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「ホットライン」第1話

あらすじ

 紫藤大介は中学時代は有名選手だったが、あることを理由にアメフトを辞めた。
 高校に入学すると同級生、三岡奈緒美からアメフト部に誘われ、無理矢理練習に参加させられてしまう。
 喜ぶアメフト部。力を見たいと部長の海福と一対一を挑まれるが、大介は戦う前に倒れてしまう。
 保健室で目を覚ました大介は、付き添っていた三岡にアメフトを止めた理由を話す。試合で相手を怪我させたことで、ぶつかり合うことが怖くなったのだ。入部はできないという大介に、三岡は翌日の放課後、河川敷のグラウンドに来るように言う。
 三岡に案内されたそこに、フラッグフットボール同好会が集まる。三岡は一緒にやらないかと誘い、大介は入会を決める。

捕捉

今後の展開の最初の区切りは、男女混合チームによる非公式大会でライバルチームに勝利する、というのを想定しています。

主要キャラクター

紫藤大介 しどう だいすけ
 高校一年。元プロアメリカンフットボール選手、紫藤賢介の息子で、関西選抜のディフェンスエンド。
 全国大会決勝で相手のクォーターバックを怪我させたことから、ぶつかり合いが怖くなりアメフトから距離を置く。
 同級生の三岡奈緒美から、接触のないフラッグフットボール同好会に誘われ、父のようなレシーバーになるため、入会を決意する。
 幼い頃、父に叩き込まれた、パスルートを確実に走る力を持つ。185センチ80キロ。

三岡奈緒美 みつおか なおみ
 高校一年。フラッグフットボール同好会会長。走りながらでも精密なコントロールのパスを投げられるクォーターバック。
 大介の実力を知っておりアメフト部に誘うが、彼の抱える事情を知り、接触のないフラッグフットボールに誘う。
 実は過去に大介と出会っており、それがきっかけで彼女はクォーターバックを志したのだが、大介は覚えていない。159センチ。

サブキャラクター

 以下は3話時点で顔見せ程度、あるいは名前が明かされていないキャラクターです。

海福晴哉 かいふく せいや
 高校二年。新英高校アメフト部部長。176センチ90キロ。悲願である関東大会出場を目指し、大介をアメフト部に誘う。センター兼ディフェンスタックル。

中川一也 なかがわ かずなり
 高校一年。新英高校アメフト部兼フラッグフットボール同好会。期待の一年生ラインマンだがフラッグではレシーバー。坊主頭の強面だが性格は穏やか。195センチ95キロ。元バスケ部で体格の割にスピードもあるが、暑さに致命的に弱く、スタミナがない。

馳恭平 はせ きょうへい
 高校一年。新英高校アメフト部兼フラッグフットボール同好会。ワイドレシーバー兼コーナーバック。158センチ42キロ。元バスケ部で一也の幼馴染。長髪で一見チャラそうだが根は真面目。スピードとジャンプ力はあるがシュートが下手で、アメフトに転向した。 

小林佳織 こばやし かおり
 高校一年。新英高校フラッグフットボール同好会。160センチ。黒髪ツインテール。一重瞼の少し色っぽい女子。センター。 

川神淳 かわかみ じゅん
 元Xリーグのクォーターバック。今はロス五輪のフラッグフットボール日本代表を目指している。大介の父とは同じチームでコンビを組んでいた。182センチ。

桐生明楽 きりゅう あきら
 明桜二高の一年生。ベリーショートで高身長、切れ長の目をしたイケメン風だが、女子。高い身体能力と強肩を持つクォーターバック。物静かな性格で、あだ名のセンスが独特。180センチ。 

渡部弓美 わたべ ゆみ
 明桜二高の一年生。明楽の親友。小柄な金髪サイドテール。見た目通りのギャル口調でサバサバした性格。通称ユミユミ。レシーバー。162センチ。 

近藤洋子 こんどう ようこ
 明桜二高の一年生。明楽の親友。やや肉付きの良い黒髪団子ヘア。真面目でしっかりもののお姉さん風。通称マル。センター。168センチ。

宮沢拓哉 みやざわ たくや
 佐神大附属高校アメフト部一年。中学時代、全国大会決勝で大介のタックルにより膝を怪我して、今はリハビリ中。怪我はプレー中の仕方ない事故と割り切っている。

第1話 本文

ヘルメットをかぶった屈強な男たちがフィールドに散っている。
しばらくして、掛け声とともに最前列の大柄な男が後ろに楕円球を放った。
それを受けた背の高い男が、今度は前方へ矢のようなパスを投げる。前に走り込んでいた男が素早く反転するとボールをジャンプキャッチし、倒れ込んだ。
「通りました! 川神、紫藤のホットライン! タッチダウン!」
「ポストからジグアウト。紫藤くんの得意のコースです。タイミング完璧でしたね」
興奮気味の実況と解説。七歳の紫藤大介は目を輝かせてテレビにかじりつく。
試合はライスボウル。毎年一月に東京ドームで学生王者と社会人王者が戦う、日本のアメリカンフットボールのシーズンを締めくくる試合だ。
「また見てんの。飽きないねえ」
そんな母の呆れ交じりの声を無視し、大介はパスをキャッチした背番号88番選手がズームされている様子を見続けている。
テロップに出てきた名前は紫藤賢介。大介の父だ。
大介は思っていた。
いつか必ず、父さんのようになるのだ、と――

どん、と何かがぶつかった衝撃に、大介は目を覚ました。
「あ……ごめん」
こちらを見るクラスメイトの目は、明らかに怯えていた。どうやらふざけていて彼が机にぶつかったようだとすぐに察する。
「ええよ、別に」
ぶっきらぼうに大介がそう言うと、クラスメイトはひきつった笑みを浮かべながらもう一度、「ごめんね」と言って、そそくさと離れていく。
別にそんなに怯えんでも。
なんて頭を掻きつつ、自分の見た目を鑑みれば仕方ないとも思う。
185センチの身長と筋肉質な身体、逆立った短い赤髪にやぶ睨みの顔は、市内一の進学校である神奈川県立新英高校一年七組の生徒の中にあって、明らかに異質な存在だ。大阪から越してきたばかりということもあって、入学式を終えて二週間経った今になって尚、大介が孤立しているのは自然と言える。
ざわざわと騒がしい昼休みの教室。空いた窓からは曇天が覗き、春にしては涼しい風が入り込んでくる。黒板の上の時計を見れば、時刻は十三時。母のこさえた弁当を食べ終えて昼寝と決め込んだはずが、時間にして十分程度しか経っていない。
妙な夢、見たな。
あくびと共に大きく伸びをすると、目の前にすっと女子の制服が現れる。
野暮ったい黒縁眼鏡をかけた、外跳ねのボブカットをした小柄な女子だ。垂れ気味の大きな目をした可愛い顔はどこか小型犬っぽい。
女子は眼鏡の奥の目をキラキラと輝かせながら、こちらをじっと見ていた。
「なんか用?」
思わず睨むような形で大介が問うと、彼女は大介の机に両手をついて、こちらに身を乗り出してきた。大きめの胸がずいっと迫ってくるのを、「ちょい」と窘めつつ、大介は後ずさる。
彼女は興奮気味に言った。
「紫藤大介くんじゃない?」
「あん?」
「そうでしょ? 昂西中の紫藤くん。関西選抜のディフェンスエンド!」
その言葉に大介はどきりとした。彼女は「やっぱり!」と嬉しそうに指を慣らす。
「見たことあると思ったんだよ。え、どうしてウチの学校? 引っ越し? 昂西高校にエスカレートしなかったの?」
まさか、女で俺を知っとる奴がおったとはな。
わざわざ髪を染めてイメージを変えたはずだったが、出身中学、詳しいポジションまで把握されている。人違いでは通らなそうだ。仕方ないので、大介は舌打ちと共に認める。
「俺がその紫藤やったら、なんやの? まずは名乗りや。誰、君?」
「がーん。やっぱり私のこと、覚えてないんだ」あからさまに不満そうな顔になり、彼女は肩を落とす。「まあいいや。私、四組の三岡奈緒美」
はあ、と大介は気のない返事をし、改めて三岡を見る。
どっかで会ったことあったかな。まあ、どうでもええか。
「三岡さんね。で、なに?」
冷めた目を返す大介に対し、三岡は我に返ったようにはっとした顔をして、咳払いをした。
「なにって。私が聞きたいよ。どうしてアメフト部に入らないの? もう入学式から二週間経つのに」
「そんなもん、俺の勝手やろ」
なんだ、要はアメフト部の回し者、マネジャーあたりか。
大介は苦い顔で視線を窓に逸らすが、彼女は回り込んで顔をのぞき込んでくる。
「だって、全国優勝のメンバーなのにもったいない。ウチってさ、県立だけど神奈川じゃ佐神大付属、明桜二高の二強に次ぐ存在なんだよ?」
「知っとるよ」
神奈川から関東大会に出られる高校は二つ。新英が県立ながらそこに肉薄している存在であることは、大介だって知っている。
「じゃあ、どうして? 紫藤くんが入ればもしかしたら――」
「こっちに来たのは、お袋の実家があるからや」
三岡の言葉を遮り、大介は小さくため息をつく。面倒だが事情は話しておかなければ。これから先もしつこく勧誘されてはたまらない。
「中二ん時に親父がくたばってな。俺が高校、下の双子の弟妹が中学に上がるタイミングやから丁度ええってな」
「お父様って、紫藤賢介選手でしょ?」
「なんや知っとんのか」
「そりゃあね」
大介の父、紫藤賢介は日本では数少ないプロのアメフト選手だった。三十五歳で引退し、会社員の傍らコーチ業をしていたが、三年前にがんを患い、一年を経てあっけなく死んだ。若い頃はNFLに挑戦するなど時折スポーツ誌で騒がれたが、所詮はアメフトという狭い世界の話で、日本での知名度はそれほど高くない。
「でも、それがなんで?」
「あのなぁ、察しろや。お袋しかおらんねんで。弟妹もおるのに、アメフトなんて金かかるスポーツやれんよ。ただでさえ親父の稼ぎ、大したことなかったのに」
「そうなの?」
「当たり前やろ。NFLならともかく、日本のプロなんてサラリーマンの年収と変わらん。その上、アメリカへの渡航費やら、トレーニング施設の金やら、全部自腹やねんで。少ない貯金も治療費ですっ飛んだわ。こっち越してきたのも、お袋の実家なら家賃がかからんからやし、県立に入ったのも学費がマシだからや」
子供三人を大学まで行かせようと息巻く母だ。父の生命保険があるとはいえ無駄な出費は極力抑えるべきと、長男としては思うところである。
まあ、本当はそれが理由やないけど。
「せやから、俺は部活やる気ないねん。悪いな」
話を畳んで再び机に突っ伏しようとすると、三岡は待ったと言わんばかりに先回りして机に上体を乗せ、
「なるほど。事情は分かったよ。で、今日の放課後、部に顔出せそう?」
上目づかいでしれっとそんなことを言ってくる。
「お前、話聞けや。行かんて」
「うん。だから、事情は直接、部長に伝えてよ。あの紫藤大介がウチの学校にいるらしいって、アメフト部は大騒ぎだもん。まあ、教えたのは私なんだけど」
「お前のせいやんか」
「だって、昨日の放課後に下駄箱にいるの偶然見つけちゃったからさ」
渋面になる大介に対し、三岡は気にした風もなくにこにこ笑っている。そして、
「ま、そういうわけだから」
そう言ってすっと立ち上がると、三岡はさっとその場を離れていく。
「なにがそういうわけ……ちょう待てコラ、おい!」
大介の制止を無視して、三岡は教室を出て行ってしまった。
残された大介は呆然とその背中を見送り、
「誰が行くか」
そう独り言ちて、今度こそ机に突っ伏した。

曇天の下、校庭にはアメフト部員が集まっている。皆、一様に練習用ジャージに身を包み、体格のいいものもいれば、そうでない者もいた。
その前に立つ部長の海福晴哉は、縦横に大きな身体をアメフト部の練習用ジャージで包み、小脇にはヘルメットを抱えて興奮気味に部員たちに語り始めた。
「今日、俺たちと共に戦ってくれる新人が入部した。お前らも知る、あの全国優勝した昂西中の紫藤大介だ!」
おお、と野太い歓声が部員から上がった。その視線の先は海福のすぐ隣、彼とまったく同じ格好をして立っている大介に向けられている。
興奮冷めやらぬ顔の海福と対照的に、大介は冷めた目で盛大にため息をつく。
いや、なんでもう入部って話になっとんねん。
内心で頭を抱えつつ、ちらりと部員の端にいる学校指定の青いジャージ姿の三岡に視線を送ると、彼女はにこっと笑って小さく手を振った。
くそ、あの女。えげつない真似しよって。
帰りのホームルームが終わり、早々に学校から逃げようとしたところ、下駄箱に彼女を含めた部員数名が待ち構えていたのだ。当然のようにそのまま連行されて、着替えさせられて、今に至る。
「これで部員は二年十三名、一年十名。悲願の関東大会出場をも目指せる、そんな仲間たちに恵まれ、部長としてこんなに嬉しいことはない!」
時代がかった喋り方で、ややしもぶくれ気味の頬を真っ赤にして海福は話し続けている。海福の演説に当てられたように、部員たちも盛り上がっている。彼らから向けられる熱い視線を避けるように、大介はただただ顔を俯けた。
一通り気が済んだらしく、話が一段落したところで海福は一つ手を叩く。
「では、今日も練習を始めるぞ。基礎を意識して、一年は決して無理をするな。二年は春大会に向けて、己の課題を意識してやっていけ。が、その前に――」
そこで言葉を切ると、海福は角刈り頭にヘルメットをねじ込み、丸太のような両腕のストレッチを始める。それを見て、部員たちがにわかにざわめいた。
「あれか」
「あれだな」
そんな声が部員から漏れ聞こえて、大介は眉をひそめた。
なんや? なんか雰囲気が――
ふと肩に海福の手が置かれ、大介は弾かれたように彼を見る。
「ヘルメットを被ってくれ、紫藤」
「はあ?」
意図が分からず大介が首を傾げると、海福はヘルメットのストラップを止め、マウスピースを口に入れた。
「俺もラインマンのはしくれだ。力不足かもしれんが、全国一のディフェンスエンドであるお前の実力を確かめたい。ぜひとも一対一で手合わせして欲しい」
え、と大介は思わず後ずさった。
冗談、やろ?
だが海福の目は真剣そのもので、強敵を前にした昂りさえ感じられる。
「大丈夫だ。そのマウスピースは新品だ。お前に進呈しよう」
「いやいや、そういう問題じゃないでしょ。なんで――」
大介のツッコミをあっさり無視して海福は距離を取り、右手を地面につけてセットする。
いやいや、なに? この学校の人ら、人の話聞かんのがデフォなん?
ふと、二メートル近い坊主の大男がぽんと大介の肩を叩いた。無表情で、大きな釣り目が妙に迫力を感じさせる。
「部長の趣味だ。ラインとみるとすぐ勝負を挑むんだ。許してやってくれ」
「許してやってくれ、やないすわ。普通に嫌です」
「すまん。だが、俺も楽しみだ」
ぐっと親指を上げ、離れていく大男。
いや、ちょう待って。なんでいきなりそんな流れ? 誰かツッコめや。
どうやら逃げることの許されない場の雰囲気だ。他の部員たちに円で取り囲まれている様は、さながらプロレスのリングである。
海福はどっしりと構えたまま、「さあ、構えろ」と嬉しそうに言う。
構えろったって。
周囲のはやす声がどこか遠くから聞こえる。現実感が薄れ、追い立てられるように大介はヘルメットを被った。そしてマウスピースを口に入れ、ぐっと食いしばる。
瞬間、どくん、と大介の心臓が早鐘を打つ。同時に足が震える。胃のあたりがきりきりと痛む。視界が狭まる。
熱に浮かされたように大介は右手を地面につけて屈みこむ。相撲の立ち合いのように二人が向かいあった。そして――
「セー、ハット!」
誰かが合図のスナップカウントを叫んだ。海福がこちらに向かってくるのがゆっくりと見え、
「……って、おい、紫藤!」
誰かの声と共に意識が遠のき、大介はその場で前のめりに倒れ込んだ。

晴天の下の天然芝のフィールド。鈍い打撃の感触が腕の中に残る。
直後、膝を抱えて倒れ込む紺のユニフォームに橙のヘルメットの少年。
それを眼下に立ち尽くす、赤いユニフォームの大介。
場面が変わり、真っ白な四人部屋の病室。その入り口に立つ自分。
窓の外を見ていた、右足を吊ってベッドに横たわる坊主頭の少年。
日に焼けたその顔がこちらを向いた。大きな目は吸い込まれそうで、挑戦的に輝いている。
やがて彼は口を開き――

目が覚めると、クリーム色の天井だった。どこかと考えるよりも前に、「あ、起きた」
と女の声がして、反射的にそちらを見ると三岡が椅子に座っている。その足元には、制服が詰まった大介のデイバッグがあった。
「保健室だよ。さすがにアメフト部の皆なら運ぶのは一瞬だったね」
「なるほどな」
大介は窓の外を見る。曇り空は今にも雨が降り出しそうだ。どうやらそれほど時間は経っていない。
椅子に座った三岡は眼鏡をついっと指で上げて、少し申し訳なさそうに顔を俯けた。
「噂は本当だったんだね」
「噂?」
「去年の、全国大会以来……その……」
ああ、と大介は小さく鼻を鳴らす。
「なんや、お前、知ってたんか。人が悪いな」
「……ごめん」
しゅんと肩を落とす三岡を見やりつつ、大介は昨年、大阪で行われた春の全国大会のことを思い出す。
三年生として出場した最後の試合。関東代表である佐神大付属中学との決勝戦。
十七対十四で昂西のリードしていた最終クォーター。残り時間は一分で、そこで相手の攻撃を止めればチームの勝利が決定する場面。
大介は相手のクォーターバック、宮沢拓弥にサック――パスを投じられる前にタックルして捕まえること――を決め、試合を決定づけた。
しかし、それは同時に宮沢のその後も決定づけるプレーとなった。
前十字靱帯損傷。
今も尚、宮沢はそのリハビリをしているのだという話は、大介の耳にも届いている。佐神大付属高校アメフト部にエスカレートし、選手として復帰を目指しているのだと。
「でも、あれはプレーの上で起きたことじゃん。気に病むことないと思うよ?」
三岡が言うと、大介は身体を起こし自嘲気味に笑う。
「まあな。俺かてそんなつもりなかったよ」
「だったら――」
「分かっとる。そうじゃないねん」
大介は再び胸の鼓動が早くなるのを感じる。ふと向かってきた海福の姿を頭に思い出したからだ。がたがたと震える自分の手を見つめ、大介はそれを誤魔化すようにぐっと握りしめた。
「……怖いんや」じっとこちらを見る三岡に、大介はようやく呟く。「あんな風に向かい合ったら怖くてたまらん。それで今日みたいに気絶してまう。試合どころか練習もできん」
大介の頭の中に、先ほどの夢の続きが浮かぶ。
見舞いに行った大介に、宮沢は言った。
(次はクリスマスボウルで会おうな)
悲嘆にくれた様子など、微塵も感じさせない、前向きで、真っすぐな目で。
思えばその日からかもしれない。
大介は怖くなった。
どうしようもなく、怖い。激しい接触が。これまで当たり前にできていた、押し合うこと、ぶつかり合うこと、それをかわして誰かにタックルをすること、されること、全てが。
監督や仲間は時間と共に前を向けるはずだと励ましてくれたが、それは無意味だった。
イップス。だが、それはアメフトという競技にあって致命的だった。
だから大介はアメフトを辞めた。どんなポジションでもぶつかり合うことを避けられないスポーツから、宮沢の「クリスマスボウルで会おう」という言葉から、逃げた。
父の背を追いかけて始めた、大好きなアメフトから逃げたのだ。家の事情を体の良い言い訳にさえして。
その惨めさに、大介は思わずぐっと奥歯を噛みしめる。
「せやから、俺はアメフトを辞めた。もうできんねや。皆もがっかりしたやろな」
「そんなことは……」
三岡は顔を上げて、大介から目を逸らす。
そんなことは、あるだろう。期待が大きかった分、落胆も大きい。
それはどちらの責任でもないが、大介は少しだけいたたまれない気持ちになる。
「……話は終いや。もう帰ってええか?」
身体を起こして大介が言うと、三岡は微笑んで頷く。
「うん。ごめんね。海福さんには私から言っとく」
大介はそれに曖昧に頷きつつ立ち上がる。デイバッグを背負い、保健室を出ようとしたところで、三岡が「ねえ」と声をかけてきた。
「他の競技やろうとか、思わなかった?」
「せやな。身体動かすのは好きやしそれもええけど、やっぱアメフト好きやねん。あんま考えたことない」
「なら、昼に言ってた話、あれは本当?」
大介の家の事情の話だろう。心配そうな三岡の声に、大介はふっと吹き出した。
「金かかるから部活やらんなんて言うたら、お袋に殺されるわ。いっちょ前にってな。ま、負担かけたくないのは本当やけど」
「そう。じゃあ、部活ができないわけじゃないんだ。アメフトが嫌いになったわけでも」口元に手を当てて考え込むように、三岡は首を傾ける。やがて、にこりと微笑んで言った。「なら、もしよかったら明日の放課後は私に付き合わない?」
「あん?」
「ね、いいでしょ? 連絡先も交換しよう」
「ええけど」大介は少し怪しむように三岡を見る。「どこ行くん?」
その問いに三岡は、こちらがどきりとするような可愛い笑顔で人差し指を口に当て、「秘密」とだけ答えた。

翌日の放課後、大介は下駄箱で三岡と待ち合わせた。事前にLINEで言われていたので、すでにジャージ姿だ。
先に来ていた三岡もすでにジャージ姿で大きなスポーツバッグを背負っていた。
「河川敷にグラウンドがあるんだ。案内するね」
言われるまま、大介は三岡の後をついて行く。
十分程度歩くと、目的地はあった。土手の上から土のグラウンドを見てみれば、脇にはベンチが備え付けられていて、後ろ手をついて体操服姿の誰かが座っていた。肩より少し長い癖のある黒髪を左右で二つに縛っている。どうやら女子らしい。
「おーい、コバちゃん」
三岡が声を張ると、そのツインテールの女子も「ほーい」とこちらを振り返って手を振った。
「誰?」
「同じクラスの小林佳織」
三岡は答え、芝の生えた斜面を下っていく。大介もその後に続いた。
ベンチにたどり着くと、小林は大介と三岡をじっと見つめる。一重の目がどこか値踏みするようで、大介は「なに?」と鼻白んだ。
小林は含み笑いをしつつすたすたと近寄り、三岡を肘で突いた。
「結構いい男じゃん」
「まあね」
女子に面と向かって「いい男」と言われて少し頬が熱くなる大介をよそに、三岡は眼鏡を取ると自分のスポーツバッグからアメフトのボールを取り出した。
「なんや、これ?」
「見てわかるでしょ。ボールだよ。アメフト部の備品」
「分かっとるわ。そうじゃなくて――」
大介はそこで言葉を切る。土手の上から、今度は同じ様にスポーツバッグを背負ったジャージ姿の男子が二人、こちらに手を振っていたからだ。よく見れば昨日大介と言葉を交わした大男と、もう一人は小柄な茶髪ロン毛の男子である。
彼らもまた、斜面を下りてこちらに向かってくる。たどり着くと、小柄な方が頬を掻く。
「ワリぃ、みっちゃん。遅れた。日直でよ」そう言って大介に向き直ると、にっと八重歯をのぞかせて笑う。どこか柴犬のような愛嬌のある顔立ちだ。「ああ、来たか、紫藤くん。昨日はごめんな、妙なことんなってさ。俺、三組の馳恭平。で、こいつが――」
ばしっと馳が背中を叩くと、大男は無表情で小さく頷く。
「おう。一年三組。中川一也だ」
「い、一年?」
自分も大概デカいと思っていたが、こいつも一年? てっきり先輩だと思っていたのに。
そんな内心を読んだように馳は笑い、うなじの辺で髪を結ぶ。
「見えねえよな? ああ、俺もこいつも本当はアメフト部なんだけどさ。こっちにも参加してんだ。水曜はアメフト部休みだし」
「こっちって――」
どういうことか問おうとすると、ぴっと笛の音が鳴った。見れば三岡の首には、レフェリーのように笛がかかっている。
「よし、みんな揃ったね」
揃ったって、これなんの集まりや?
戸惑う大介を置いて、三岡達四人は大介の前に並んだ。そして、三岡が半歩ほど前に出て言う。
「ようこそ。新英高校フラッグフットボール同好会へ」
「フラッグ、て……」
フラッグフットボール。
基本はアメフトと同じだが、タックルではなく腰のフラッグを引き抜くことでその代わりとする、より間口を広げた非接触型のスポーツだ。
もちろん、大介もそれは知っている。
「けど、同好会て?」
大介が問うと、三岡は指先で水平にしたボールを、器用にくるくる回し始める。
「入学してすぐに私が作ったんだ。基本のルールはアメフトと一緒だし、女子でもできるし。アメフト部員はスキルアップのために掛け持ちでやるのも、海福さんのお墨付き」
「ま、俺は女の子と一緒にやれっから、こっちのがいいけどな」
と、馳が笑う。中川は変わらず無表情で、小林はくすりと笑って大介に片目を瞑った。
三岡はするりとボールを掌中に収めて、微笑む。
「私ね、昔からアメフトが好きで、やりたくて。でも、女子アメフトって数が少なすぎてさ。男子に混じっても試合出られないし」
確かに日本ではアメフトはマイナースポーツだ。男子とて競技人口は少なく、当然、女子が入っても練習さえままならない。激しい接触の絶えないスポーツだからだ。
「だからフラッグにしたの。アメフト部があるこの学校に来たのも、だからだよ。メンバー誘うのもここなら話が早いし。もちろん、やるからには夢は全日本優勝、日本代表かな」
「代表……」
大介は言葉を失い、立ち尽くす。
壮大な目標だ。でも、どうやら冗談を言っている顔ではない。
こいつ、本気や。
三岡奈緒美。女子だからアメフトはできないと腐るではなく、違う道を探し実行する行動力。
凄いやんか、お前。
素直に感心していると、三岡がじっとこちらを見る。
「で、紫藤くん、どうかな。一緒にやらない?」
どくん、と心臓が鳴る。
それに比べて自分はどうだ。恐れから腐り、その道を考えもしなかったなんて。
情けない。
確かにフラッグフットボールなら激しい接触はない。これなら今の自分にも――差し伸べられた三岡の手を大介は見つめる。
でも、できるんか。あの楕円球をもう一度追いかけることが。
ふと頬をなにか冷たいものが伝った気がして、大介はさっと顔が熱くなる。
「あ、いや、これは」
恥ずかしさに大介は袖で乱暴に目を擦った。目をしばつかせて四人を見るも、誰もなにも言わない。
歓迎の沈黙。大介は心の奥底から熱いものが込み上げてくるのを自覚する。
そうだ。答えなんて最初から決まっている。
こんなん、やらな嘘やろ。
顔を上げ、大介は深々と頭を下げた。
「一年七組、紫藤大介。よろしくお願いします」

夕焼け空のグラウンドでは、四人でキャッチボールが行われている。組み合わせは中川と馳、小林と大介だ。
ボールが飛び交う様子を見ながら、三岡は水筒のドリンクを飲む。本当は参加したいが、彼らのレベルを確かめる必要があるからだ。
「下手だな」
ため息交じりの声が後ろから聞こえて、三岡は振り向いた。
制服を着た海福が立っている。顔はどこか子供の初めてのお使いを見る親の顔だ。
その視線が大介に向いているのを悟り、三岡は苦笑する。
「まあ、確かに」
大介がぎこちないフォームで小林にボールを投げた。あまり綺麗な回転ではなく、コントロールもイマイチで、小林が取り損ねるのを見て申し訳なさそうに頭を下げる。
反対に、小林が投げたボールは多少ましで、きちんと大介の胸のあたりに投じられたが、大介はそれを危なっかしい手つきで何度かお手玉のようにしながら、ようやくキャッチする。
海福はそれを見て、ふっと吹き出した。
「不器用な奴だ。紫藤賢介の息子だろうに」
「元々はラインですもん。仕方ない」
綺麗な回転をかけてアメフトボールを投げるのは、それなりに練習がいる。もちろん、それをキャッチするのも。
彼のポジションは元々がボールを扱うポジションではない。練習でも扱うことはなかっただろうから、今の時点で下手なのは無理もないことである。
でも、彼の本当の実力は――
「三岡。お前、最初から紫藤をフラッグに誘うつもりだったのだろう」
海福が三岡の隣に立ち、言った。三岡はふうと一つ息を吐き、微笑みだけ返す。
もちろんそのつもりだった。ただ、アメフト部と掛け持ちでも構わないつもりだった。
「あれほど重症とは思ってなかったですけどね」
大介を見つけたのは本当に偶然だ。あの時は泣きたくなるほど嬉しかった。
まさかこんなところで。こんな形で再会するなんて。
運命なんて言ったら、ちょっと乙女すぎるかな。
自分の考えに苦笑する三岡に、海福は続けて問う。
「なぜだ? 紫藤でなければならない理由でもあるのか」
「乙女の秘密です」
「なら乙女らしい顔で言え」
「ひど! 私、結構可愛い方って言われてるんですけど?」
「顔が良いのは否定しないが、なにかを企む悪役にしか見えんぞ」
三岡は頬を膨らませて、再び四人に視線を戻す。
「乙女の秘密です」
汗を拭う大介をじっと見つめ、三岡は口を緩ませる。そして――
やっとまた組めるね、私のレシーバー。
そう、心の中で呟いた。

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