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パリ ゲイ術体験記 vol.35「スーパーレジはプチストレス」

たまに日本に帰った時の個人的楽しみの1つに、スーパーマーケットでの買い物がある。
スーパーに並ぶ全商品まるごとを暮らしているフランスに持ち帰りたいと切実に思うほどに欲しい物だらけ。
日本のスーパーは品揃えが豊か(過ぎ)で生鮮食品の鮮度や管理よろしく、サービスも優れている。
ただ、この数年前から自分には苦手な物が登場した。それは、一人で精算する自動支払い機。
世の中の人々はとっくに慣れて軽々と使えているのだろうけれど、私にはどうしても気持ちの悪いマシーンで、楽しい買い物後に急にテンションが下がる場所になっている。

人工の女性の無機質で事務的な口調の音声が、支払い方からレシートの受け取り方まで細かく誘導してくれるのだが、こちらが少し戸惑って作業が遅れるなら慇懃無礼に同じ文言を繰り返す。
そしてめでたく支払い完了となれば、画面の中の女性がペコペコお辞儀までしている。(昔から公衆電話機や銀行のATMもそうで、外国人観光客が日本はマシーンの中でもお辞儀をするとびっくりしていたのを何度か見た)
世の中は色々と多様化しているのだから、この精算マシーンだっておばさん声だけでなくて色々なバージョンを好みで選べたらどうだろう?
京都弁対応とかメイドさん対応、北朝鮮の看板アナウンサーふう対応等々..
オネエ対応なんてのも作って「いや~ん、また来たのぉ~、ちょっと嬉しいかも~っ」「現金?カード?でもツケはや~よぉ」「レシート要るかしら~ん?紙の無駄よ~」「日を開けないでまた絶対に来てよ~待ってるわ~ん」…となる。
これなら支払い時も楽しくなって客足も伸びたりすると思うのだけど、だめ?

日本のスーパーでこんな事があった。
フランス人の友人から品質の良さと快適さが評判の日本製コンドームを買ってくるよう頼まれて、スーパーで昼御飯のおかずを買ったついでに買い求めた。
それを手にしたレジの女性が目を丸くして一瞬私の顔を見上げたので、なんだか悪い事でもしたような気分になりかけたら、客のいない隣の暇なレジ係のおばさんが鬼顔で飛んできて私担当の女性にブツブツ怒っている。
「あなたね。こんな物をコロッケや刺身と一緒な袋に詰めたらダメでしょうに!まったくもう」と言いながら、既に袋に入れられて収まってるコンドームを取り出して、紙袋に又わざわざ入れ直して厳重にガムテープで閉じた。細かな気遣いと言えばそうとも言えるが、私にとっては余計なお世話感満載..
これって、扱う品の殆んどが食品であるスーパーでよからぬ物を買う私への遠回しな意地悪なのか、はたまた同僚への単なる叱責だろうか…?
コロッケも刺身もちゃんとパックに入っているのだし、それにコンドームとてピンセットで摘まんでの生売りではないわけだし。
箱には極めて風流な書体で「超うすうす~」とエレガントに表記されていてオチンチンのデッサンなどが描いてある訳でもないから、そのまま持ち帰ったとしても全然平気である。「ミニサイズ&イボイボ仕様」とかでっかく書いてあったなら少しはためらうかも知れないけれど。
(私がこの種のデリカシーに乏しいというか恥ずかしさに欠けているのは、我が母親のせいであるとにらんでいる。まだ若かった頃の母は、自分の生理が始まると多忙なのを理由に慌てて園児~小学生だった私をよろず屋に生理パットを買わせるためにお遣いに出した。毎回「おばちゃーん、生理パット下さーい」と叫ぶ私に「この子いったい何処の子なの!?親の顔が見たいもんだわっ!」と井戸端会議していたおばちゃん達と呆れまくっていた。
帰宅後に「母さんの顔を見てみたいと皆が言ってたよ」と伝えたら、次回からは黙ってパンか煎餅といっしょに静かに買うようにと仕込まれて育った私だからである..)

話を元に戻すと、レジの袋詰めで叱られた女性が私を駐車場まで息切れ切れで追いかけてきて「お、お客さまっ、誠に申し訳ありません。あ、あの..肝心なこれを…今度は中に入れ忘れまして.. 重ね重ね大変失礼いたして… すみません、お許しくださ….」と最敬礼までして殆んどしどろもどろ。
詫びてなんかもらわなくて全然構わないのだが、後になって私が思ったのは単にコンドームを買ったという事よりも、売り場にあった「うすうす」箱を根こそぎ全部(といっても10箱ほど)という目眩く量に焦ったのかも。
もしそのせいだったとしたら、無駄に想像力を刺激した事をお許し頂きたい…
ただし1つとして自分用には買ってはおりませんので悪しからず。

さておき、こんなに平和な日本と比べて人種のルツボであるパリともなると、客も働く方も日本人みたいな穏やかさは持ち合わせていないから、スーパーレジだって殺伐としたもの。
レジ係は乾燥警報が出そうなほどのドライさだし愛想なんてのは欠片もない。
客も他人の事などは考えていません状態丸出しだしで、レジの場はこの街に住む人間の悪い部分の縮図を見ているようである。

少しでも早く精算できる列を狙って、長蛇の待ち列2列の中央に仁王立ちして横に並んだ客に食ってかかるオヤジや、待ち列で何もせずに10分も待った挙げ句に支払いの時になって見習いたいくらいのマイペースさで財布を探し出し見つけられないおばさん。イライラ待ち客がひしめくのを知りながら、支払いを数百枚の一番小さな小銭をぶっ放してレジ係に数えさせて支払うクレージー婆さんまで。
自分の買い物はたった2個だけしかないからと言いながら行列の先頭に横入りしようとする輩などは日常的であり、運が良ければ後ろの待ち人からの冷たい視線を浴びるだけでさっさと帰れるし、悪ければ後ろからの非難で口喧嘩勃発となり周囲も白ける険悪な雰囲気を味わうことに。
なかなかにスムーズである日本のスーパーレジ待ちごときで苛ついているお方は、パリの夕方のスーパーレジを何度か体験すれば忍耐力が養われるような気がする。

私、レッスン料の受け取りで現金に触れるピアノ教師の身としても、毎回のレッスン料の支払いはせめてお釣りのないようにお願いしたいものである。
八百屋の軒先で大根1本買った時のように、クシャクシャ丸めたようなお札をよこして「これでお釣りある?」と平気で言う。
「毎度有難うございます。サービス業の身としては常に釣り銭の用意に心掛けております」なんてまことしやかな嫌みは全く通用しない相手であるから、言うだけ無駄なのだけど。
ピアノのレッスンでは最低限のお行儀も教育のうち..と考えていると血圧が上がる一方だから、さっぱりと商売だと割り切らないとやってられない仕事である。
こんな時「チッ!」と舌打ちでも出そうな自分がパリのスーパーのレジおばさんの姿とどうしても重なって、彼女らに言い知れぬ親近感を覚えるのである。

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