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「歩行ミュニケーション」

「いや売り場の綿棒か!」

都心部に出るとそうツッコミを入れたくなるほどに人が多い。

人通りが多いほど歩道は汚く、空気は臭(にお)い、街は雑踏に塗れている。まさに濁流だ。

「歩きスマホはやめましょう」
「ダメ!歩きスマホ」

五感に近づいては離れていく。もう刺激を与えてはくれない。意識を向けるにはあまりに耳慣れてしまった。

どうも、人垂です。それっぽい導入をしてたら書きそびれました。今回は歩行によって生じている

「歩行ミュニケーション」に目を向けていきたいと思います。


「歩行ミュニケーション」

私たちは普段歩いているとき何を考えているでしょうか。
「腹減った」「のどかわいた」「あの人めっちゃ禿げてんな~」
人それぞれ思っていることがあると思います。
そしてそれと同時にほぼ無意識下で考えていることがあります。

歩き方です。

勿論これは二足歩行の意味ではありません。「他人とのすれ違い方」と言った方が適切かもしれません。

私たちは日頃「普通」に歩いていますが、誰かと正面衝突することはありません。たまに当たり屋のような芥虫が湧いていることもありますが。

それではなぜ私たちは衝突しないのか。

それは主に次の3点が挙げられます。
・目線
・体の向き
・足の向き です。

「歩行ミュニケーション」は「お互いに相手の視線・体の向き・足の向きの全て、あるいはいずれかから相手がどのように歩いて行こうとしているかの意図を読み取ろうとすること」を指します。

歩いている人の目線

皆さんは歩いているときに相手の目を見ますか?私は見ません。

というのは冗談で割と見ています。

厳密に言えば「目線」を見るようにしています。なぜなら、当たり前ですが人は歩いていく方向に目線をやるからです。勿論、食事処やユニクロなど目移りをしてしまうことはしばしばあります。

しかし、相手の目線を見るのは一瞬です。ずっと見ていたら気持ち悪いですし、何より私自身歩いていますからね。

そのため、相手の目線がこちらに向いていない限りは基本どうでもいいです。

ですがこちらに目線が向いているときは
・距離感
・相手の体の向き
の2点を意識します。

距離感

まずは距離感。相手の目線がこちらを向いていると気づいたときに相手の居場所が遠い場合と近い場合があります。

遠い場合は無視します。たまたま目が合っただけなので。
ですが、距離が近い場合は自分の方向に相手が進んでくる可能性が生じてきます。そのため次は相手の体の向きに目を向けます。

体の向き

相手の体の向きが目線とは異なる方向を向いている場合は無視してかまいません。それは相手が適当に周りを見ていたら一瞬自分と目が合ってしまっただけなので問題ありません。

しかし、相手の体の向きと目線が一致していたらこちらに向かってくる可能性が非常に高いです。前段階の「距離感が近い」をクリアしているからです。ですがまだ確定はしません。まだ1つ残っています。

足の向き

相手の足の向きを見てみましょう。目線、体の向きがこちらを向いていたとしても足がこちらを向いていなければ当たり前ですがこちらに向かってくることはありません。

そんなことあり得るのか?あり得ます。要するに目線と上半身をよく動かすだけの人という可能性が残っているのです。

ですがこちらに向かってくる可能性は高いです。如何せん歩行ミュニケーションの3分の2をクリアしているからです。

加えて足の向きがこちらを向いていたら確定です。その人はこちらに向かってきます。

それでも慌てる必要はありません。そのまま相手の足の向きに着目してください。そうです相手が左を向いていたら右に、右に向いていたら左に自分の目線、体そして足を向ければいいのです。そうすれば相手も同じようにあなたの意図を汲んでくれます。

しかし、残念ながら例外も存在します。歩きスマホです。

歩行ミュニケーションの通じない相手

歩きスマホは今まで述べてきたような歩行ミュニケーションを取ることができません。知っての通り相手はスマホの向こう側に夢中になっているからです。でも中にはこのように反論する人もいるでしょう。

「スマホ見ながらでも歩行者とぶつからないで歩けるけど?」

確かにそれは実際可能のように思われます。スマホに意識を向けていても周りもぼんやりとは見えているので人が近づいてきたと感じたら一瞬目線を上げて体を相手とぶつからないように別方向に向ければ衝突を回避することはできるように思われているのでしょう。

ですが先ほども述べたようにこれは歩行ミュニケーションをとっているとは言えません。なぜなら条件を満たしていないからです。

歩行ミュニケーションの条件は「お互いに相手の視線・体の向き・足の向き全て、あるいはいずれかから相手がどのように歩いて行こうとしているかの意図を読み取ろうとすること」であると私は定義しました。

歩きスマホをしている場合は片方が歩行ミュニケーションを取ろうとしても、もう一方がスマホに目線を向けているのでそもそも歩行ミュニケーションが発生しません。また一瞬目線を上げただけでは十分に相手の情報を読み取ることができません。

ですから、片方が目線、体そして足を左に向けたとしてもそれに勘付くことが困難です。結果歩きスマホをしている側も左に向かってしまい衝突してしまう、あるいはする危険性が増すのです。

つまり歩きスマホをしている人が相手と衝突をしないのは歩きスマホをしていない人がきちんと距離をとって回避してくれているからです。

それに仮に躱せたあるいは躱されたとしても、人通りが多い場所では歩行ミュニケーションの無視を何回も繰り返すわけです。そのためいずれはぶつかってしまう未来が容易に想像できます。

また、ここまでこの文を読んできた人は「こいつは何を当たり前のことを言っているんだ」と思っているでしょうが、もしも幼い子供が相手だったらどうでしょうか。

子供は心身ともに十分に発達しておらず年齢によっては私たちほど歩くことに慣れていません。親と手を繋いでいたとしても急にこちらに向かってくるかもしれません。

子供、特に幼い子供は混沌です。何をしでかしてくるか分かりません。
下手したら歩きスマホをしている人よりも予測が難しいかもしれません。

そのため日頃から忙しくても歩きスマホを控えることがお互いにとって大切であると言えます。

まとめ

以上「なぜ私たちは衝突をしないのか」について考察してきました。それは「目線・体の向き・足の向き」を用いた歩行ミュニケーションを意図的、時には無意識下において行ってきたからです。ですが歩きスマホをしている人に対しては歩行ミュニケーションを取ることが困難です。そしてそれは逆も然りです。つまり相手もまたあなたのいく方向を読み取ろうとしているのです。

このように歩きスマホはこのやり取り、歩行ミュニケーションを阻害し平穏な歩行を脅かすことになります。故に「ダメ!歩きスマホ」のような宣伝が蔓延しているのでしょう。




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