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57 違うものさしで測ってみる 

30センチのひもはどんなものさしで測っても30センチ。500グラムの石はどんな秤で測っても500グラム。長さや重さはどこでだれが測っても同じで、万国共通です。人の価値基準はどうでしょう。何かを立派だと感じたり、取るに足らないなどと感じたり、美しい、醜い、素晴らしいなどど感じるのは人によって異なります。だれかのことを優しいと感じたり、冷たいと感じたり、素敵な人だと感じたり、嫌な人だと感じたりするのも人によって異なります。

そんな目には見えない価値を判断する基準は一人一人違います。共通のものさしはありません。時や場面によっても違ってきます。判断する対象が違えばものさしも別のものを使うべきでしょう。でも人は概して同じものさしで測りがちです。自分の固定したものさしを使いがちです。特に人を評価するときには。

他人のことをあれこれ評価するのが好きな人がいます。生徒の中にもいます。「Aさんは自分勝手だから嫌いだ」「Bくんはわがままだから付き合いたくない」「Cさんは嘘つきだから嫌がられている」「部活をさぼっているDくんはやる気がない」というように。「変わった人」とか「暗い人」などという評価もしがちです。その際に使うのが自分のものさし(価値基準)です。でも果たしてそれは正しい評価でしょうか。自分の判断は正しいでしょうか。自分の評価や判断が絶対的に正しいと思うのは錯覚ではないでしょうか。

私たちは概して自分の考えに固執しがちです。でも、自分の判断はもしかしたら間違っているかもしれないと思うことは大事です。意地悪、自分勝手、嘘つきなどと思っていた人が実はそうではなかったということにある時突然気づくことがあります。暗いと思っていた人が話してみると意外に明るかったりすることもあります。部活に来ない人にだってやる気がないのではなくて何か事情あるのかもしれません。

同僚の中に「癖がある」という表現で生徒を評価する女性教師がいました。もちろんマイナスの評価です。「ひねくれている、素直ではない、反抗的である」などという意味で「癖がある」と言っていたようですが、私には違和感がありました。彼女が評価しているのは「性格」あるいは「特質」です。そもそも教師が生徒の性格や特質を評価することに合理性はあるのでしょうか。さらに自分が好ましくないと思う性格にマイナスの評価を与えることにも疑問を感じます。私には彼女の評価が正しいとは思えませんでした。

人にはいろいろな面があります。一面だけを見ていたのでは本当の姿はわかりません。また、すべての人を同じものさしで測ることはできません。私たちはたくさんのものさしを持ち、それを使い分ける必要があると思います。日常的に生徒を評価することを「仕事」にしている教師は特にそうだと思います。人を評価するときに自分のものさしで評価することに疑問を持たない教師がいます。だれに対しても同じ基準を用いて「協調性がない」とか「わがままだ」とか言ったりします。私は複数のものさしで測ることを大事にしたいと思います。

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