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長年自分を苦しめる「思考」の癖

今は少し気持ちが楽である。

実は最近、少し気分が落ちていて低空飛行だったのだが、その要因が自分の「思考の癖」によるところが大きい、と見えてきたからだ。

私は、自閉スペクトラム症である。

そのせいで、子どもの頃から周囲から迫害を受けてきた。

先生などは別に良かったんだけど、生涯に渡り断じて許せない同級生が何人もいる。

あ、いや、今日はそういう話をする日ではない。

そのせいで、私はいつの間にか、自分の思考の中で、他人に「一線」を引く傾向は、どうやら確立してしまったようだ、そのこともここ数日で再認識した。(哀しいけど・・)

そして、私は自分が散々、「差別と迫害」を受けてきたのに、今、事業所で重い自閉症の人に囲まれる中で、「自分の差別意識に気付き、葛藤している」はっきり言って、そのことだけで自分が嫌だったのだ。

差別をする側に自分が立つ、それはあってはならないことだ

よくよく考えるとこれはかなり思い上がった自分への期待なのだが、それが毎日のように壊され、恥を忍んで書けば事業所の何人も見ている前でイライラした様子を見せたり、以前には咆哮したこともあった。

昨日、事業所の所長と少し落ち着いた状態でこれらの事に関しての辛い心境などに話し、後のことは個人的な会話の内容だから言えないが、要は私も思いつめすぎ、今はそれより定期収入を得る場を確固たるものにする、それが最優先・・ということに自分で納得した(最初はまだしばらく、福祉就労の場になりそうだが)

そして今日は、午後から横浜の京急沿線で行われた「生きづらい思考」について考える勉強会に出た。

事務局に、私が東北地方にいた頃からの仲間がいて、私があまりに辛そうにしているのを知って、声を掛けてくれたのだ。

ちなみに今日、知った一番の納得は「自動思考」の概念。

「自動思考」とは、思考の癖の強い人が意識せぬうちにいつも頭に浮かぶ思考のことで、「決めつけ、思い込み、真ん中がない極端な考え方」のことをさし、例えば、「白黒思考」「感情的決めつけ」「すべき思考」など、8項目あるのだが、私自身、自分は8項目、全て「当てはまる」という結論になった。(そりゃ、生きづらいわけだ‥)

しかし、今日の講師の人も言っていたが、「自動思考の傾向が強い人は、決して、そのことが悪いわけではないです。周囲から迫害されていたり生育環境が劣悪だったりと言った中で、周囲に対しバリア的なものを張ることで、防衛機能として備わったのです」と言っていた。

確かに、私もそうだ。

幼い頃から、親からは「お兄ちゃんは友達いっぱいいるのに、お前はなんでみんなと遊べないんだ!!」と尻を叩かれ、学校では毎日周囲に煮え湯を飲まされ、大人になってからは一番、信頼していた人からも決定的な裏切りを受け、遂にメンタルまで病んでしまい・・そんな中で、私は「自分はダメ人間、自分を評価するような人間には絶対にウラがある」「~な状態になったら、~な生き方をしなければならない」(田舎の風潮に長く縛られたこともあるかもしれない)「許せない奴は来世まで許せない」そして今も「差別感情を持っている自分は許せない、認められない・・。」こんな自動思考の渦の中で、よく外面上はへらへらしながら、頑張ってきたな、特に神奈川へ来てから3年・・そう、本当に思った。

そう言えば、他の何人かの友人からも「~あるべき思考が強すぎでない?」と言われたことがある。確かに、この3年を振り返っても、お世話になっている社長(親族)が体育会系で、「日曜日の運動プログラムに毎回来い」と言われてから、実は今でも日曜の午前中は、体調や都合で「行かない」選択をしても、ちょっと前まで罪悪感が毎回していたし、そして、「この法人は~に関してそういう方針だから、とにかく歯を食いしばってついていかなければならない」と本気で思っていた(実際、基本的に成人した人にそこまで無理強いするより、自分の意思を持て!!という方針の法人だとちゃんと気づくのに、何年もかかってしまった)そのことが、自分の3年間を非常に苦しいものにしていたことは、論を待たない。

多分、私は今までの人生で出会った、多くの人のことを誤解しているのは間違いないだろう。

今、大人になって、中学生の時、英語の先生に、今、思うと私の授業態度がガチでかなり悪くて、暴力はなかったけど、真剣に説教を受けた。(授業が終わったあと、掃除の前に少し教壇前に呼び出された感じ)

その後、まあ数か月はその先生を憎悪していた・・中学生だの、子ども時代には先生に対する憤りはよくある話だが、私のその先生に持った憎しみ方は「お前、やべーぞ、もう関わりたくねーわ」と周囲がなってもなんら文句は言えないレベルだった。

今となっては、その理由が、分かる。

あの時、私は自分の中で、あの先生を「」と認識したのだ。

そうなると、子ども時代の私は、「敵は、鬼畜何とかだ、憎しみ抜かなければならない」そんな感じだったのだ。私にとって、この事件?があった中1の頃は特に、私立に入って虐めが酷く、人生で5本の指に入る黒歴史な時代だが、頑張って思い出すと「あの頃の自分・・きっと、あの先生をそう見做してしまったんだな‥」と冷静に分析できる。

この数日で、自分をこの3年、特に事業所の人数が増えてから、著しく苦しめていたものは、「己の差別感情」というより、「べき思考、それを含む自動思考」であると見えてきた。

これから、福祉就労から段階を経てになる予定だが、新たなステージに向かう予定の私にとって、やはり少しでも軽減していきたい思考である。

今日はまず、ワークも含め少し勉強した。

これからの残りの半生に向け、時間をかけてでも、改善していきたい。


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