政治・経済・社会
【令和5年8月8日(火曜日)曇り28℃〜35℃】
🐢壕に一度落ちれば、智慧が一つ増える🐢(中国の諺)
いくらたくさんの書物を読んでも、現実に経験してみないと、
知識は身についた実践に役立つものとはならない。
経験の中から一つひとつ学び、一歩一歩、
前進していくのが人間の真の姿である。
壕に一度落ちた者は、同じような状態に置かれた時、
注意深く行動するため、決して再び落ちたりはしない。
前の失敗によって知恵がついているからである。
これもまた失敗は有益であるという教訓。
一つの経験をし、一つの知識が身につくと、
それと似た出来事に出会った時、誰もが、オヤッ、と考え、
前に学んだ知識を利用して対処する。一つの経験で得た知識は、
さまざまな実践の場で生きてくるのである。
➖「座右の銘」研究会➖
では、本日も素敵な一日をお過ごしください。
今日もよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございます😊
➿今日の一言➿
〈ブッダの弟子ならば〉
ブッダの弟子だというならば、孤独の境地にあることを勤めよ。
誰かから褒められたいと思ったり、栄誉を喜んだりするな。
せいてはならない。誰にも仕えるな。
また、誰かに依存した生活をするな。
商人として暮らしてもならない。
いつも無欲であり、人に知られぬように。
——『ウダーナヴァルガ』第13章——
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八月八日。末広がりの日だ。とても縁起が良い日といえます。
が、物事には両面があり悪も存在します。
ただ単に、
末広がりだとういう理由だけでは決して縁起が良いとはいえません。
また、良い後には悪が現れるものだ。これは自然の掟です。
「戦争」と「平和」がまさしくそうです。
「縁起」は仏教の根本思想です。釈迦が悟りを得たという境地です。
ここに辿り着けば釈迦と対等になることができます。
が、両者の間には対等というものは存在しません。
それは釈迦に限らず全てのものに対しても言えることです。
したがって、平等というものは存在しません。
上のものが下に下がるか、下の者が上に上がるしかありません。
どちらが簡単であるかは一目瞭然ではありますが、
「譲歩する」ということはそう簡単ではなさそうです。
なぜか、そこには「力関係」があるからです。
この「力」を失うことは誰にとっても恐怖です。
釈迦はこの「力」の抜く方法を知っています。
それが「仏」になることです。
イエス・キリストは生まれた時から「仏」でした。
だから「力」がありませんでした。
そのために「告げ口」というたわいの無い理由で処刑されたのです。
釈迦は生き延びるために仏になり、
「仏」だったイエス・キリストは処刑されました。
そして、両者は今もなおこの地球上に君臨しています。
この世界こそがまさしく宗教だと思います。
新興宗教の悪が晒されるのも、
釈迦とイエス・キリストこの両者を超えることができないからです。
では、本日も素敵な一日をお過ごしください。
ありがとうございます😊
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