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事例X : 穏健な不幸に浸りって生きていきたいよ

誰よりも不幸であれたなら。その不幸が、みんなから共感をえられる優れものの不幸だったなら。たいへんな不謹慎だとわかってるんですけど、ね。


不幸はひとしなみに、なんて嘘でしょ? かっこいい不幸もあれば、ダサい不幸もある。美しい不幸にみんな胸うたれてるあいだに、幾千万の無味無臭の不幸が人知れず、誰かの首を慈愛をもって絞めている。
カワイイあのコにどう頑張っても勝てないの。かわいそうだね。優しいママが闘病の末死にました。ああ、なんてかわいそうだ! なんとなく学校に行きたくありません。ウルサイサッサトジュンビシナサイ。


平等の神話なんてありません。だって神さまは幸福はおろか、不幸すらひとしなみには叩きつけてくれませんから。ふりかかる星のカケラの輝きは、誰しにも同じなわけないんですから。


「唇噛み締めて生きろよ」
「わたしの絶望を甘くみるなよ」
反発できるうちが華だ。金槌で殴られた不幸なら、怒りもサマになる。でもさあ、真綿でくるまれる不幸に「甘くみるなよ」って、アマアマでしょそりゃ...…っていわれちゃうから。
「鬱病で」
「手帳もあって」
できるだけ深刻にうなずきますよ、そりゃきっと大変だもの。でも穢れたわたしがささやきますよ、市民権ある不幸でよかったね、なんて。おまえはその名前ある不幸を十字架みたいに背負って、場合によってはふりかざして生きていけますね、よかったね、なんて。だから他人の不幸に同情は、ゼッタイにしてやらない。するもんか。



黙ってうつむいて歩かなきゃいけないんですよ、誰かにぶつけられない、こんな程度の不幸は。なんとなくうまくいってないっていうぐらいの、日常的で静かな不幸は。この時代の最大の不幸を声高に主張できるなら、不幸らしい不幸がふりかかってきてくれないっていうひねくれた、倒錯した不幸を叫びます。
でも、いつだって他人の不幸は蜜の味だね。けっきょくほんとうに火中でもがくならそいつは、自分の不幸に酔うヒマなんてないから。もがき苦しむそいつをみたら、かわいそうだねって、残酷にも素直に声を浴びせられるよ。それか正直にかける言葉をなくすよ。それでキモチクなれるよ。幸福なわたしに感謝し苦悩できるよ。ほら蜜の味。だけど、もしそいつが自分の不幸に酔えてたら、とっくに不幸の外にいて、ただ「あのかなしみ」をしめしめとコンテンツにして抱えこんで生きていく幸福の従徒だ。みつけたぞ、おまえ苦しんでなんかいないじゃないか! でもそいつは「不幸」にうめいていられる。いいなあ、やっぱり蜜の味。
ただそれぜんぶ、三人称視点での悪あがきでしかないのだけれど。わたしはどこでもないところで指をくわえているだけなんだけれど。だからこそ元気なわたしは、かなしみの波止場でうずくまる羊たちに、頑張れのハートなんてゼッタイに送ってやらない。勝手に死んでくれ、とさえ思う。こっちも勝手に憎んでるから。あからさまな不幸の朗読なんてするなよ。勝ち目ないんだよ、それされると。


もっとも醜い誰かがいう。
「誰しもかなしいことの一つや二つあるから、いっしょに頑張ろう」


穏健な不幸に浸りきって生きていたいよ。地獄はいやなの。コスパのいい、すこやかなる不幸を望みます。いわゆる主人公たちが、わたしの代わりに直面してくれるような、大袈裟で浅はかな不幸を望みます。かなしみの責任はどこかに捨てておいて。十字架にかけられたキリストなんてわたしの人生に芯くってせまってはこないし、ファッショナブルで、いいよね。ああでも、磔、串刺しは痛いしイヤだ。ええ、イヤなこと考えてますよ、理不尽に家族が安楽死されたらとか。いつのまにか家だけが燃えてたらとか。マグニチュード9.0の震源地にいたらとか。大いなる愛の十字架にふんぞりかえっていたくて、そんな自分が大っ嫌いで。でも否定できないでしょ、わたし大スキ。大スキ。大スキ。ほんと不幸でめんどうなわたし。大スキ。
                   大スキ。


かなしいのはだれ?


なにが欲しいんだろうか? あるいは誰もわたしの不幸がわからなくたっていいのかもしれない。人知れずの不幸でいいのかもしれないのだ。ならなにが欲しいの? 美しい物語が欲しい。最低限説得的で、なるべく美しいシナリオが。碇が欲しいんだ。マリアナ海溝の底の底にガッチリ喰いこむ運命の碇が、人生を安心して泳ぐための鎖でわたしをつないでくれる。臍の緒よろしく、うずくまっていても美しいシナリオという胎盤から栄養をもらえる。あの碇はだれがどうみてもわたしの自由を破壊する特別甘美な不幸だって、あの碇でわたしはこうやって生きるしかないって決められてしまいましたって、胸を張って言えたなら、最低なわたしは無敵の言い訳を手にしてやっていけるんだ。どんなに惨めでも、意気揚揚と博愛主義きどってやっていけるんだ。みんなかわいそうだね。かわいそうの玉座にいるわたしから、無限の恩寵をちりばめてあげるね。だから神さまお願いね、わたしを不幸の女神にしてね。そして人生の免罪符を求むよ。

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