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「休日の過ごし方はなんですか」

私は雑談や面接をしているときに「休日の過ごし方」を聞かれると返答に困る。趣味や好きなものを引き出しているための質問だと思うが、そうなると趣味や好きなものを答える必要がある。しかし、好きなもの=趣味(こと)ではないため返答に困るのである。そんな私が「休日の過ごし方」や趣味という話題から自分の時間の過ごし方について考えてみる。

趣味を見つけたい

私は今これといった趣味がない。私の周りの人はアニメやドラマ、アイドルなど様々な趣味を持っている。趣味は 休日の過ごし方がわかるため会話の糸口として聞かれることがある。休日になにをしているかという答えに 関しては「アルバイト」と答えるしかない。すると趣味が「アルバイト」ということになってしまう。それはそれでど うなのだろうと思い、趣味を最近は探している。しかし今までの私の生活を振り返っても熱しやすく冷めやす い性格からか、一気にはまって数か月後にはその痕跡がなかったくらいに冷めている。例えば中学2年生 のころ毎回見ていたドラマも今では全く見なくなった。小学校高学年に好きだったバラエティー番組も今で はゴールデンタイムの決まった番組しか見なくなった。一度熱中すると冷め始めたら再び熱が戻ることはない のである。はまるときにはまっておかないとその物はずっと手を付けないものになる。趣味が生きがいという人もいるがその人にとって私はどのように見えているのだろうか。趣味があるから仕事を頑張れるという人もいる。 趣味がなにかの原動力となっているのではないかと考える。私はなにかがあるから仕事(アルバイト)を頑張るという考えをしたことがなかったのでその考え方を知った時には新鮮味を感じた。アルバイトの時間だか らアルバイトをするのであってなにかのためかと聞かれたらうまく答えられない。もちろん、働いた分のお給料は不足なくしっかりもらいたい。しかしそれがアルバイトをする意味かと聞かれるとそうではないと思う。私は自分の働く意味がわからないままアルバイトをしているのかもしれない。アルバイトに行きたいと思えるかどうかは、新しい発見があるかどうか、自分の居心地がいいと感じるか、という基準が存在する。体力的にしんどいアルバイトであっても新しい変化や発見があるならば頻度を減らしてでも辞めないし、自分がその環境にいて居やすいのであればその所にはいきたいと思える。仕事内容というよりはその環境に大きく左右され る。趣味を探そうとしている際に友達に趣味が欲しいと話したことがある。すると私の趣味が、旅行や靴などが趣味ではないかということを言われた。確かに私は旅行を自分からするし、靴も人に比べて何足も持っている。しかし、それが趣味であるという自覚はなかった。旅行が趣味といえるほど高頻度で旅行をしている わけではないからだ。私はそのように趣味をどのくらいの頻度で行っているかということに重きを置いていたの だ。趣味というのはそのように何かの基準によって決まるものでもないのかもしれない。そもそもそのように頻度や程度で趣味を見つけようとしている時点で趣味は見つからないのかもしれない。ゲームを趣味にしようとしていたが、それも一時的なものに過ぎなかった。はまっているものと趣味は少し違うものだと思っている。 私ははまるものは多くても持続的な趣味はあまりできることがない。持続的になにかが好きであるということ が少ないからであると思う。はまったことといえばいくつか出てくる。テレビのドラマにはまったときは、どのチャンネルのどの曜日のドラマも予約してみていたし、特に好きなものは取っておいて何回も見ていた。ゲームにはまったときは、家にいる間はずっとゲームをしていた。旅行にたくさんいっていたころは学校がある時期であっ ても月に2回くらいはどこかに旅行に行っていた。ジムにはまっていた時は、平日の週5日毎日通って走っていた。指輪にはまっていた時は何本も新しい指輪を買ってつける指がなくなるくらいであった。楽器にはまっていたときはギターとベースを買って自力で練習していた。ドラマ以外は1か月ほどで自分の中のブームが 過ぎ去っていった。私は1か月ごとくらいに流行が変わっていくのである。もちろん例外もある。テレビのバラ エティーは今でも見るし、靴や指輪を買いに行くのも好きである。しかし、続けてられているものはピークがそ れなりの熱である。一時的に急に熱が上がるものは冷めるもの早い。それは多くの人がそうでもあるかもし れないが、私はそのペースが早いのである。急にはまりだしたと思ったら 1.2 か月後には全く触れないものに なっていることも多い。はまることと好きなことは少し違うと思う。はまることは一時的に好きなものであるが、 長期的なものではない。それがなんの役に立つかと考えていないため、趣味の特徴ともいえる「利益を求めずに行うことができる」という部分には当てはまっているかもしれないが、その部分以外では趣味といえるのかどうか、微妙なところであると思う。

趣味がない人

社会人になると仕事以外に楽しみを持つようになると思う。趣味があることによってストレスの発散になるこ ともあると思う。しかし、その趣味がない場合ストレスの発散はどのように行うのかと疑問に思った。仕事と 家の往復では人生における楽しみがなくなってしまうのではないかと思った。学生の内は学校と家の往復のほかにアルバイトに行ったり、友達と遊んだりすることが多いため趣味がなくても十分楽しくやっていける。だ が、社会人になり自分の行動がパターン化されてしまうと学生の時のようにうまくやっていくことはできないの ではないか。もちろんなにかストレスの原因になるものが明確であるならば、その原因を解消することが一 番手っ取り早いのかもしれない。しかし、そのようにストレスの原因やその解決方法が明確であることの方が少ないと思う。そうなった時にやはり趣味がある人はその趣味を行うことによって気持ちの切り替えができるのではないかと考える。趣味があることによってその趣味にかかわるコミュニティもできたり、自分の活動の幅がより広がるチャンスなのかもしれない。趣味がない社会人もいれば、趣味を満足するほど実行できない人もいるかもしれない。例えば、働きながら子育てをしている人が挙げられる。趣味を行う時間がない人はどのようにストレスを発散しているのか?私もコンテンツやスポーツの趣味がないため趣味がないという点では共通しているかもしれないが、働きながら子育てをしている人は働いているストレスと子育てのストレスをどのように自分の中で消化しているのかというところも気になる。子育てに専念してる人でも子供中心の生活になるため子育て前の趣味は今まで通りに実現できることは少ないと思う。そうなってもうまく自分の気持ちをコントロールしながら生きていかなくてはいけないため、私が参考にした部分もある。

人と話すこと

趣味と聞くとスポーツやエンタメのコンテンツを思い浮かべることが多いが、「人と話すこと」が趣味でよいのではないかと思った。人と話すことは相手がいないと成立しないため、自分一人の時間では実現しない。そのため趣味とは言わないことが多いのではないかと思う。趣味の定義に一人で行えることということがなければ、人と話すことが趣味でよいのではないかと考える。私は人と話しているときに一番時間を忘れることができる。しゃべっていてあっという間に3時間経っていることは珍しくない。ノンストップで話し続けるのである。人と話すことが趣味ということができれば、私の趣味は見つけられたのかもしれない。しかしそれは話す相手がいるという条件付きの趣味となる。

趣味はできるときにやるべき

考えながら書いてみて、趣味はできる時にやるべきものであると考えた。なにかを集めたりコンテンツを十分なくらいに見るには時間と労力が必要である。そのコストを使える自分の状況があるときに十分楽しむべきものが趣味であると考えた。子育てをしていたり仕事が忙しかったりすると今まで趣味として楽しんできたものが思うようにできなくなるかもしれない。しかしそのできなくなる未来を考えるのではなく今自分が興味のあるものに取り組んでいるそのコストが趣味になると思う。逆に今までの趣味が思うようにできなくなる状況になったのであれば、その中でまた新たな自分の費やせるコスト(趣味)を見つけるようになるのではないかと考える。忙しいながらに自分のお金、時間を使いたいと思える新しい何かがそこで発見できるのかもしれない。「趣味」という枠組みに入れようとするから自分の趣味がなにかがわからなくなる。一度自分の生活費や必要出費を除いたお金の中で一番多く使っているものはなにか、仕事や子育て、学業以外でなにに時間を費やしているのかを分析し、いちばんコストが高いものが自分の趣味という枠組みに該当するのではないかと考える。


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