんな美しい島にも暗い戦争の記録が残っています。太平洋戦争末期、奄美大島は沖縄への前進基地、そして本土防衛の最前線となり、加計呂麻島には海軍によって「震洋」と呼ばれる特攻艇が配備されました。「震洋」は木製の小型モーターボートで、船首部分に爆弾を搭載しており、敵艦に体当たりするものです。「自殺艇」などと呼ばれていました。

島内の呑之浦地区というところには第18震洋隊、三浦地区には第17震洋隊の2部隊が配備されました。呑之浦地区の入り江に震洋を格納する壕がいくつか残されていると聞いたので訪ねてみました。ここには12の壕に50艇の震洋が格納されていたと言われています。

格納壕は山肌を掘り抜いて作られていました。入り口の高さは2メートル半、幅は3メートルで、奥行きは最大36メートルあるそうです。「震洋」のレプリカが収められている壕もありました。べニア板で造られたおもちゃのような小さな船です。これで戦争に勝てると思っていたのかと信じられませんでした。静かな入り江にひっそりと残る戦跡を見てむなしい気持ちになりました。

「震洋」が格納されていた壕

「震洋」のレプリカ

案内板


「震洋」と島尾敏雄

呑之浦地区の第18震洋隊は戦後に作家となった島尾敏雄が隊長を務めたことでも知られています。島尾敏雄は小説『死の棘(とげ)』などの作品で知られる作家ですが。彼の文学は、加計呂麻島での戦争体験が原点になっていると言われています。敗戦の色が濃くなった昭和19年11月、第18震洋特別攻撃隊の島尾は180人余りの隊員を率いて吞之浦に入り、基地を設営します。そして翌20年8月13日に出撃待機の命令を受けましたが、そのまま終戦を迎えます。ひたすら死を待つだけの日々を島尾は戦後『出発は遂(つい)に訪れず』という作品に書き、出撃命令を待つ人の極限状態や狂気、絶望、虚無といったものを描いています。加計呂麻島から帰って私はこの本を読んでみましたが、鬼気迫るものを感じました。

島尾は島にいる間に旧家の一人娘長田ミホと出会い、戦後結婚します。島尾ミホとなった彼女も後に小説『海辺の生と死』を書き、島尾との日々を綴り第15回田村俊子賞を受賞しました。

島尾敏雄の記念碑


寅さんとリリーが暮らした家

加計呂麻島は男はつらいよシリーズの最終作『寅次郎紅の花』のロケ地としても知られています。浅丘ルリ子演じるリリーと寅さんがしばらく一緒に暮らしていた家があったとされる場所には記念碑が建てられていました。

ヤシの実で造った顔が庭先に置かれていました。

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