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パリ ゲイ術体験記 vol.25「北アフリカ恋物語」

私は以前に北アフリカのチュニジアに1年半ほど暮らしてみた事がある。
あまりに長いパリ生活に疲れを覚えて希望も持てなくなっていたので、先の計画もろくにしないでエイッとばかりにチュニジア行きを決めてしまった。
チュニジアには短いヴァカンスで訪れた事があって、豊かな日射しと地中海の碧い海、それに決して豊かそうな暮らしではなさそうなのに屈託のない笑顔を見せる人々の姿が魅力的に映っていた記憶も行く決断を手伝った。
あるフランス人の友人がちょうどチュニジアで事業を始める事になり、そのタイミングに乗っかって海を渡ることに。

だが、実際に暮らす事はヴァカンスで滞在するのとは雲泥の差がある。
それは頭のどこかで解っているつもりでいたけれど、現実の生活は想像以上の大変さを伴っていた。
普段から日本食を食べることで脳ミソの均衡をかろうじて保っていたのがガタッと崩れ始めた。恐ろしく高価な醤油を手に入れる為には200km以上先の首都チュニスに出向く必要があったり、フライ物を作る為に先ずは自分でパン粉を作る工程を強いられる..などなど。
パリにいる時ですらフランス人を解り合える時は死ぬまでにあるのか?と思っていたのに、チュニジア人とは気持ちの共有自体をあっさり手放さなくてはならないくらいの困難さも感じ取っていた。
ちゃんとした話ができる友達もできず、半年後には碧い海は日本海のような哀れみが一切ないモノトーンな青にしか見えなくなり、日射しはやたらめっぽう暑いだけ。明るく素敵に見えた人々の笑顔も単なるバカ面としか映らなくなっていた。

それはチュニジア発祥のジャスミン革命が起きる以前のことで、当時のベン•アリ大統領がまだ独裁政権をふるっていた最後の時期である。
彼は国内へのYouTubeの配信をも禁止していたので、今のように面白そうな映像を気分転換にちょっと見るなんて事もかなわなかった。
この国での日常の愚痴をメールに書き連ねて友人に送っていても埒があかないので、これといった楽しい物や場所など何もないが、とりあえずは賑やかな街中に気晴らしに出かけるようになった。

そして、そんなやり場の無い鬱憤や非快適さから逃避するように、私にはかつてなかった程の一目惚れ&プラトニックラブにその街で陥ったのだった。
その相手とは肉屋の店員で、名はモハメッド。
古いアラブの街にはメディナという旧市街があって、その中にスークとよばれるゴチャゴチャとした商店街がある。その彼は、スークの中の小さな肉屋で私の大嫌いな羊肉を捌いている職人だった。
色白に黒く美しい瞳に優しい眼差し、がっちりとした体格にスーパーマリオブラザースのような口髭と野太く響く声。私の好きなものが勢揃いだ。
黙々と働くモハメッドを眺める事で日々の辛さを紛らわそうと、自宅から10km離れたメディナまで毎日いそいそと出かけるようになっていた。

パリは自由だからゲイ族も好き勝手し放題的なところがあるが、イスラム世界ではゲイは認められないというか存在していてはならないのである。何故?と問えば、アラーの神が認めていない..と誰からも同じような答えをされる。
であるので、パリに慣れ過ぎの私はなるべく楚々として目立たないように振る舞っていたつもりなのに、我々には無い第六感を持っているとしか思えないアラブ人の鋭い勘を誤魔化す事はできなかった。

あまり肉好きではないので肉屋の列に並ぶ事は稀だったが、肉屋の前を通りながら働くモハメッドをチラと眺めることで楽しみを得ていた。
だが、くる日もくる日も店先を通って一瞬ではあるが自分を眺めていく東洋人に彼はちゃんと気付いていたのだった。
通いを始めて1月も経たない頃いつものようにチラ見を終えて歩いていたら、羊の血で赤くなった白衣の仕事着姿で私を追いかけてきて「ボンジュール!僕の名前はモハメッド、君は? で、なんで挨拶してくれないの?」といきなり言われて、私はひどくあたふたしたのだった。 あんなに頑張って普通の通行人を装っていたのに..  やっぱりさすがのアラブ人なのか、私がひどい大根役者だったのか、ちゃんと気付かれていたみたいである。

肉屋のモハメッドに惚れている変な日本人のオカマ(あちらの言語ではそれをミブーンという。どこの国でも、なんだか単語として悪意のある響きである)  …という事で有名になっていたらしいのである。
それは肉屋の店主がスークの放送局的な役目を果たして情報をばらまいたらしく、毎日がモノトーンで噂好きなチュニジア人にはとっておきの変なニュースとして商店街に広まっていった。
その証拠に通い出して2カ月も経たない頃から、私が迷路のようなスークに足を踏み入れて肉屋にたどり着くまでに「今日もモハメッドはいるよー」だの「今日はモハムは病気で不調だぞー」という声を別の店々から掛けられるようになっていて、また私は焦っていた。

その頃になると、私は狭い肉屋の作業場の中に通されるようになっていて、ゆっくりして行けと毎回ミントティーを振る舞われて質問攻めにあっていた。
「なんで独身なの?」「なんで結婚しないの?」「恋人はいないの?」「子供も作らないの?」
くる日もくる日も4人の従業員からの同じ質問でうんざりしていた私。
モハメッドがふってきた「のりタマはどんな人がタイプなの?」という新種の問いに、臆さずに「君みたいな魅力的な男」と答えてみた。
その答えに彼はびっくりしたふりをする事もなく嬉しそうに「ありがとう!」と言ったので、私はまったく拍子抜けした。
「でもねのりタマ、僕にはオチンチンがあるんだよ。家には奥さんと子供3人がいるから、君には何もしてあげられないんだけど..」と悪そうに言うので「仕方ないよ。人生ってそんなものだよね」と答えておいたのだった。
オチンチンがついてるのも好きな条件だよとは、さすがに言えなかった。
そして「結婚前ならば君の誘惑を喜んで受けていたけれど、今はアラーに上から見られてるからね。あっ、僕がのりタマのいたフランスに行けば大丈夫」
とボソッと言った彼を驚いて見返した。アラーが地中海を越えないという理屈も釈然としなかったが、そのアラーと嫁がいなければ喜んで..というのは本当か!!?  そのやり取りだけで、数ヶ月の妄想は楽しめたけど。

そのうちに、モハメッドは仕事終わりに彼の暮らす遠い田舎に連れて行ってくれるようになり、奥さんと子供達を紹介された。
私の存在は奥さんにも届いているはずだけれど、旦那に近寄る者には性別関係なしで敵対心丸出しにする例が多い先進国人の奥さんとは違って、まったく平穏な女性だった。
アフリカ大陸の人は、無駄な心配や先々の事をほぼほぼ考えないので楽である。

生まれてから35年間、自分の生まれた村と働いている街からは何処にも出たことがないと話すモハメッドにとって、変な日常を運んできた私は意外と面白がられていたのかも知れない。

つづく




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