【お笑い芸人の業】松本人志さんの一件で思うこと

 お笑い界のレジェンド松本人志さんの一件について、真相がどうなのか、法に触れる性加害が行われていたかどうかはさておき 雑多になるが別の視点からわたしの気づきを記しておきたい。

【笑いを取らずにはいられないお笑い芸人たち】

 お笑い芸人は常に笑いを求めている。それは性格というより職業病とも言えるほど日常生活に癒着している。なかにはオンオフを完全に切り替えることができるナイナイ岡村さんみたいな芸人さんもいるかもしれない。けれども基本、舞台上で活かすための訓練も兼ねてお笑い芸人は常に笑いを取る前傾姿勢でいると考えて良い。それを知らずに芸人さんに近づくと大変である。特に「合わないタイプの人」。俗にノリの悪い人とされているが、彼らに言わせればそうなるだけで人として何も欠陥があるわけでもない。むしろ見方を変えれば冷静でいられる「平常心を失わないまともな人」とも言える。

 すぐに別れられる環境にあればスルーで済むかもしれない。けれども何も知らされずその場に居合わせてしまったとしたらどうだろう。しぶしぶ付き合わざるを得ないかもしれない。そんな逆境がプロの芸人さんに火を灯すことになる可能性もあるだろう。巧みな話術で場を笑いに変えていく。もしかしたら思わず笑ってしまうことだってあるはず。そんな延長上に、もしかしたら件のトラブルが発生していたのかもしれない。あくまでわたし個人の邪推に過ぎないが。

【何でもお笑いに扱うことへの疑問符】

 かつてテリー伊藤氏が記した「お笑い北朝鮮」という本があった。何でも笑いに変えてしまうっていうのは、キャッチーで伝わりやすく利便性があるのと同時に、軽薄ともとれるアブノーマルな不謹慎さも併せ持っている。

 特に当事者に対しバカにされてるのではないかと不快な思いをさせてしまうこともしばしば。

 障害者、性的マイノリティ(LGBT)等‥ 切り口は様々だがセンシティブな問題であればあるほど取り扱いが非常に難しい。

 なのでこうした問題を取り扱う場においてお笑い芸人は水と油である。芸人を生殺しにするようなものだ。

【お笑いは才能であり異能】

 笑いを取るというのは一種の才能だから、バラエティ番組など場を盛り上げていく際には重宝される存在にちがいないのだが、一方でナイーブな問題を取り扱う際には「笑い」という武器を取り上げられるので他の良識が必要になる。(たけしさんやサンドウィッチマンなど両方できる器用な芸人さんも中にはいるけど)

 ノリを大切にする。かつてKYという言葉が流行っていたけど空気を読むことは笑いを生むことばかりでもない。なんでも笑いに持っていかないと窮屈な感覚。この独特の配慮の仕方はお笑い好きの関西人なら理解しやすいと思う。沈黙恐怖症と似てるかもしれない

 「苦笑」という言葉があるけど、これは照れ隠しもあるが、困惑して自嘲気味にどうしても笑ってしまう場合も多く含まれる。今回の松本人志さんはよく苦笑していたイメージがある。

 お笑い芸人ではないが、カルト漫画家の蛭子能収さんが以前番組で「葬式の式場でおかしくって笑いを堪えてる」と仰っていて、これはどうしてかというと笑っちゃいけないという緊張に耐えきれず、かえって笑いが込み上げてきてしまうというような説明をされてた。

 ここまで「笑い」に取り憑かれた人間というのは、才能というより異能であり、障害にも通ずる生きづらさがあるのではないか。

 笑えないものまで笑いたくなるのが世の常。

 これはもう戦いである。主戦場を裁判所に変えた松本さん。不謹慎と言われながらも笑いをとりながら弁護するのかしないのか。かつて松本さんがベストフェイバリット映画にあげていた「ライブイズビューティフル」を思い出す。

 きっと彼ら芸人は最期の最期まで笑いにかえて なにか笑えるところを見つけながら死んでゆくのだろう。それはそれで苦しいだろうけど羨ましくもある。

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