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小5くらいの時期が一番楽しかった話は楽しくないですよ

釜弾正です。よろしくお願いします。期間は若干空いたような気がしますが、良しとします。


本題はデカい字で書いたとこからですが、前段の日記もぜひ読んでいただけるのであれば、うれしいです。


GWの最終日
僕は一人、梅田の映画館で「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」を観た。
最高だった。

喫茶店で週替わりランチを食べた。
それは夏野菜が乗った油淋鶏とミニキーマカレーにライス、キノコともやしとわかめの汁物だった。
おいしかった。

あとはやりたいことがないから帰ろうと、駅へ向かった。
電車に乗り、座れる席はないか辺りを見渡した。
2の席に一人居たり、2の席が埋まっていたりしていたが、2と2が向かい合った座席が空席だったのを発見した。
その席の窓側に座り、足を組んで外を見ていた。
家族連れがこの席の近くに寄らないことを祈った。

向かいにカップルが座った。
足を組むのをやめて、足を座席の下で組んだ。

ちらっと見て、もふもふのショルダーカバンを持った女性と、前髪が重い男性が手をつないでたから、年下のカップルだと判断した。「こうやって判断したから、私はこういう態度を取ります。」とは思わない。
私はただ、勝手に人に怯え、勝手に見かけで判断して安心するのが得意である。
カップルの女性の方が、スマホを見た。男性は寝た。

私は外を見た。

二駅でカップルは降りた。

入れ替わるように違うカップルが私の向かいに座り、談笑を始めた。
金髪の女性と美容師みたいな風貌で全身黒のコンビニの駐車場で踊ってそうな男性が手をつないでいたので、同世代のカップルだと判断した。
なんかそんな感じがした。

女性の方は「結局、小学5年生ぐらいの時期が一番純粋に楽しかったのに」と言い、熱弁を続けた。
要は、余計なことを覚えちゃって、純粋に「楽しい!」とは言えなくなった、とのことだった。
余計なこととはプライドや「なぜ、今これが楽しいのか」と考えること、心理学的にはこう、などの知識を思い浮かべることだと言った。

だんだんとヒートアップしていくのが声量で分かった。「ガタンゴトン」が打ち消し合っても、聞く耳を立てなくても丸聞こえだ。
もし「あなたはどう思う?」とこっちに言われたらどう言えば良いだろうと思って、絶対にそんなことは起こらないが、私も小学5年生ぐらいの時期が一番楽しかったのかなと回想した。あまり思い出せない。
本当に余計なことはすぐ忘れられるものだと思った。

そして女性は、でも余計なことを忘れようと思っても、忘れられることは出来ないと言った。あの頃に戻りたいけど、戻ることはもう出来ないなんて分かっていると述べた。

男性は「重いって笑」「ほんまにちょうど小5ぐらい?」と言ったり、「うん」や「へー」などの相づちのみで【聞き役】に夢中なのか、相手の話をずっといなしていた。
女性は「違う!重いとかじゃなくてぇ笑」と言いながら、カップルは一駅で降りていった。

私はしばらくあとの駅で降り、そこからは何事もなくスムーズに帰った。




「結局、小学5年生ぐらいの時期が一番楽しかったのではないか問題」

本題です。構想に何年かかけてこのnote創作大賞を挑んでいますと意気込んでる人の記事を見ると震えます。私も応募したいですが、外様感を凄い感じます。たとえ本当に外様でもよろしくお願いします。

純粋に楽しめない余計なもの

プライド

私は基本、プライドは必要のないものだと思っています。それでもなさすぎるのもなんだかな、だとか言われても塩梅は知りません。
プライドは付いちゃうものよりも自分で付けてることが多いので、不要で余計なものではなく、必要なものとして備えたと言って良いと思います。

いや、小学5年生ぐらいの時期のプライドと今あるプライドを比べさせようとしていることに、今が楽しくない理由があるかも知れません。
小5なら比べるにしても「前と比べて身長が、」ぐらいのことだと思っていましたから。

なぜ、楽しいのかを考えること

楽しいと感じているから楽しいんだ!って自信を持って自分から言えるまでに、しばらく考え込んでしまいます。
たとえば、なぜ今この映画を観て、面白いや楽しいと思ったことを考えます。そのことに関しては自分の性質を指しています。あの日、カップルでそんな話はしていませんでした。

しかし、真剣に考えれば考えるほど、別に小学5年生ぐらいの時期も「なんでさっきこんなに楽しかったんだろう」と家で寝る前に考えてたりしていました。そのせいで、小学5年生ぐらいの時期がそこまで楽しくなかったことを思い出しました。
「まだそんなことで楽しんでいるの?」と誰かから言われたのがよみがえります。じゃあ、今が楽しくないのも人のせいだと言ってしまえる。

警戒心

楽しいことを全身で表現するのと、調子に乗るのは違うようです。「調子に乗るな!」と叫ばれておとなしくなったら、俺は調子に乗ったんだと自己嫌悪に陥ります。

調子に乗るなと言われるのが嫌だから、楽しい感情ごと抑えつけるのが癖付いて(なんか楽しくないな)と思うきっかけになり得そうです。
何事も警戒してたらそら楽しくないから、時系列関係ないかも。

余計な知識

「人間の深層心理では~」みたいな知識が身につくと、つい意識してしまう。私から見れば、知らなかったら良かったって言ってる人はなんだか幸せそうな顔をしているように見えています。
すべて使いようによってどうにかなるものだと処理できます。
処理=楽しいと思いたい。



いま、「小学5年生ぐらいの時期が一番楽しかったのではないか」と考えているのは、その女性だけでは無いと思う。
しかし、私の個人的な見解になるが、「そこまで楽しかった?」と思うし、「小学5年生ぐらいの時期が一番楽しかったのではないか」とか考える時間は楽しい!と思うことが出来ないなら考えるのを辞めたら良い。
出来ることやって、出来なそうなことは
悠長な考え事だと思った。
小学5年生ぐらいの時期が楽しかったのになぁと悩んだ過去は消えない。
人とナメ合わないと、対人で楽しいと思いづらい。

結論、一人最高!ということにします。

最後まで見てくれた方、ありがとうございます。
良ければ、スキやフォローよろしくお願いします!

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